第20話

 魅せられていた。


 ホクトが距離を詰める。下から拳をナンノの腹部へ。拳はあっさりと止められて左の拳が頭部やっきているのを察したナンノは軽く頭を後方へずらした。表情に焦りはない。歯を食いしばって掴まれていた拳を引き抜く力を横から薙ぐ左足に乗せ蹴り込むと、重心を後方に寄せていたナンノは防ぐのは可能でもトウマのように建物へと吹き飛び瓦礫の埋もれた。


「はぁはぁはぁ」


 肩で息をしているホクトの髪は汗で濡れて乱れている。眸は真っ直ぐ姉に向けられてやってくる姉のために呼吸を整えた。爆音がして瓦礫が前方へ飛ぶ。ホクトは自身の体躯の何倍もの建物を避けも払いもせず中腰で構えて拳を叩き込んだ。そこに姉がいるのが解っていたような的確な突きはナンノの鳩尾に突き刺さっていた。


 ここで初めてナンノが口から血液を吐いた。そんな姿を見てもホクトは力を緩めない。掴まれた腕を土台にして長い脚を折り曲げた膝を自身の姉の脇腹へ何度も刺す。刺される度にナンノは血を吐いて白いホクトの衣類を染めていく。膝を刺すと見せかけて掴まれていた腕に力を込め、そのまま姉ごと持ち上げると地面に叩きつけた。地面が割れる。人が埋もれる。固められた地面は硬さを失ってずぶずぶと泥沼となったかのようにナンノを簡単に受け入れた。ホクトは腕を引き抜いて三歩後退した。


「はぁ、はっ、はぁ、はっはっ」


 息も絶え絶えに眼光が弱くなった。疲労と罪悪感と覚悟による行いが彼女の自身を攻めている。ホクトの願いはナンノが立ち上がることで粉砕された。


「何辛そうな顔をしているのですか? こんなこと日常茶飯事だったでしょう」


 ナンノは汚れてしまった自身姿を見て、体を平手で払った。衝撃はナンノを中心に広がり彼女についていた汚れは吹き飛んだ。力に耐えられたのは衣類だけ、唇から溢れた赤い線を指で拭うと出会ったときの彼女を彷彿とさせる姿のままだった。


「貴様ら!」


 恫喝をする声が飛び込んできた。ナンノとホクト間の奥に百人近い兵士とその隊を束ねる若さを隠すために口髭を生やした男が立っている。彼が声をかけた当人だろう。その両隣の建物の上に女性が二人立っていた。肩まで伸びた女性は自信ありげにかき上げるのに、その反対の女性は短髪でありながら前髪だけ伸ばして両目を隠して自信なさげに見えた。


 どーん。


 口髭の男性は足踏みをして声をあげた。


「ここを王都セプテムと知っての狼藉か! 都を破壊した重罪! 死刑では済まさんぞ!」


 男性の大声を聞きながら離れた女性二人は陰口でも叩くように話している。両目を隠した女性が積極的に話していた。


「ネマル。ヤグチが来るまで待ったほうがいい」

「そう? 三人でやれば十分なのでは?」

「できればガトウもそろってくれれば」

「慎重すぎるわよ。ヤカワまで待つとか云わないでしょうね?」

「できるなら、そこまで待ちたい」

「莫迦じゃない? どれだけ無能なのよ」

「そのほうがいい」

「え?」

「セヴンスなんて謂われてたのは昔だし、それにあの人たちは人じゃない。現に、もう、あの人たちのところから酸素は奪ってる」

「!」

「普段冷静なカモトが声を荒げているのはそうしないと絶望してしまうから」

「何を云って……」

「ジブンたちの力が無力だと理解したくないから」

「え? じゃ、あそこはすでに無重力地帯? そんなところであの二人!」


 ナンノとホクトは周囲を気にしている様子はみじんもなかった。それでも彼らの自信が打ち砕かれるのを合図に彼女たちは云う。


「「再開」」


 ホクトは地面に足を突き立てて思いっきり振り上げる。


「オラっ!」


 自身の足をシャベル扱いにして抉った地面をナンノへ蹴り飛ばした。強大な塊を破壊するのを億劫そうに軽く触れて軌道を逸らす。


「オラっ! オラっ! オラオラっ!」


 踊って地面を抉るえぐるえぐる。軌道の先には彼らが居て青ざめてのは一瞬で土煙の中に消えてしまった。消えた後にもいくつもの塊が土煙に吸い込まれていく。


「無駄な戦い方。楽しんでいるようですね」

「ああ、最高だぜ、姉貴!」


 荒々しい声色になって口角をあげるホクト。


「ひひっ」


 嗤ったホクトがこっちを見た気がした瞬間にナンノが大きく躍進し彼女の腕を蹴り上げた。ぼぎぼぎぼぎ、と腕の中の骨が折れ肉を突き破る生音がする。自身の腕の症状など捨て置いて嬉しそうに空中に浮いた隙をついて彼女は折れた腕で姉を抱きしめる。


