第7話「非常扉と走馬灯」

 【馬場櫻子】


――新都に限らず、二十年前に魔獣災害が発生して以降、建物の地下にはシェルターを作ることが建築基準法で義務化された。


 つまり学校、病院、役所からコンビニまで、そしてもちろんこのモールの地下にも、巨大な地下シェルターが存在するのだ。


「慌てないで、ゆっくりと移動して下さい!」


 わたしは係員の誘導に従って地下シェルターへ続く避難の列に並んでいた。


 警報がなった時、非常扉のある一階から、一番遠い最上階のフロアにいたため、必然的に列の最後尾あたりにいる。


 一階フロアには複数の非常扉が設置されているため、さほど混み合うことも無く円滑に避難が進んでいる。


 モール内の人の避難を確認したのか、係員たちも非常扉に集まっていく。


 すると、モールの出入り口全てに一斉にシャッターが降り始めた。


 とりあえずはこれで安心……と、一息ついた時だった。


 ガラスでできたモールの自動扉の奥に、子供が見えた。こちらに走って来ている……二人だ。


 係員の人達は気づいていないみたいだ。


 わたしは息を呑んだ、でも、大丈夫。自動扉は開いたまま停止しているし、あの距離ならシャッターが降りきる前にモールの中に入れるはずだ。


 しかし、後ろを走っていた子が転んだ。

 それに気づいた子が、転んだ子に駆け寄る。


 嫌な汗が背中を伝う。まずい、んじゃないのあれ?


 わたしは両手の紙袋を放り捨てて走り出した。急げ、急げ急げ急げ急げ!


 走り出すわたしに気づいた係員が、何か叫んでいるがそれどころではない。


 シャッターが降りきる、前に!


 スライディングする様に華麗に、とはいかなかった。転がり込むようにゴロゴロとシャッターの隙間を通ってモールの外へ出た。


 シャッターに、着ていたコートの裾が挟まっていたので力任せに引っ張ったら裾がビリビリと破けた。


 構うものかと子供たちの元へ駆け寄る。お揃いの服を着た女の子、よく見ると噴水公園にいた子だ。


「大丈夫? 怪我したの?」 


 足を押さえて泣きじゃくる女の子をもう一人の女の子が抱きしめていた。


「……ちょっと擦り剥いちゃってるね、お姉ちゃん櫻子っていうの。お名前言える?」


 サイレンが鳴り響く中、わたしは出来るだけ落ち着いた口調で話しかけた。


「わ、わたしはミユ。この子はミク、妹なの」


 泣いている子を抱きしめていた子がそう言った。


 見える範囲に人はいない。親とははぐれてしまったのか。


「そっか、ミユちゃん、ちゃんと妹を守れて偉いね。ミクちゃんはお姉ちゃんが抱っこするからミユちゃん歩ける?」


「うん、わたし歩けるよ!」


 わたしはミクちゃんを抱きかかえて別のシェルターを探すために走り出した。その時。


――ボゴオォッ!!

 っと、凄まじい轟音と共に、衝撃が体を通り抜けた。


 爆風に煽られ、わたしはミユちゃんとミクちゃんを庇うようにしゃがみ込んだ。


 振り返ると魔獣がモールの前の広場に転がっていた。


 大きい、四、五メートルはあろうかという魔獣がゴロゴロと転がり、そして起き上がった。巨大なゴリラに恐竜の尻尾を生やして、腕を四本に増やしたような異常な見た目をしている。


