第35話

『ヴェラ。君がこの日記の存在に気付いたと言うことは、僕はすでにリリアンさんの虜となっているのだろうね。

 と言うことは君を酷く悲しませ、苦しませているのだろう。本当にすまない。謝罪してもしきれない。


 父の所業、そしてリリアンさんに与えられた魔法、それに対抗できる成分を持つ植物については、他のページに書かれた通りだ。

 これは僕が独自に調べたもので、まだ確実な証拠が存在しない。後のことを君に任せるしかない。


 リリアンさんのことを知ったのは彼女がこの研究所に来る数か月前、父の会話を聞いたからだ。

 父は昔馴染みの誰かと電話で話していて、脳科学のこと、そしてリリアンさんに与えた魔法、彼女を使って今後発展する研究のことを誇らしげに語っていた。


 僕は酷く恐ろしくなった。

 こんな男の血を引いている自分が、そしてこんな男の野望のための道具とされた女性がいることがとても恐ろしくなった。


 僕は独自で父とリリアンさんのことを調べ始めた。

 最初は上手くいっていると思ったが、やはり僕は愚鈍な人間だ。途中で父に気付かれてしまったらしい。

 リリアンさんは、僕を操る人形を作成してしまったようだ。恐らく自我を保っていられるのもあと少しだろう。


 ヴェラ、ヴェラ、愛しいヴェラ。本当にすまない。

 温室の植物が十分な量になるまで、恐らく意識が持たないだろう。後を君に任せるしか出来ない、頼りない僕を決して許さないでくれ。


 だが今後の魔法研究のためにも、父を野放しにしていては駄目だ。

 君の正義と、魔法研究の進歩を願う夢を信じ、僕はこれを託す。これでリリアン女史の魔法に対抗できるはずだ』


 クロードが自身のパソコンの中に残していた文章の一部である。

 ただの会議資料に偽造されており、一度見ただけではこの文面にたどり着けない。

 しかもいくつものトラップが仕掛けられており、潜り抜けた先にはヒントのないパスワードを入力する仕様となっていたらしい。


 だがこのプログラム自体は、学生時代にヴェロニカとクロードが作成したものだった。

 彼女であれば、否、彼女でなければその本質にたどり着けないこの仕組みは、クロードは自我を失う最後まで婚約者を信じていた証拠でもある気がした。


 ヴェロニカを愛し、彼女の夢と魔法学会を愛した男は……もういない。

 やるせなさを感じながらも努めて普段通りの表情で、ヒオリは病院の待合室で優雅に椅子に腰かけていた赤毛の研究者へと近寄った。


「ヴェロニカ女史、お疲れ様です」

「あら、ヒオリさん。お体はもういいの?」

「ええ、ヴェロニカ女史は?」


 尋ね返すと彼女は微笑み、「私も大丈夫ですわ」と頷いた。

 事件が収束してすぐに、ヒオリとヴェロニカは病院に搬送された。魔力を持った植物を体内に取り込んでいたのだから、当然である。


 入院とまでは行かなかったが、しばらくの通院が義務付けられた。

 クロード所長の顛末を見た身としては自分にも何か影響が出るのかと心配していたが、数日経っても体にも心にも影響は出ていない。

 抗体として植物を使ったからだろう、と一応は結論付けられている。


 そしてそれはヴェロニカも同じようだ。

 数日前より顔色の良くなった彼女に断りを入れて横に腰掛けると、赤毛の博士は目を伏せてヒオリに告げた。


「クロード様が魔法協会にお義父様の不正を密告したことを聞きましたわ。あの方のおかげでニールさんがこちらに来たとか」

「……そう、でしたか」

「自宅も片付けましたし、手放すことになるでしょうね。もう住む人間もいなくなるでしょうから」


 そう言った彼女は目を閉じたまま、じっと何かを考えている様子だった。

 今は無き愛しい婚約者のことを思っているのだろうか。声を掛けづらい空気を漂わせる彼女をおもんばかり、ヒオリはしばらく口を閉じていた