「いいぜ。やっとそっちから近づいてきてくれた、なっ!」


 自由を失った逆さまの姿のまま思いっきり自重と重力に倣ってへし折るように首からナンノを落とした。轟音。大地が揺らいだ。


「マジかよ」


 ホクトが見ていたのはナンノが片腕で衝撃を抑えている姿。驚きに満ちるのは仕方がなかった。可憐で華奢な女性に似合わないからだ。


「貴女も一度飛んでみなさい」


 指を地面に刺して固定すると空いていた片腕でホクトを掴み投げる。肩は外れ嗤っていた彼女は空と平行に風を切っていく。ホクトの両腕はこの数秒間で使い物にならない飾り物に成り代わって、落胆する暇すらナンノは与えなかった。


 視線を戻せばナンノの後ろ姿が入った。いつもどおりの姿。数秒前まで戦っていたのが夢であるかのような佇まい。そっと彼女は土煙へ息を少し強めに吐いた。風が従って土煙を払うと、地面の塊により潰された兵士の中からあらぬ方向に曲がった首を正常に戻しつつホクトが嗤ったままこっちを見ている。ホクトの近くにがたがた震えながら偶々生き残った兵士がいる。彼らは生きているのを後悔するように恐怖に慄いていた。


「きひ、きひぃきひ。姉貴ぃ! まだまだ殺り合おうぜ!」


 ナンノとホクトは兵士の存在など一度も気になどしていない。路傍の石扱いすらされていない。それがこのあとよく理解できた。


「品がありませんね。ホクトをこれ以上暴走させてはここがなくなりますか。なくなってしまうのは構いませんがあんな状態では旦那様に謝罪をする口の利き方ではないのは問題があります」

 え? そこ?

「姉貴ぃ!」

「十分でしょう」

「え?」

 え?


 ホクトは地面に潰れ落ちている。小さな箱に無理やり整理された玩具のように。落ちている肉塊の傍にナンノが見下ろして立っていた。


「あれ?」

「ホクト、少し我慢しなさい」


 ゴウオンゴウオンゴウオン。


 ナンノはただ立っているようにしかみえない。けれども、ホクトを中心に蟻地獄のよう地面が沈んでいく。ホクトはうめき声を上げて逆らえず土に埋もれていった。それをナンノが行っているのは解っている。凄い以上のスピートと力を殺さない速さを合わせて単調作業に踏みつけている。たったそれだけの行いがえげつなく最強だった。


「冷静になったら帰ってきなさい」


 ドゴオン。


 音が止んだ。周囲にはモノがなくなっていた。人も物も残骸も全て一点に吸い込まれて埋もれてしまっていた。その光景は初めて彼女に出会ったときを思い出して背筋が凍る。


 ナンノは数歩進んで立ち止まると踵を返して静かに待っている。数秒ほどすると何もない地面からぱらぱらと土を被った女性が出てきた。肩で息をしているホクトの姿は元通りに戻っていて変形しているようには見られない。


「はっ、はぁはぁ。ねぇね……」

「頭が冷えたようですね」

「ホント、昔に戻ってたわ」

「そうですね」

「怒らないの?」

「もう、旦那様を殺すなどと口が避けても云わないでしょう」

「ねぇねを傷つけたことは?」

「妹が姉に甘えるに怒る理由が?」

「ははっ、何それ……」


 自身の所業について一つも怒りもしない姉に向けて少しだけ唇を弱めるとホクトは落胆したように云った。


「これでも、努力したつもり、強くなった、と、思ったのに」

「弱いわけではありません」

「ねぇねと手前の熟練度の負荷はこれほど違った。負荷を与えた時間は手前が確実に多いのに」

「私は必死だっただけです。貴女は努力を否定すべきではありません」

「必死……。こんなに強くなるまで……? こんなになるまで、からっぽだった手前たちを護ってくれてたんだね。ねぇね」

「…………」


 ホクトの小顔が見える。布を解いて晒された双眸は大きくまつ毛が顕著にあって美しさよりも可愛いらしさが強い。すーっと両目から涙が零れた。二つの雫が絶えず落ちて地面を雨みたく濡らしてく。下唇を噛んで押さえていた感情は涙に似て恙なく出た。


「ねぇねが強ければ強いほど。手前たちへの愛情が伝わってくる。ああ、ああ、うあぁ! 好きだよ、ねぇね! 大好きだよぉ!」

「…………」

「だから、行かないでよ! ねぇねぇ! 死んじゃうのはいやだぁ……」

「…………」

「頑張ってないなら頑張るから。一生懸命するから! 良い子になるから!」

「努力は知っています。私が言っているのはそういうのではないのです」

「手前たちはこれでいいの。ねぇねが居てくれればそれでいいの!」

「違うのです。貴女たちが私に縛られているのが問題なのです」

「別にいいの!」

「もっと自由にしてほしい。この願いもまた貴女たちには縛りになってしまうのでしょうね」

「ああああああああああああ。なんで、なんで解ってくれないの!」


 悲鳴と共にホクトはナンノへ走ると拳を叩きつけた。衝撃はない。空気を拳形にした張りぼてのよう。無力さは姉の表情を冷たく塗るだけで泣きじゃくる妹をただただ見つめているナンノが一番辛くみえた。

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