 どうしよう、この子たちを守らないと! でも、どうやって? 恐怖で全身がガチガチと震える。ヤバイ、これ守るっていうか今日死ぬんじゃない、わたし。


「きゃああああっ!」


 さっきまで気丈に振る舞っていたミユちゃんが叫んだ。わたしだって震えて動けないのだから無理もない。けど、

 声を聞きつけたのか、魔獣がこっちを見た。完全に目があった。


――瞬間、猛烈な勢いで魔獣が突進して来た。あっという間に目の前、魔獣の巨躯で太陽が遮られ、わたしたちの周囲に禍々しい影を落とした。


 魔獣が二本の腕を振り上げる。私は咄嗟に二人の前で両手を広げた。


 こんなことをしても意味はないのだろうけど身体が勝手に動いたんだから仕方ない。


 わたしは振り下ろされる死を直視できず、目を固く瞑った。


――しかし、魔獣の腕は数メートル離れたところに着弾した。着弾したというか、落下した。


 目を開けると、魔獣がさっき振り上げていた右腕が、二本とも無くなっていた。


「……え?」


 恐ろしい咆哮を垂れ流しながらもがき苦しむ魔獣、その数メートル脇に腕が二本落ちている。


 まったく状況を理解できていないまま、しかしそんなことは関係なく時間は進み。


 魔獣は徐々に落ち着きを取り戻し、再びわたしたちの方へ向き直った。


 だめだ、なんで一度助かったのか分からないけど、やっぱりだめだ、死ぬ。


「吹っ飛べクソがあああッ!!」


 乱暴な言葉遣いだけど鈴の音のような可愛らしい声が響いた。


――瞬間、ボォンッ! と、魔獣の上顎から上が爆散した。


「ひ、ヒカリちゃん!」


 もう、後光が射して見えた。比喩ではなく、影を落としていた魔獣が崩れ落ち、空中で飛び蹴りを放ったヒカリゃんはちょうど逆光になり、神々しささえ漂っていた。


 そうだ、子供は!? 振り返ると、二人とも恐怖のあまり気を失っているようだった。


「櫻子お前っ……」 


 何か言いかけたヒカリちゃんを、わたしは思いっきり抱きしめた。


「ううぅ、ありがとうヒカリちゃん、わたし、わたしもうダメかと思ったよぉ」


「……さ、櫻子、ちょ、待て!」


 ヒカリちゃんはわたしを体から引き離して怒鳴るように言った。


「まだ二匹いる!」


「へ? 二匹?」


 言うや否やヒカリちゃんの後方数十メートル先から二体、道路に乗り捨てられた車を跳ね飛ばしながら新たな魔獣が迫って来ていた。


「櫻子、角のヤツはアタシが相手する! ちっこい方頼んだ!」


「わ、わかった!」


 ん? 今なんて言った?


「いや! ウソ! 今の無し!」


「ああ? おい櫻子こんな時に何わけの分かんねえこと……」


「わけわかんないのはヒカリちゃんだよ! なんでわたしが戦うことになってるの!?」  


 確かにさっきの魔獣に比べたらあの二体は小さい。


 一体は角が生えた恐竜のトリケラトプス? が六足歩行になったようなやつ。


 たぶん三、四メートルくらいか、もう一体はでっかいカニ、サソリ? みたいなやつでこっちは二メートルくらいだろうか。


 でもだからって一般人が相手にできる道理はない。


「櫻子! この際隠してたことはどうでもいい! けどガキを確実に助けたいなら手伝え! お前も魔女だろ!」


「へ? わ、わたしが、魔女?」


「そうだよ! さっきゴリラの腕切り飛ばしてただろお前!」


「いや、あれはヒカリちゃんが……」


「アタシじゃねえよ!……ちっ、もういい!」


 噛み合わない問答をしている間に、魔獣が近くまで迫って来ていた。というか、魔獣が二本の角を前に押し出すように頭を下げて猛烈な勢いで突進して来ていた。 


 ヒカリちゃんはそれに向かって飛び出した。『射出した』という表現の方が正しいかもしれない。ヒカリちゃんが踏み込んだ地面は足の形に陥没している。


 ヒカリちゃんは魔獣と正面衝突する瞬間、ガシィッ! と魔獣の角を素手で掴んだ。 


 魔獣は尚も突進を続けるが、だんだん勢いが衰えている。


 ヒカリちゃんの足が地面にめり込んで凄まじい音を立てながら地面に二本の線を引く。そしてわたしと子供の五メートル程手前で、角魔獣は完全に止まった。  


「オラアアアアァ!」


 ヒカリちゃんはさっきのゴリラに負けないくらいの咆哮をあげて、角を握りしめたまま、身体全体を思い切り捻った。


 ボギンッ! と、おそらく骨が折れる重低音と共に頭が百八十度回転した魔獣は、糸が切れるようにがくりと地面に倒れ伏した。


 す、すごい……!


 しかし、その脇から巨大な炎の塊がわたしに迫ってきていた。


「っ! 櫻子、逃げろ!」


 だめだ。もう間に合わない、それにもし逃げれたとしても、ミユちゃん達は助からない。


――その時、頭の中に様々な映像や音が駆け巡った。これが走馬灯というやつなのだろうか、それにしてはやけにモヤがかかっていてはっきりしない。


 目まぐるしく頭を駆け巡る情報が急に収束し、鮮明な音、いや声が聞こえた。


『――どうじゃ、便利な力じゃろ? この力の名はな……』


 無意識に、わたしは右手を前に突き出していた。


「……『黒羽クロバネ』」


 わたしの視界は、炎に包まれる代わりに漆黒に覆われた。


 ほんの数秒で、液体とも気体とも言えない漆黒は、波が引くようにわたしの身体に吸い込まれ、そして消えていった。


 炎は既に過ぎ去ったようだ。 


「はあぁっ!!」


 ヒカリちゃんが炎を放った三体目の魔獣の頭部を叩き割った。


 わたしの記憶はそこで途切れた――

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