「私はお義父様はもちろん、リリアンさんを永遠に許しません」


 やがて瞳を開いた彼女は、冷たい口調で語りだす。


「このままじゃリリアンさんが被害者のように言われ続けますわ。確かに彼女は一方で被害者だけど、加害者でもあるのに」

「ええ、そうですね。私も同じ意見です」


 ヒオリは頷き、ここ最近世間を騒がせているディアトン魔法研究所にまつわるスキャンダルを思い出していた。


 前所長ヴィクトルの醜聞はあっと言う間に世間に広がり、その名声は地に落ちている。

 彼はこれから思い罰を受けるだろう。だが自業自得、誰も擁護する人間はいない。


 だが意外なことにリリアンに対して、世間からは同情の目が向いているのだ。

 研究欲に取りつかれた悪魔に人生を狂わされた可哀想な女性。まだ未熟なうちに脳をいじられ、望まぬ力を手に入れてしまった被害者。


 確かにそれも間違いではない。

 だが、彼女はただの哀れな被害者ではないのだ。


「こんな結果になった原因はリリアン女史にもあります。前所長が手を貸したから事が大きくなっただけで、その手を取ったのは彼女ですから」


 何とか一命を取り留めたリリアンは、いまだに眠り続けている。

 彼女の独善的な正義は二度と執行されることはなく、今後目覚めたとしても魔法は制御されるだろう。


 願わくはリリアンにもきちんと罰を受け、反省してもらいたい。

 婚約者を奪われたヴェロニカ女史は、己よりその気持ちがずっと強いはずだ。


「……ヴェロニカ女史はこれからどうするのです?時期所長へという声もありますが」

「そうですわね。それも良いですが……、もう少し研究業に専念していたくもありますわ」


 そう言って微笑んだ彼女の名が、受付で呼ばれる。

 立ち上がった彼女は「では」と礼をして、背を向けて歩き去っていく。


 凛として強いその姿を、ヒオリは黙って見送った。


§


 診察を終えて病院を出ると、門の前に見慣れぬ車が停車していた。

 無機質な白の建物に似つかわしくない、格好つけた青のスポーツカーである。


 「なんだ?」と眉間にしわを寄せていると、運転席に座っているのが知っている人物だったことに気が付く。

 目を瞬かせると助手席のドアが音を立てて開き、中から「送りますよ」と甘やかな男の声が誘った。


「ニール……」

「どうぞ、ヒオリ殿」


 ハンドルを握る青年は、ヒオリに向けて胡散臭い笑みを浮かべる。

 その表情と助手席を交互に見て逡巡したが、小さく吐息をもらして車へと乗りこんだ。

 外見だけでなく内部もまた立派で格好つけている。だがこの車を運転するニールはさぞ映えるのだろうなと感じて肩を竦めた。


「こんな車で登場するなんて。貴方、ずいぶんかっこつけね」

「支給品なんですよね、これ」

「魔術協会ってお金が余っているのかしら?うらやましいことね」


 ヒオリがシートベルトを締めたと同時に、男は苦笑しながら車を発進させる。

 運転席に座るその姿はやはりと言うか、妙に様になっており心をかき乱してくる。

 腹立たしさと気恥ずかしさが相まって視線をバックミラーに移し、遠ざかる病院を見送っていた。


 やがて、ニールが静かに口を開いたのは、一つ目の信号で停車した時だった。


「リリアンさんの家の庭から、ご家族四人のご遺体が発見されたそうです」

「……そう」


 ハンドルを握る彼に視線だけを向け、ヒオリは感情のこもらぬ声で小さく頷く。

 ニールの顔は険しく、雰囲気は固い。彼が己と同じ気持ちになっていることは、想像に難くなかった。


「彼らもリリアンさんの魔法の犠牲になっていたと見て間違いないでしょう。調査はこれからですが」


 ニールがそう言ったところで信号が青に変わり、再び車内に沈黙が訪れる。

 犠牲になった人々の顔が頭を過り、ヒオリの心はずんと重くなった。


