大岩レオ

桜#1

 11月某日。大岩おおいわレオは篠原花玲しのはらかれんに告白され、振った。


 高校3年の11月、そのときクラスはとっくに受験の雰囲気であり、大半の生徒は受験の不安や焦りでピリピリと精神をすり減らしていて、大岩も例外ではなかった。


 そんな時期に彼氏彼女などは言語道断であることはクラスメイト全員理解しているだろう。本来なら白い目で見られるのは篠原であるべきなのだ。


 しかし、現実は違った。篠原はクラスを形成するヒエラルキーのトップに立つ存在であり、端的に言えば女王だった。女王に無礼があったとなればその家臣たちが黙っていない。


 大岩が篠原を振ったという噂はすぐに広まり、クラスメイトの女子を中心に大岩への嫌がらせが始まった。




 ☆




 大岩が登下校に使う電車はその時間帯、いつも空いている。なぜなら通っている学校が県境の近くにある学校で、その県境をまたぐ電車だからだ。県が違うというだけで大岩の地元から大岩と同じ高校に通う生徒はほとんど居ない。


 大岩は緑の布のブックカバーをした文庫本を手に、両隣の人とスペースに余裕があるほんやりと暖かい座席に座り電車に揺られていた。


 元々はブックカバーは使わず裸で持ち歩いていたのだが、落書きがありそれを隠すためにカバーをしている。


 ある日学校の休み時間中トイレに行って帰ってきたら、なにやらニヤニヤと不吉な視線を向けられていた。何事だと思い席に着くと新品の文庫本にマッキーペンで死ねやら消えろやらの典型的な文言が書かれていた。


 その時大岩が抱いた感情は悲しみでも恐怖でも怒りでもなかった。人間への失望だった。


 そいつらは大岩になんの恨みもないはずなんだ。しかし、粛清という大義名分とマジョリティという立場が人間をここまで醜いものにしてしまうのかと、失望した。


 幸いその程度の陰湿な嫌がらせが多く、表立っての暴力などは全くないので大岩はその嫌がらせをほとんど気にしてはいなかった。元より孤独を好む性質だったのもあり、困ることはあまりない。


 ただ、こうして登校し授業を受け下校し図書館で勉強して帰る。それだけの日常。その端々で陰口が聞こえてくる程度。そんな日々が始まり1週間ほどが経っていた。


「よう!大岩」


 突然大岩の隣に座り込み馴れ馴れしく話しかけてきたのは、大岩とは喋ったことも無いクラスメイトの女子だった。苗字は分からないが確か下の名前は真凜まりん。なぜ名前を知っているかと言うと教室にいるだけでたくさんの人が真凜の名前を呼ぶので自然と覚えるのだ。そこから察されるように真凜はクラスでは篠原レベルまでには行かずとも人気者の部類だった。


 大岩はまず呆然とした。ショートカットの黒髪で前髪を左目が少し隠れるように流している、そのボーイシュな顔と目が合った状態で混乱する頭を整理しようでするがどうにもならずとりあえず声を絞り出した。


「は?」


 とても腑抜けた声だったと思う。


 その返事を聞いた真凜は両頬に笑窪を作り微妙に目を細め唇を三日月のような形にした綺麗な笑顔で少しだけ笑った。


 これは新手の嫌がらせかな。なんてボケに対するツッコミみたいなことを本気で考えた。というのも、本当に新手の嫌がらせな可能性が十分にあったからだ。


 大岩は考えた結果隣の真凜を無視することにした。もとより大岩は真凜のような大勢でつるむような人間を毛嫌いしていたし、1度笑ったきり何も言ってこない真凜が一体どういう思考回路で行動しているのか考えることを諦めたということが大きい。


 そのまま下車するまで読書に集中しようとしたが、どうにも隣の真凜から漂うシトラス系の爽やかな香りが邪魔をする。




 ☆





 大岩は家の最寄り駅で下車し日課である図書館へと勉強をしに行こうとしていた。


 駅から図書館へは1本の大通りで結ばれている。地元民には桜乱おうらん通りと呼ばれるそこは名前の通り桜並木である。春になると道の両サイドに等間隔で並んだソメイヨシノが一斉に花咲かすのだ。その絶景には誰もが息を飲む。


 しかし季節外れの今の時期、木はさみしくその細い枝を剥き出しにしている。


 その桜乱通りの春の様子に思いを馳せつつ歩いているその間にも真凜はストーカーの如く大岩の後をついてきていた。


 ついにそのストーキングは図書館の中にまで及び、大岩が自習スペースのお気に入りの席に座ると真凜はその向かいの席に座った。大岩はそれでも無視して勉強を始めようとしたのだが、真凜の方が口を開いた。


「ねぇ、なにかお話しようよ」


 今、大岩達がいるのは図書館の自習スペースであってけしてお話を楽しむところでは無い。なによりこんなやつと知り合いだと思われたくないと思った大岩は真凜と目を合わせず無視をした。


「大岩さ、私のことキライでしょ?」

「キライだ」


 大岩は、笑みを浮かべつつ問うた真凜に拒絶の意味を込めてしっかりと目を見て返答した。


 それから真凜が話しかけてくることは無く、しばらくし大岩が退館すると真凜も退館した。大岩は駅からみて図書館より更に先にある家に向かって歩き出したが、さすがに真凜がついてくることはなく、真凜は桜乱通りの方へと歩いていった。


 外はすっかり日が落ちていて夜空で輝く三日月を見て不覚にも真凜の笑顔を思い出していた。


 しかし、大岩にとっては嫌悪する有象無象程度の認識でしか無いのだった。


 大岩はふと、唯一友人と呼べるような男の事を思い出す。田中正二たなかしょうじだ。田中とは中学からの付き合いであるが大層仲が良い訳ではなかった。昔から田中は調子の良い奴で大岩にもよく話しかけてきた。初めは鬱陶しかったが、なんというか距離感を弁えているやつで不思議と不快感は薄れていき、気付けば会えば話す程度の仲にはなっていた。


 しかし、最近は田中も話しかけてこない。世渡り上手なあいつの事だからこんな状態の大岩とは関わらないつもりなんだろう。


 別に悲しくはないし、寧ろここで同情して構ってくるような奴だったらここまで仲良くなっていないと思う。


 そんな事を考えつつ帰宅し、勉強でくたびれた体を休めるため、夢に落ちた。

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