小説『君たちはどう生きるか』を読んだ

 前回は、映画『君たちはどう生きるか』について記したが、今日の題材は同名の小説。

 宮﨑駿監督の映画とこの小説とは、表題は同じでもストーリーなどに直接的な関係はないということが公開前から言われていた。

 ただ、もしかしたら遺作ともなるべき映画の制作にあたって、この表題を選んだという事実からも、少なくとも間接的には、大きな脈絡が推察された。

 実際、映画の中の一場面にも、この図書が登場している。

 もっとも、その関係性の質や程度については、宮﨑氏本人でも説明は難しかろうし、鑑賞者個々の解釈によっても異なるだろう。

 いずれにせよ、この件について、ここでこれ以上敷衍ふえんするつもりはない。


 この小説は、数年前にこれを原作とした漫画が出版され、大いに話題となった。漫画はベストセラーとなり、二百万部以上を売り上げたとされ、現在でも書店で見かけることが多い。

 ただ、僕はその漫画も含めて、これを今まで一度もこれを読んだことがなかった。どうも食指が動かなかったのである。

 しかし、映画を観るに先立って、関係性の何如いかんは措いておくにしても、やはり小説はあらかじめ読んでおくべきだろうと考え、映画鑑賞の数日前に図書館からワイド版岩波文庫の当該書籍を借りて、二日間ほどで読了した。


 読んでいる最中の第一印象としては、山本有三の『路傍の石』、佐藤紅綠の『あゝ玉杯に花うけて』、あるいは、エドモンド・デ・アミーチスの『クオレ』など、近代の少年向け教養小説に共通する〝匂い〟を感じた。すなわち、大人側の思惑で、年少者を倫理的に導こうとする、いささか説教臭い雰囲気である。

 ただ、『クオレ』において展開されているところの倫理とは、十九世紀後半のイタリアの情勢――数十年に及ぶRisorgimento(イタリア統一運動)を経て誕生した統一的新国家・イタリア王国――を背景とした国家主義的なものであるのに対し、『君たちはどう生きるか』については、戦前の教養小説でありながら愛国的な要素はほとんど感じられず個人主義的な要素が強い。

 これは、作者の思想と大いに関係がありそうである。


 同小説は、一九三〇年代半ばに、既出『路傍の石』の著者でもある山本有三が中心となって新潮社から刊行されていた『日本少國民文庫』の最終配本として一九三七年(昭和一二年)に出版された。本来は、山本自身が執筆予定だったが、体調不良のため、実際のところは吉野源三郎が執筆し、当初の出版に際しては山本との共著として、世に出ている。

 山本は、戦前の検閲制度を批判するなど自由主義的な言動を行った人物として知られている。

 その若年の知己である吉野は、戦前は治安維持法による逮捕歴があり、戦後は、雑誌『世界』の初代編集長として革新的な思想を前面に押し出し、「平和問題談話会」の設立にも尽力した、いわゆる〝進歩的文化人〟の源流的な人物である。

 ただ、山本については、戦前、既述のように検閲制度の批判運動に身を投じたり、共産党への資金援助の疑いで検挙されたりしている一方、戦中においては、日本文學報國會の理事を務めたり、帝國藝術院に名を連ねたりするなど、国家権力におもねるような日和見的な動きも目立つ。さらに余談ながら、山本は戦後の国語改革の中心的人物であり、当用漢字や現代かなづかいの制定などに大きな影響を及ぼした。僕から見れば、日本語に対して破壊の槌を振るった張本人とも言え、どちらかと言えばネガティヴな印象を禁じ得ない。

