第5話 城内愛子1(じょうないあいこ)

 人に言えることと言えないこと、打ち明けられることと、打ち明けられないことの違いは何だろう。ぼくは実際には、そんな大差なんて無いと思っている。親友にだけ話せることとか、家族や先生にだって話せないことがあるにしてもだ。


 例えば、絶対に秘密だと内緒話する時、絶対に秘密なのだから、他人に話している時点で、それはある矛盾を生じていることに気づかないでいることがあるように、きっとそんな違いには、誰も気づいていないんだ。


 ただ自分以外の人間に、知られたくないことだって、ふとした拍子に誰かへ話したくなることがあるはずだ。


 自分とは全く無関係な人間がいたなら、その人に背中の重荷を取ってもらうことを切望することだってある。それが自分の深刻な悩みであって、自分一人じゃとても支え切れないのなら、なおさら人の助けが必要だろう。


 いいじゃないか。そろそろ重い荷物を下ろしたって、それまで自分一人で頑張ってきたんだから、もう無理することないと思うんだ。たとえそれが自分の醜態を曝け出すことになったとしてもだ。


 城内愛子は、一つの嘘をついた。それは、たった一つの嘘だった。秘密を作るための嘘で、嘘をつくための秘密だった。ついてしまったからには、後戻りはできないこともある。撤回なんて容易にはできなかった。


 城内愛子がついた嘘とは、何だったのか。ぼくは、彼女がどんな嘘をついたか、どうしてそんな嘘をついたのか、気掛かりだった。


 その嘘のせいで、彼女が窮地に立たされたのは明らかだったからだ。


 嘘はつき通せば、本当になる。そんな言葉も聞かないわけではない。でも、それは真実とは言えない。


 嘘がバレないうちは、何でもないと思っているなら、それは大きな間違いだ。自分でも気づかないうちに、気づいていない振りをしているうちに、目が眩むほどの崖先に立たされている場合が多いからだ。それを知らないのは自分だけで、気づいた時には時既に遅し、奈落の底に真っ逆さまだ。


 金曜日の放課後、城内愛子は嘘をついた。金曜日の放課後とは、彼女たちにとって、特別な意味を持つ曜日だった。翌日学校がないから、秘密は守られる。どんよりとした曇り空の下で、その空模様に似合った瞳の色で告白した。まるで気まぐれみたいに、軽い世間話をするつもりで、彼女はたった一人の親友に、そんな嘘をついた。それは、ついてはいけない嘘だった。


「なあ、城内。どうしたんだ。あんな嘘をついて。 それも親友に。まあ無関係な人間だったら、何をついてもいいってもんじゃないけど」

「それって、見栄とは違うだろう。結局、親友が羨ましかっただけじゃないだろうか」

「今更、そんな事言っても仕方ないだろ。後悔先に立たずだ」

「まあ、そんな浮かない顔するな」


 その嘘が、二人の関係を歪めてしまった。嘘は存在しないものを、存在してはいけないものを、城内愛子の外側に作り出した。城内愛子が嘘をつくことで、彼女の外に存在しないものが産み落とされた。


 それは親友である者を、否定するものを作り出した。それは化け物と言ってよい。化け物は、人の手には負えない。それを退治できる者は、恐らくいない。もしいるとすれば、それは城内愛子自身だろうと、ぼくは思う。


「おい、城内。親友がなぜ来なかったって、心配してだぞ」

「それを、どうやって説明するんだ。ぼくには、ちょっと想像できない」

「困ることはないさ。正直に言えば良かったんだ」

「言うか言わないかは、勇気の問題じゃないと、ぼくは思っている」

「結局、何だって切っ掛けが必要なんだろ。でも、その切っ掛けを掴むのは、案外難しいことなんだ」


 水曜日の休み時間に、城内愛子は担任の松波に呼び出された。進路希望の用紙を白紙で出してしまったからだ。松波は浮かぬ顔で、用紙を彼女に突き返した。再提出を命じた。とにかく白紙は駄目だ。何でもいいから、白い所を埋めなさいと説教をした。彼女は生返事をして、職員室から出ていった。教室へ戻ってくると、生徒のうろつく廊下を歩きながら考えてはみたが、白紙を埋める言葉は見つからなかった。


 お前の成績なら、第一志望はこれだなと言われた、学校の名前はぱっとしなかった。希望も何もなく、最初からその学校だと決めつけられている気がした。一体、誰が決めたのだろう。自分か、それとも先生か。運命を持ち出すなら切りがない。


 嫌とか嫌いとかじゃなく、城内愛子には明確な目標が定まっていなかった。自分が将来一体何になりたいのか、何をしたいのか想像できていなかった。でも、そういう生徒は、同じクラスに少なくなかった。みんな進路は迷うもの。迷わない者は、既に決められているか、何も考えていないからだ。


「城内、お前。白紙で出すなんて、勇気あるよな。ぼくだったら、まだ最終決定じゃないんだ。先延ばししてもいいんだから、嘘でも何でも間に合わせなことを書いて提出するけどな」

「そこは、誰だって書くだろう。考える必要のない所だから。そうしないと、誰が書いたか分からないだろ」

「そりゃ、怒られて当然だ。みんな真剣に書いているんだ。呼び出されたのは、お前一人だったというだろ」

「まあ。面倒臭がらずに、真面目に考えることだな。いやお前の場合、真面目に考え過ぎなのかもしれないな。そんなこちこちの頭じゃ、何も考えられないだろ」

「結局、人任せにできない、自分で決めなければならないことなんだ」

「ふふ、別に担任と同じようなことを言うつもりはないよ。お前には、親友がいるんだ。彼女と同じ学校を受験するというのも手じゃないかな」

「そういう理由なら、やっぱり自分で考えるしかないな」


 木曜日の下校途中で、城内愛子は待ち伏せを食らった。それは、親友を先に帰らせてしまうくらいの、不意打ちだった。待ち伏せをしていたのは、よそのクラスの男子生徒だ。西本孝治は、野球部だったが、三年生は受験があるために、クラブ活動は既に引退していた。身長はひいき目に見ても高くなかったが、彼女とはそれほど変わらなかった。スポーツマンらしい、丸刈りをしていた。


 西本孝治の行動は、受験とはまるで正反対のことだった。卒業を迎える前に、何とか自分の思いを伝えたということは、どこのクラスでもよくあることだ。

 が、舞い上がっているのは、西本孝治本人だけで、城内愛子の方はといえば、それ以上でもそれ以下でもなかった。

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