第29話 国見久子5

「心配しないで、まだ学校中を捜し回ったわけじゃないから」

 沢田貴子が、肩を落とす国見久子を優しく励ました。彼女は、頼もしい友達がいることに感謝した。

「そうだね。だったら、普段生徒が近寄らない場所だね」

「近寄らない場所か」

 沢田貴子が頭をひねる。

「でもこんな事、誰がやったのだろう?」

「やっぱり一番怪しいのは、担任だよ。久子にあんな事したんだから」

「確かにあいつが、一番怪しいね。ふふふ」


 国見久子も、沢田貴子と同じ意見だった。他に疑わしい人物は浮かばなかった。しかし担任だとして、なぜそんな酷い事をしたのか、二人には検討が付かなかった。


「早く来て、見張っていようか?」

 沢田貴子の提案に、国見久子は顔をしかめた。

「無理無理。私、早起きできないもん」

 消極的な彼女に対して、沢田貴子は意外にも乗り気だった。小さな瞳を輝かせていた。

「そうだよね。久子、朝苦手だし。でも一日くらいだし、頑張ってみようよ」

「うーん。一日だったら、大丈夫かな」

「じゃあ、決まりだ。明日、一緒に早く来てみよ」

「ううん、分かった。貴子も遅刻しないでよ」

 国見久子が、沢田貴子の提案に賛成したのは、やはり席の無い授業に懲り懲りしていたからだった。それに次第に彼女の状況が悪くなっていることを考えると、次は沢田貴子の席も無くなっていると、簡単に想像できたからだった。友達に迷惑を掛けたくなかった。

「私? 私の心配より、久子の方が心配だよ」

「そうだけど」

「そんな顔しないで、きっと大丈夫よ。朝早く起きるだけだから」

 沢田貴子は、悪戯っぽく片目をつぶって見せた。


「随分とおかしな事になったな」

「国見、朝ちゃんと起きられるのか?」

「だったらいいけどな」


 国見久子と沢田貴子の作戦は、翌朝決行された。彼女は眠い目を擦りながら、何とか学校に登校してきた。母親の力を借りて、朝早く起きて来れたのは奇跡的だった。彼女は、昇降口で待っていた沢田貴子と出会った。

「おはよう、久子。朝、起きれたんだね」

「うん、お母さんに起こしてもらったけど」

「急ぎましょ。先生もう来てるかもしれない」

「もう?」

 流石にホームルームが始まる三十分も前だったから、昇降口にも廊下にも、階段にも他の生徒は見られなかった。国見久子は、不思議な優越感に駆られた。いつも遅刻ぎりぎりで登校してくる国見久子にとって、ここにこうして朝早く二人だけでいることが、何か素晴らしいことを成し遂げたように思えた。

「一番、乗りなんて初めてじゃない」

 国見久子が階段を早足で上っていると、上の方で何かゴトゴトと物音に気づいた。

「こんなに早く誰だろう?」

 二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。それから用心しながら、上へと階段を上っていった。音の正体は、すぐに分かった。机と椅子を抱えて、担任の先生が下りてきたのだ。


「あっ。その机と椅子、私のだ」

 思わず漏れた声だ。国見久子は思ったより大きな声が出て、慌てて口に手を当てた。先生は机と椅子を重そうに抱えたまま、階段の途中で足を止めた。

「おや、国見。こんな早い時間に珍しいじゃないか」

 先生は友達にでも出会ったように、気安く彼女に微笑んだ。先生が親しみを掛ければ掛けるほど、彼女は背筋が冷たいものを感じた。


「先生が私の机と椅子、持って行ったんですか?」

「そうじゃない。先生が持って行ったんじゃないよ」

「じゃあ、誰がやったんですか?」

 沢田貴子が、横から尋ねた。

「それは言えない」

 先生は冷たく言った。

「言えない。どうしてですか?」

「それはな。もうしないって、本人も反省しているからだ。やったことは悪い事だが、それでみんなから責められることになるだろ。生徒に、犯人探しをして欲しくないんだ」

 先生の意思は固かった。何を言っても、それは変わらない。質問を変えるべきだと、国見久子は思った。

「じゃあ。どうして、そんな事したんですか?」

「ちょっと、むしゃくしゃしてやったんだって。困っている国見を見て、楽しんでいたんだ」

 先生は、溜め息をついた。


「そんな、酷過ぎます」

 国見久子は、感情的に言い返した。

「久子の机と椅子は、どこにあったんですか?」

「屋上へ出る踊り場に置かれていたよ」

「そんな所に? それじゃあ、見つかるはずがありません」

「もうこの件は、これでお仕舞い。二人ともこれ以上、騒がないようにな」

 先生は、二人に念を押すように言った。そんな事、認められるはずがない。当然、彼女の不満は募った。

「そんなの納得できません」

「国見。まあ、そう言うな。その生徒を責めたって、どうにもならないだろ。それじゃあ。先生は机と椅子を運ぶから、お前たちは教室に戻っていなさい」

 先生は机と椅子を手に、二人を残して階段を下り始めた。席の件は、まだ国見久子の中では解決していなかった。彼女は、先生の後ろ姿を疑うような目で見詰めた。


 その後、国見久子の机と椅子が無くなることはなかった。彼女ができるだけ遅刻をしないように、登校してきたからだ。


「何ともおかしな事件だったな」

「でも、解決して良かったじゃないか」

「そうか。国見、お前の中ではまだ解決していないんだな。そういう事って、よくあることだ」

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