第21話

 様々なことを矢継ぎ早に言われて、考えがまとまらなかった。

 怒りにまみれた彼女の顔をしばらく見つめ、恐る恐る機嫌をうかがいながらぽつりと呟く。


「何を?『魔術師』?それは、もうずいぶん昔に……」

「そうね。でも『魔術師』になれる方法はあるのよ!わたしはその第一号なの!正義の味方なんだから!」

「なれる方法?正義の味方?リリアン女史、貴女いったい何を言って……」


 戸惑い、ためらい、震える声で訊ねれば、と彼女の瞳がぎろりとヒオリを睨む。


「とにかく、貴女はニールさんから離れて!貴女もヴェロニカさんと一緒に、罰をくだしてやるんだから!!」


 空気が震えるほど甲高い声を、顔を歪めたリリアンが発した瞬間だった。

 ずるりと何かが這いずる音がして、ぎょっとそちらに顔を向け……吐き気を催すような香りに顔を歪める。


 いつの間にか温室の扉を取り囲むように、例の植物がびっしりと生えたいた。

 蔦が扉を押し開け伸びて来た、わけではない。認識証がないゲートはぴったりと閉じている。だが蔦は壁から、床から、天井から突き抜けるようにこちらに伸びてきている。


 しかもその蔦の先端にある林檎のような果実はどんどん膨れていき、やがて熟れ切ったのかぱくりと割れた。

 ねろり、と粘り気のある果汁が床に落ちる。その僅かな後に、果実の中から粘液とともにどちゃりと大きなものが落下した。


 研究室の電灯に照らされてわかったその正体に、「ひっ」と小さく悲鳴を漏らして目を見開く。

 それは植物の種、ではなく、何と体長20㎝ほどの人形であった。


「これ、は……!」


 警戒して思わず立ち上がってしまったのは、ヒオリにとって幸運だった。

 刹那、人形はこちら目掛け飛びかかるように襲い掛かってきたのだ。危機感は最大限に達し、その場でさらに後ろに跳ねるように、ヒオリは逃げ出した。


「っ……!」

「待ちなさい!追って!皆、追うのよ!!悪者を追い詰めないと!!」

 

 背後からリリアン女史の金切り声、そして再びどちゃ、どちゃりと何かが落下する気色の悪い音が聞こえた。

 まだ人形は増え続けているのだ。肝が冷えるような思いがした。


 認識証を取り出してアロマ研究室の扉を開けて退出すると、急いで閉める。

 リリアンも認識証を持っているはずだから、これも一時しのぎにしかならない。


 人気のない、暗い廊下をヒオリは全力で走り、何か助けになりそうなものを探してあたりを見回した。


「誰か!誰かいないの!?ねえっ!」


 助けを求めて声を出すが、悲痛な叫びに誰かが反応することはない。

 時間が時間ゆえに研究員は帰宅しているとわかっている。しかしそれでも、残っていた誰かが気付いてくれる可能性にかけて声を出し続ける。


 追ってくる気配を振り切るように、誰かを探しながら走り走り……しかしふと、ヒオリは妙なことに気が付いた。


(この廊下、こんなに長かったかしら?)


 本棟と研究棟を繋ぐ、通いなれた渡り廊下のはずである。随分長いこと走っているような気がするが、曲がり角どころか突き当たりにも到着しない。

 無機質な研究所の通路が闇の奥深くまでずっと続いている。


 走れど走れど見えない先に、嫌な感覚がどんどん大きくなる。が、とても止まる勇気は湧き起らない。

 不安を抱え、やがて運動不足の体が息も絶え絶えになったころ、ようやく目の前にドアらしきものが見えて来た。


「あ……」


 訪れた変化に思わずほっとした。───のは束の間であった。

 現れたドアは、研究所の魔法認証ゲートではない。

 映画館や劇場に設置されているような重厚なそれには、『STAFF ONLY』と見覚えのあるプレートがかけてあった。


 ヒオリの心の中に冷たい絶望と焦りが入り込み、呆然とその場で立ち止まる。


「なんで?こ、れは、夢……?いえ、いったいいつの間に、私は寝て……?」


 ドアノブに手をかけることも出来ず呟くヒオリの背後で、ねちゃり、と粘り気のある足音のようなものが聞こえる。

 しかも一つではない。複数だ。あの人形たちが自分を追いかけてきたのだ。


 もはや戸惑うことすら恐ろしく、意を決したヒオリはスタッフルームの扉を開けて中に飛び込んだ。

 しかしそこは昨晩見た夢の場所とは違っていた。目の前には再び長い廊下が現れ、ぐっと顔が歪む。


 床には真っ赤な絨毯が敷かれており、研究所とは違う華美な装飾が施された壁が奥まで続いている。

 間違いなくそこは、夢で見た劇場の廊下だった。


「やっぱり夢なの!?これは魔法!?私は何処にいるのよ!?」


 もはや冷静さをかなぐり捨てて、ヒオリは叫び、走り続ける。

 不気味な気配が背後の扉を開ける、ガチャリと言う音がした。同時に何か粘性のものが床を汚す音も聞こえる。

 振り返ることも出来なかった。


§


 冷たく嫌な汗が背筋を、額を伝う。


(このままじゃ追いつかれる。どこか、逃げ込める場所は無い?)


