孵化譚-2 翼児奇譚 元和の章


東照大権現が西軍を下してから数年。

瀬元ノ介(せもとのすけ)が

京都の清水寺詣りを決意したのは, 夢の中で

観音より霊験を授かった事に由来する。


京の都。竹林に隠れたる宿より

清水寺に向かう影あり。

瀬元ノ介は道中で再び

あの噂を聞くと悪態をついた。


"戦乱の世での狼藉こそ恐ろしや。

物怪が今更何だ。"


その頃, 大阪の陣の殺伐たる気風も

とうに冷めたのか,

退屈と天下泰平を持て余していた

江戸の民草の間では

ある噂で持ち切りであったそうな。


翼児(よくじ)と呼ばれる物怪の話である。

翼児は堕胎した赤子や

牛頭馬頭の幼体を集めては,

河原の繭に封じ込め, 魂を与えていたらしい。


その存在は物怪でありながら

公家に等しき優美さを

持ち合わせている事から

表の浮世には出ず,

人里離れた御殿や森の木々に隠れ

幕府の要人や嫡子と

面会を果たしていたという。

ある者は豊臣の残党と結託していると

言い回っていたそうな。


然し, 無頼と放縦を尊ぶ瀬元ノ介からすれば

知った話では無い。

三色団子と甘酒を茶屋で頬張り,

その場で親しくなった知己に

勘定を任せてしまう。いつもの手口である。


清水寺に到着すると,

瀬元ノ介と同じ色好みの衆が

既に同胞を待ち構えていた。

傾いた衣装に確かな殺気を帯びた

出立ちが目立っている。

軽い挨拶を交わすと,

同胞は同じく清水寺に集った人々が

何処に向かうかについて,

瀬元ノ介に上機嫌で教えてくれた。



"京の都にも吉原みたいな場所があるかなあ"

花魁目当てに通い詰め,

勲功の金貨も使い果たし

武芸修行と称した路銀稼ぎに興じるは能井(のい)。

快楽と女衒に溺れながら,

強かに場末を渡り歩く男である。



"俺は祇園も天神も行ったが大した事は無かった。あの衆には余程見る目が無いと見える"

お伽草子の人物に魂を奪われ,

学者紛いの耽美を志したのは

不知火太夫(しらぬいだゆう)である。

今は稚児草子の収拾に血眼となっている。

好き物である。




"二条城近くの寺院で坊主達が晒されているそうだ。戒律を破ったらしい。

ふん, 経典でも読んでいればいいのに"

"立川流では無いのか, その者らは?"

"ああ,あり得るね"

苛立たしく能井の質問に答えたのは,

白玉を乗せた蒔絵師, 丸々(まるまる)。

唯一酒も色も好まぬ遍歴者で,

度々殺傷沙汰を起こしていた。




瀬元ノ介は同胞の下馬評を制して

忌々しげに言った。

"ふん, 下らない。

関ヶ原の跡地でも詣る方がマシよ"

かぶき衆達は苦笑して

瀬元ノ介に問い詰める。

"では瀬元ノ介, うぬは何方へ参る次第とな?"

"第六天魔王様の顔でも拝めりゃ眼福だぎゃ"

その時, 瀬元ノ介は滝の近くに

酒宴の気配を感じ取った。


"何方へ?"

"滝の水音を肴に詠むぜ。お前達は好きにせよ"



かぶき衆の誰かが, 瀬元ノ助の後ろ姿に

銭を当てた。哄笑がする。

"お前ならぁ

清水の舞台から飛び降りると思ったがなぁ"

つむじ風が侘しく吹き遊び,

精舎の鐘は遠方で鳴る。


"...すくたれが"

瀬元ノ助は誰にも聞こえぬ,

捨て台詞を虚空に刻んだ。


階段を降り, 滝の麓に向かう。

気づけば民草の姿が閑散とし,

すっかり消え失せていた。

雲中高貴の上臈であろうか,

白幕で囲まれた宴の間には人影が。


血の香りがした。

黒き翼に, 艶を含んだ唇を持った少年が

盃を呑んでいる。

皇族でも, 平安の世の妖魔でも無い。何者か。


少年の周りの盃は血で満たされており,

その上に麗人の生首が並べられていた。


その翼人は確かに呟いた。

"君が探している人はもういないよ"

"...翼児か"


貴人の首を弄びながら,

その物怪は述懐を始めた。


"何の因果か, 花の都から来た僕と

君は逢ったみたいだね"

"...ここには喰姫という貴人がいた筈だ。

観音の話だとな"

"そうだね。でも僕が結末を変えてしまった。君の為に"

"己(おれ)の?何の為だ?"

"泰平の世にて徳川に屈さない

君が好きだから...僕と組め"


そして翼人は,

紅き眼を激らせて確かに宣告した。

"新たな戦乱を巻き起こそう。

僕は黒翼ノ宮, 諏訪丸(すわまる)。"


瀬元ノ介は逡巡していた。

凡庸な人生を歩み,

退屈な市井として魂を腐らせるか。

例え幕府に反旗を翻せど,

この物怪と組み, 散華するか。


そして, 恨ノ介は決断した。

"首級片手に酒盛りとは気に入った。

お前に惚れ, 魂を預けるぜ"

これが天草一揆より前,

幕府に抹消されたある反逆者による

国盗りの大乱の始まりであった。

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