第5話 そして今(前編)

   

 十代の頃は頻繁に池袋で遊んだが、私は関西の大学に進学して、就職先も関東ではなかったため、すっかり東京から離れてしまった。

 実家に帰省した際には、池袋くらいまで歩くこともあったが、その実家も私がアメリカで働いていた数年間の間に、近郊に引っ越してしまった。

 こうなると、もう池袋との縁も切れて……。


 今回、出張で東京まで来る機会があったので、久しぶりに池袋の街をぶらぶらしている。

 もう何十年ぶりだろう。最初に「池袋のおもての顔」という認識だった東側を見て回ったが、かなり変わっていた。確かにおもておもてであり、明るい空気が漂っていたけれど……。

 秋葉原が電気街からオタク文化の街に様変わりした、というのは噂で耳にしていたし、池袋もサンシャインシティの近くに似たような一画が出没した、というのは話に聞いていた。しかし実際に目にすると「なるほどなあ」という納得よりも、「信じられない」という驚愕の方が強くなるものだ。


 そして今、こうして西口つまり「池袋の裏の顔」を歩き始めている。

 とりあえず、私にとって最もアングラなイメージの強かった北端から見始めたのだが……。

 少しは明るくなったものの、「やはり西口は西口だ」という安心感があった。

「あの辺りには、友人たちとよく行ったハンバーガー屋があったはず……」

 ファストフードのチェーン店だが大手ではなく、有名店よりも安価だったお店だ。懐かしく思いながら、そちらに視線を向けてみたけれど、もう影も形もなかった。

 飲食店が潰れた後には、似たような別の飲食店が入る場合が多いそうだが、それすら見当たらない。おそらく、ファストフードには向かない場所だったのだろう。

 よく遊んだビリヤード場もこの辺りだったはずだが、全くわからなかった。小さな雑居ビルだったのは記憶にあるが、それらしきビルはいくつも建ち並んでおり、どれだったのかわからない。

 いや、そもそも同じビルが残っているとは限らないのだ。ビルの耐用年数を考えれば、とっくに建て替えられているのではないだろうか。

 そして、雑居ビルといえば……。


「おお、ここだ!」

 何度も訪れた、ゲームソフトのレンタルショップ。もちろんお店自体は消滅しているが、ビルそのものは健在だった。

 通りの反対側には、ちょっと横に広い建物があったはず。そんなかすかな根拠にも基づいていたが、それだけではなかった。似たようなビルが建ち並ぶ中、この建物の前まで来た瞬間、ハッとしたのだから。

 理屈ではない。感覚的なものだった。

「せっかく来たのだから……」

 自分に言い聞かせるようにして呟きながら、狭い階段を上がっていく。

 子供だった当時、西口の雑居ビルなんて、目的のお店以外は怖くて看板すら見られなかった。

 でも今は大人だ。しかも年齢的に、既に人生の半分以上が終わっているのは明白であり、今さら怖がることもなかった。

 このビルには、どんなテナントが入っているのだろうか。あのレンタルショップがあったフロアは、どうなっているのだろうか。

 そんな子供じみた好奇心から、二階の廊下を歩くと……。


「……ここだよな?」

 灰色の扉には、薄汚れたプレートが一枚。何かのお店らしく『不思議屋』と書かれていた。

 これだけでは、何を扱っているお店なのかサッパリわからない。というよりも、看板の汚れ具合からして、既に潰れた店だろうか?

 そんな失礼なことも考えてしまった瞬間。

 自動ドアでもないのに、扉が内側へ開いた。

 そして店内からは、しわがれた老婆の声が響く。

「いらっしゃいませ」

 漫画やアニメに出てくる魔女のような、フード付きのローブを羽織った老婆だ。

 何かのコスプレなのだろうか。一瞬、先ほど東口で見た乙女ロードの光景が頭に浮かぶ。

「そんなところで立ちすくんでないで、どうぞ中へお入りください」

「いや、私は……」

 話しかけられて反射的に口を開いたが、言葉が続かなかった。

 一瞬正直に話そうと思ったが、躊躇したのだ。きちんとした来訪先もないのにビルに入ったことになるから、それでは完全に不審者ではないか。

 そんな私に対して、老婆は微笑む。

「言葉はりませんよ、お客様。うちは『不思議屋』です。入れる資格のあるお客様にしか看板は見えませんし、扉は開きません。さあ、中へどうぞ」

 おかしなことを言う老婆だが……。

 二度も「中へ入れ」と言われたのだ。下手な言い訳をするよりも、素直に従った方がいいだろう。

 彼女の言葉に背中を押されるような気分で、私は店内に足を踏み入れた。


 同じビルの同じ一室のはずだが、お店の中は私の記憶よりも狭かった。

 大人になったから子供時代より周囲が小さく見える、なんてレベルではなく、明らかに狭いのだ。どうやら、部屋を半分に仕切っているらしい。

「さあ、商品を見てください。お客様が興味惹かれるものが、きっとあるはずです」

 そう言って、老婆は壁際の棚を指し示す。

 いったい彼女は何を売りつけるつもりなのか。その点に少し興味が出てきて、「金額次第では買ってやらんこともない」と思いながら、棚に入れられた『商品』に目をやる。

 まるで、かつてのレンタルショップのゲームソフトのようだった。四角い箱が並んでおり、映画やゲームの作品名みたいに、それぞれの箱には「サッカー選手を目指した末路」「私は天才ピアニスト?」「無事にお嫁さんになりました」などと書かれていた。

「これは……?」

「うちは『不思議屋』。不思議なレンタルショップです」

「レンタルショップ……?」

 思わず聞き返してしまった。

 かつて、ここはゲームソフトのレンタルショップだったのだ。

 これは何かの偶然だろうか。

 そもそも『不思議屋』と言われただけでは、本のレンタルなのか、あるいは映像ソフトなのかゲームなのか、それすら不明なのだが……。

「人生を、あるいはその一部をお貸しするのですよ。今風な言い方をするならば、バーチャル・リアリティですかねえ? 奥の部屋で体験できますから、どうぞ気軽にお選びください」

   

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