欲しいもの

 家人と家を出ると、大きな声がした。

 辺りを見回したところ、立木の根方に烏を見付けた。

 嘴細烏はしぼそがらすなのだが、中々に立派な体格である。群に加わることもなく、一羽のみ悠然たるもので、僕達が近付いても、怯えて逃げ腰になんぞなるものではない。のっしのっしと大股で歩いており、「ハローハロー」と親愛なる挨拶を差し向けても、人間どもは眼中に無しといった風情で、こちらには一瞥もくれぬ。僕達が通り過ぎんとしたとき、背中の毛を逆立て、頭を上下に振立てながら、さらに二声程咆哮した。

 この辺りでは、しばしば街灯の上や欅の梢から四囲を睥睨へいげいし、たけびを挙げている孤高の烏を目にするが、どうやらかれらしい。


 烏から離れた後、水辺に着いたのだが、ここでの目当ては大鷭おおばんである。

 大鷭は、俳句の季題では夏と定められているが、この辺りでは断固として冬鳥である。かようなところからも、僕は結社などが人の賢しらで恣意的に定めた歳時記というものを信用しない。神ならぬ人が定めたに過ぎぬ決まり事を無闇に珍重し、盾に取り、やれ季が違うなどとしたり顔でのたまじんがいらせられるが、天然を眼前にして詠ずるに、季寄せが正しく天然が誤りなどという莫迦な法は無い。季が違っているのは、歳時記の方である。増上慢もほどほどにするがいい。

 いけない、いけない。子供染みた慷慨を口にしてしまった。

 大鷭に話を戻そう。この鳥が水に浮かんでいるのを指さして、鴨だ鴨だと喜んでいる子供を見かけたりもするが、さにあらず。こちらは水鶏くいなの仲間、鶴の遠縁である。全身黒い毛におおわれているが嘴は白く、その白が額の方に広がって面頬めんぽおのような防具然となっている。これを額板がくばんという。

 この鳥のことを支那の言葉で「骨頂鷄」と言うそうだが、「骨頂」というのは蓋し白い額板の形容であろう。なるほど、巧い名付けである。ただ、この額板、固そうに見えるが骨質ではなく、肉質だという。

 全体としては黒く地味な鳥ながら、顔付は黒に白という鮮やかなコントラストが目立っている。先述の烏のように黒一色の鳥とは随分と印象が異なる。

 吾が家では普段、かれらのことを大鷭とは呼ばない。嘴から額に到る面持ちに親しみを込めて、「鼻白はなじろ」と呼んでいる。先程の烏同様、水際に群れている鼻白君達にも「ハローハロー」と親愛の挨拶をしたのだが、そそくさと沖合に離れて行ってしまった。随分と嫌われたものである。

 ところで、鼻白は顔のみならず、趾の様子もまた奇態である。例えば鴨の趾は、蹼足ぼくそくといって指と指の間にまんべんなく水かきが張っているが、大鷭の場合は、隣の指同士が膜で繋がることなく、指一本ごと膜が骨の両側に広がっていて、さながら木の葉のような形状となっている。これを弁足と言う。かいつぶりなどの趾も弁足である。ただ、大鷭の水かきは、指の関節ごとに膜が分かれて付いているのに対し、鳰の水かきは指一本全体に膜が広がっているのが違っている。

 大鷭と近縁で似た姿の鳥にばんが居るが、鷭の趾には水かきが無く、弁足とはなっていない。また、大鷭と言うからには、鷭よりも図体が大きいイメージが惹起されるが、僕が見てきた限りでは両者の体格に顕著な差異は無く、似たり寄ったりの大きさに感じられる。


 さて、水辺を過ぎて二人組は駅に着いた。これから近傍の街に向かうのである。その駅の歩廊の屋根裏には沢山の雀が梁の間を飛び回っている。随分と姦しいものである。電車を待つ周囲の人に憚って、聞こえぬほどの声で「ハローハロー」と雀たちに挨拶をしたが、渠らに届く筈は無い。よし、届いた所で、驚いて逃げられることが関の山だろう。

 ここの屋根の梁には、一ヶ所、雀が止まるのに恰度好い足場、或いは、巣を懸ける場としてもよさそうな、小さな板が打ちつけてある。この構造は誰が何のために拵えたものなのかは判らないが、人間のために益するところは全く無さそうに思われる。もし、駅員が雀のために取付けてくれたものであったら、非常にありがたいと思う。

 ところで、雀はかなり勝気な鳥である。群を成してはいるが、その中で他の個体と激しく喧嘩をしている様子もよく目にする。しかるに、今日は互いに鳴き交わしながら、皆が仲良く飛び交っているようである。

 重畳、重畳。


「何も欲しいものはないけれど、聞耳頭巾がもしあるのなら欲しい」


 家人がふとそんなことを呟いた。

 成程、聞耳頭巾は好い。それならば僕も是非欲しい。

 可愛らしい近隣の友たちが、どのような愉しいことをお喋りしているのか、何とも聞いてみたいものである。そうして、できることなら、僕らの「ハローハロー」にも、愛想よく応えて貰いたい。


 ただ、よくよく思案すると、聞耳頭巾を手に入れるのも、或いは考えものかも知れない。

 何となれば、妙に利口ぶった人間とは違って、虚飾に囚われず、何も憚らぬかれらの無邪気な自我エゴを思うに、そこから飛出す純真かつ辛辣な吐露が、善人ぶった僕らの耳に鋭く突刺さることも、屹度少なくはなかろうから。



                         <了>





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