 一方、吉野には山本のような日和見的なところはあまり見られないようである。


 『君たちはどう生きるか』に通底しているのは、博愛主義ともいうべき人間一人一人の人格の尊重と、網の目のように世界規模で広がった相互の連関に対する感動である。

 二・二六事件の翌年、まさに盧溝橋事件が起き、支那事変が始まるようなタイミングに、このような内容の少年向け小説がよくも出版できたものだと思う。


 小説の主人公は中学一年生のコペル君。

 本名は本田潤一であり、コペルニクスに因んで、同君の母方の叔父さんからつけられたニックネームが「コペル」である。

 小説の出版年である一九三七年(昭和一二年)に中学一年ということは、一九二四年(大正一三年)生まれと考えられ、三島由紀夫などと同学年にあたるのではなかろうか。

 大東亜戦争の末期に学徒動員された年代であり、その一割弱が戦死したと言われる。コペル君たちも、もし現実世界に生きていたならば――と、その運命が懸念される。

 僕自身の父母は、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版された頃合いに生まれている。そうして、僕の母方の伯父のうち三人は、コペル君よりもほんの少し上の年代という計算になる。それぞれが召集され、南方や大陸の戦地に赴き、シベリヤに抑留された伯父も居る。幸いなことに三人とも無事生還を果たしたが、そうではなかった家庭も当時は非常に多かった。


 コペル君は不幸なことに母子家庭ではあるが、中学に通うことができるような、当時としては裕福な境遇にある。ちなみに、昭和初期の中学への進学率は、同年代の一割程度とも言われる。

 小説の中には、「貧しき友」という位置づけで浦川君という少年が登場する。浦川君はコペル君の同級生で、家は小さな豆腐屋を営んでいる。浦川君は毎日、店の手伝いに明け暮れているため、授業中はついつい居眠りをしてしまい、制服には油揚の臭いが染み込んでいる。また、弁当のおかずにしても油揚だけという粗末なもの。

 意地の悪い同級生の数名は、自分たちとは境遇の違う浦川君を下に見て、何かと莫迦にするのだが、コペル君は浦川君と対等な友情を結び、親身に寄り添おうとする――そんなふうなエピソードが展開される。


 先に僕は、この小説のことを説教臭いと言ったけれども、さすがにこれらの箇所については、読んでいて目頭が熱くなるような思いをした。

 ただ、貧しいと言っても、浦川君の家は、かつかつながらも何とか息子を中学校に通わせるだけのことは出来ているのである。

 コペル君の叔父さんも「世閒には、浦川君のうちだけの暮しも出來ない人が、驚くほどたくさんあるのだよ。その人たちから見ると、浦川君のうちだつて、まだまだ貧乏とはいへない」と説いている。

 まさに、僕の伯父たちも「浦川君のうちだけの暮しも出來ない」家に生まれ、中学どころか高等小学校にも通うことが叶わなかった。

 この小説を読みながら、僕はそうした時代背景や、僕の伯父たちを始め、あの時代を生きた先人たち、特に「浦川君のうちだけの暮しも出來ない」境遇に甘んじざるを得なかった、たくさんの先人たちに思いを馳せた。


 ところで、ワイド版岩波文庫『君たちはどう生きるか』の巻末には、丸山真男による解説がある。これは、一九八一年から一九八二年にかけて書かれたものであり、「資本論」「ブルジョワ」「階級」などの言葉が散りばめられ、「鶴見俊輔」という人名も登場する。

 作者の吉野源三郎自身、そうであるが、いわゆる〝進歩派〟の匂いが濃厚である。

 僕自身は、これらの人々を、文字通りの意味において「」派とするのには、極めて懐疑的である。僕はむしろ、当時これらの理想(空想?)主義的な人々から反動と見なされ、村八分的な扱いを受けた、福田恆存らの現実主義的な見識の方を是認する。

 こういう事情もあって、僕は小説『君たちはどう生きるか』がいかに称賛されようとも、その漫画版がいかに話題になろうとも、なかなかそのページをめくってみる気にはならなかった。

 ところが、今回この小説を読んでみて、いささか自らの偏見を払拭する機会を得た。

 僕自身心を打たれる場面や考察が随所に出てきたのは事実であり、今や当該作品を一つの名作と認めるにはやぶさかではない。

 ただし、これが書かれた戦前の時代背景から戦中・戦後にかけての諸事情、ことに、戦後民主主義の歩みとそれに対する冷静かつ客観的な評価等々について、さまざまな事実を踏まえつつ深く考察する必要性を、あわせて付言したい。






                         <了>





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