なかがき

9月31日

 縄文人は、共同体の成員の証として、前歯に溝を掘る研歯や抜歯を行っていたという。

 また、奈良時代以降では、成人になったことを示すために元服を行い名前を変えた。

 要するに、以前の自分とは違うということを他人に示していたのだ。

 通過儀礼。

 今のご時世にそんなものはない。一応あることにはなっているが、試練の無いそれは有名無実。自ら変わろうとする者が試練を乗り越えて初めて通過儀礼は成立する。間違っても、自治体の長からご高説を頂く事が主なのではない。

 まあ、仕方のないことでもある。コンプライアンスやら体罰やらいじめやらで騒がしい世の中だ。望んでいない人間に試練なんて与えようものなら、即座に方々からバッシングを喰らって、社会の底に叩き落とされるに違いない。少なからぬ人間が、そのニュースに飢えて見張っている。

 そのお陰で、今の人は通過儀礼に苦労しない。数少ない苦労と言えば、成人式で、お偉いさんのつまらない話をじっと聞かなければならないこと、くらいだろうか。

 では、自らが代償を払う通過儀礼などなくても、周囲の人間が大人と認めれば、俺も大人ということだろうか。俺は、大人であると自覚しなくても大人になれるのだろうか。

 つまりそれは、俺個人の主観など、どうでも良いということなのか。

 もしかして俺は、実感がない、納得できないと我侭を言って、大人になることを拒んでいるだけなのか。

 俺には、分からない。

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