酸いも甘いも嚙み分けて、私達はなお氷上に想いを懸ける

黒崎伊音さんによる「60×30」と「氷上のシヴァ」クロスオーバー小説、第三弾です。
原作者ゆえ、非常に私信の意味の強いレビューになってしまうことをお許し下さい。

今作は、シヴァの第三章の語り手である朝霞美優がインストラクター研修として、横浜の星崎涼子のもとを訪れる場面から物語が始まります。
美優と涼子先生には多くの共通点があります。
元アイスダンサーの振付師であること、長身であること、十代半ばでの第二次性徴による体型変化によりジャンプが飛べなくなり、シングルからアイスダンスに転向したこと……。
彼女達は三十代、四十代の立派な大人の女性であり、フィギュアスケートの競技としての厳しさを知り尽くしています。
綺麗な衣装を着て、華やかなジャンプを飛び、優雅に踊る……その足元では氷に血の滲むような「闘い」が一瞬たりとも途切れず行われている。スケーティング、とりわけステップという形で。
一見地味なこれらは、一瞬で終わってしまうジャンプに対し、彼女達がその身を氷上におく限りは堅牢なダイヤモンドのように、足場を支えてくれます。

第二次性徴からの著しい体型変化によって苦しむ女子選手は非常に多いと聞きます。
ただ背が伸びるだけでも大変なのに、脂肪が付き、身体のバランス自体が変わることで、それまで飛んでいたジャンプの感覚が狂ってしまう。
厳しい体重管理と食事制限。(現役時代カップ麺を一度も口にしたことがないという話を聞いたことがあります)
実際に摂食障害を発症したり、月経が止まったり、体脂肪率が一桁まで落ち込み、将来子供を生めなくなるかもしれないと言われる選手もいます。
そうまで自分の心身を追い込んでなお、やらなければならないものだろうか――?
フィギュアスケート小説を書いている身としては、本当にやりきれない思いに襲われます。フィギュアスケートは素晴らしい。けど、犠牲があまりに多すぎるのではないか。
それでも、彼女達は氷上に向かいます。靴を履くことをやめません。
重く厳しい、血反吐に塗れたスケートに青春の全てを捧げ、そしてなおスケートの世界に残った人たち。
それが、星崎涼子と朝霞美優です。
彼女達のスケートへの愛憎は非常に複雑で、だからこそ氷の世界からは離れがたい。
そして、自分達の味わった苦しみを、後世に残さないために。少しでも軽減するために。
彼女達は今日も、指導者としての道を歩み続けます。

涼子先生の語り口から、「60×30」の影の立役者である星崎夫婦の馴れ初めが垣間見えるのが本編のファンには嬉しいサービスです。
また、臆病で怖じ気付いていた美優が、最後、吸い取れるものは全て持ち帰る、と強固な意志を持って見上げた顔が、私にも見えた気がしました。

「霧崎洵と鮎川哲也」「岩瀬基樹と堤正親、ついでに鮎川哲也」に続き、素敵なクロスオーバー小説を書いていただき、感無量です。
次は私が、と言いつつ一向に書けないまま、ハードルが上げられていきます。嬉しいことですが、果たして私は超えられるのでしょうか……。
黒崎さん、本当にありがとうございました。