 あの家の庭……例の植物が生えている場所に何か埋まっているのでは、と最初に言ったのはニールである。

 クロード所長が最後に植物に変化したこともあり、ヒオリも何か良くないものがあるのだろうと考えていたが……やはりと言う結果だった。

 出来ればこの予感は外れていて欲しかったな、と短く息を吐く。


 哀れな一つの家族を埋めたのは、リリアンか、それともヴィクトルか。

 今後の調査で明らかになることを切に願いながら、ふと脳裏に元凶である二人の顔が思い浮かぶ。


 改造されてしまったリリアンはもとより、ヴィクトルもかなり具合が悪く、いまだに入院を余儀なくされている。

 件の植物から作られた魔法の薬は、老体をずいぶん痛めつけていたらしかった。


「ヴィクトル前所長とリリアン女史の具合はどう?意識はあるのかしら?」

「ヴィクトル前所長は集中治療を受けていますが、意識ははっきりしているようです。しかし、リリアンさんはまだ……」


 ゆっくり首を横に振る彼に、「そう……」と簡潔に頷く。

 先ほどのヴェロニカ女史との会話を思い出すと、もどかしい気持ちが溢れ眉間にしわが寄ってくる。

 このまま目覚めなければ、世間はリリアンを『被害者』としてしか認識せず、事件は過去のものと忘れ去られてしまう。


 それこそ本当に、リリアンの思う壺。

 彼女自身は可哀想な被害者で、他に極悪人がいた。そして彼女の無念が極悪人を断罪した。そう言う筋書きになってしまう。


 だがそれだとあまりにも、巻き込まれた人間が報われない。

 燃えるような悔しさにヒオリの目が鋭くなった……瞬間を見たのだろう、隣にいたニールが、こちらの憂鬱を絶つようにきっぱりとした声を出す。


「大丈夫です。リリアン殿を可哀想な被害者にはさせませんよ」

「……え?」


 改めて彼を見れば、彼はぐっと強くハンドルを握りしめ、強い眼差しで前を見ていた。

 キッとブレーキが踏まれ、車が停まる。赤信号だった。

 ニールはふっと吐息を漏らして肩の力を抜くと、視線をヒオリへと向けて言葉を続ける。


「私は今回のことは忘れません。そして魔法協会も忘れないでしょう。罪は追及されます。例え何年かかろうとリリアン女史を目覚めさせ、その罪を自覚させる」

「……」

「彼女は他者を傷つけた罪人です。同情される側になど、立たせてはいけない」


 先ほどの甘やかさは何処へやら、しっかりとした意思を持った凛々しい声の主をヒオリは呆然と見つめた。


 ヴェロニカも恐らくリリアンに対してアクションを起こすだろうし、魔法協会が彼女のことを簡単に許すとは思えない。

 ならば己が願えるのは法の下で彼女が罰せられ、世間が彼女の罪を正しく報道するようになることだけだ。


 そう結論付けて、ヒオリは「そうね」と小さく頷き眉間のしわを緩めた。

 緊張感が薄くなったことにニールは微笑み、「そう言えば」と話題を変える。


「メル殿やハオラン室長はしばらくの入院で済むようです。他軽症の方もすぐに退院できるかと」

「ああ……それは良かったわ。それだけが救いね」

「もう面会も出来るようですよ。明日にでもお見舞いを買って行きましょう」


 努めて明るく言っているのだろう彼に苦笑して、ヒオリは頷く。


 もちろんクロード所長のように重症化した人間もいた。リリアンと特に仲の良かった博士たちがそうで、彼らは魔法協会直属の病院で集中治療を受けている。

 だが軽度な症状だけを訴えているものもいて、後遺症もなく退院できる人間が多い。

 あの悪夢の捕虜となったものが解放されることは、喜ばしかった。


 全てではないし、長く時間はかかる。しかしいずれディアトン魔法研究所は、元の形へと戻るだろう。

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