 何となく見覚えがある場所は通るものの、劇場のような見た目になっているため正確な場所はわからない。

 夢の劇場と研究所が混じり合っているのか?そう考えたが確証は無い。


 恐怖と混乱と戦いながらヒオリは走り抜け───ふと右手側に大きな扉を見つけた。

 はあはあと大きく肩で息をしながら、深く考えることもせずに扉を開けて、足をもつれさせるように部屋へと入る。

 不思議なことに扉は認識証を使わずとも開いた。


 幸運なことに、部屋の中には誰もいない。真っ暗で静かなことは不気味だが、取り合えずの危険がないことにヒオリはほっと胸を撫でおろす。


 部屋の中心には子供用らしい小さな机が置いてあり、その影に身を隠すように腰を下ろした。

 混乱する頭で、何とか身に降りかかっている事態を整理しようと努力する。


(リリアン女史、リリアン女史はいったい何をしたの?あの人形は、何なの?)


 果実の汁にまみれた不気味な人形は見覚えがある。

 あれは間違いなくリリアン女史がこの世に送り出した、子供用魔法人形だ。


(何だって言うのよ、これは!?これは本当に夢なの!?これが魔法だって言うの!?)


 魔法の知識を詰め込んだ頭が高速で回転しているが、その中から適切な解答が出てくることは無かった。

 あまりにも己の常識を超えていた。いくら優秀な魔法博士がいたとしても、この状況を打破する考えが出てくるだろうか?


 脳みそがオーバーヒートしそうなほど考え込んでいると、ふいに扉を押し開ける重い音が部屋の中に響いた。

 ヒオリの体が凍る。が、次に聞こえてきたのは、あの気色悪いねばついた足音では無い。


 ヒールの高い女性ものの靴で廊下を歩く、繊細で美しい音。

 人形が追ってきたのではないのか?そう考えたがしかし、とても姿を現す気にはなれず、息をひそめてその者が立ち去るのを待った。


 だがその人物は、己がここに隠れていたことを始めから知っていたのだろう。

 迷うことなくこちらへ歩み寄り、ひょい、とヒオリの隠れる椅子を覗き込んで来た。


 さらりと流れるような赤い髪を見たとき、心臓がぎくりと跳ねたと同時に「あ」と声が出る。

 見覚えのある美しい髪の毛……そして屈みこむように己を見つめる美しいかんばせ。それが誰だかわかったと同時に、今一度「あ」と声が出た。


「……、ヴェロニカ女史?」

「ふふふ、こんばんは、ヒオリさん。貴女やっぱりこの夢の中に入っていたのね」


 この言葉遣いと瀟洒な仕草、目の前にいるのは間違いなく魔法道具部長、ヴェロニカ女史である。


 見知った顔だ。しかし先ほどのリリアン女史のこともあって、警戒もあらわに身を後ろに下げてしまう。


 令嬢は己のその様子を逃げまどう小動物を見る目で見つめ、くすくすと微笑む。

 不気味に歪んだ夜の研究所と相まって、冷たい美貌を持つヴェロニカの微笑は凄まじい迫力だった。


「警戒しないで頂戴。この夢に私は関係ないわ。貴女と同じ、ただ巻き込まれただけよ。昨晩も会ったでしょう」


 言われ、ヒオリは昨日の夜に見た劇場の夢を思い出した。

 STAFF ONLYと記された部屋の扉を開けたとき見えた人影……もしかしてあれはヴェロニカ女史だったのか?

 その疑問を持って彼女を見上げると、全てを理解しているのか彼女は優雅に頷いた。


「困ったものね。私も数日前からこの夢のことを調べていたんですの。あの趣味の悪い劇はご覧になったかしら?」

「ヴェロニカ女史も、あれを見たんですか?」

「ええ。リリアンさんは私をああいう風に見ていると言うことよね」


 にっこり笑うヴェロニカだが、その目がまったく微笑んでいないことにヒオリは背筋を震わせる。

 しかし同時に彼女が気になることを言っていたので、訪ねるためにおずおずと口を開いた。


「あの、リリアン女史と言いましたよね。彼女がこの夢を作り出したと言うことですか?」

「あら?貴女もすでにわかっているはずでしょう。この夢の元凶、そしてあの植物の元凶は、全てリリアンさんです」


 きっぱりと言い切るヴェロニカの姿に、ヒオリは二の句が継げられなかった。

 確かに先ほど見た彼女の言動、そして植物の実らしきものから生まれ出た人形……リリアン女史がこの件に関与している可能性は濃厚である。


 だが今起きている夢とも現実ともつかない現象は何なのか?

 何故彼女はこのような力を手に入れるに至ったのか?


 再び巡り始めた疑問に頭を悩ませると、頭上でくすりとヴェロニカが微笑む。

 彼女の方を見上げると、その表情は先ほどよりずっと優雅な笑みに彩られていた。


「ねえ、ヒオリさん。少々手伝ってもらえる?リリアンさんの秘密を暴きに行きましょう」


 そう言ってこちらに手を差し出す彼女は、まるでおとぎ話の女帝の如く堂々として艶やかだった。

 しかしその目は冷たく細まっており、ヒオリには誘惑する蛇のようだと感じた。

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