第14話

 急ぎ昼食を食べ終えて、ヒオリとニールはいささか嫌な予感を抱えながら魔法道具部門のある棟へ向かった。

 二人が呼びだされたのは道具部門の会議室であり、重い扉を開けると数十人の所員たちの視線が出迎える。


 中には呆れた様子のヴェロニカ道具部門部長と、ずいぶん疲れた表情をしたクロード所長の姿もあった。

 彼女らに声をかけようとしてしかし……誰かが靴音を響かせながら、こちらに駆け寄ってきたので足を止める。


「まあ、ニールさん。ようこそいらっしゃいました。わたし、わたし……お待ちしていたんです」


 大きな緑の瞳を潤ませてこちらを、否、己の隣にいる青年を見上げるのはリリアン女史である。

 陶器のような頬を薄っすら薔薇色に染め、長いまつげを震わせながら胸もとで手を重ねる姿はいじらしく愛らしい。


 一目見てその魅力に取りつかれる者も多かろうが、ニールと言えば胡散臭い笑みを顔にはりつけて「ありがとうございます」とやや平坦な声で伝えているだけだった。

 彼がどんな気持ちでいるのか、想像に難くない。他人事ながら同情して、代わりに小さくため息をもらしてやった。


 彼女の後ろには、守護するように見覚えのある研究員たちが続いている。

 己の悪口を吹き込んだ男性職員もいたが、キリノの姿は無い。彼女は温室には入っていないのだろうか?


 疑問には思ったが、取り合えず意識を彼らの一番前にいるクロード所長へと移す。

 疲れた表情をしながらも彼が自分たちに向ける目は非常に厳しく、まるでこれから戦場で巨悪に立ち向かう兵士のようだった。


 彼も含めてここにいる一同は午後からの仕事は大丈夫なのだろうかと思ったが、話を聞けばどうやらリリアンが聞き取りをしてもいいとクロードに進言したらしい。

 そして研究員一同皆が皆、そんな彼女に同意したと。


 ……皆が皆、というのはリリアンの信奉者だけを指すのだろうし、まともな者、否と言った者は無視されたのだろう。


(……ヴェロニカ女史はやっぱり大変なんだわ)


 リリアンを護るような集団から一歩引いた場所に立つ、赤い髪の美女に視線を転じる。

 ずいぶん冷ややかな眼差しをしている彼女と会釈で挨拶をしあい、ヒオリは静かにため息をついた。


 クロードは己の婚約者のことを気にする様子もなく、他の研究員に混じってリリアン女史の背中を見ている。

 先ほどまでヒオリたちに対する敵意で尖っていた彼の目は、彼女に対する愛しさで溢れている。

 今日の聞き取り調査よりも彼女のほうが大事なのだろうか……と、少々げんなりしながら口を開いた。


「それでは別室で一人一人お話を聞かせていただきます。名前を呼ばれたら来てください」


 リリアン親衛隊の中の一人が、ぎろりとヒオリの方を睨みつけた。

 特に気にするほど精神は弱くないので、無視してクロードに告げる。


「それでは所長はリリアンさんの聞き取りをお願いします。リリアンさん、一応様子を記録したいのですがよろしいですか?」


 問いかけると彼女は細い肩をびくりと跳ねさせたあと、ぎゅっと胸元で手を握る。


「いいえ、あの。わたしも皆さんと同じように取り調べを受けます。その、わたしも皆さんのお役に立ちたいから……」


 覚悟を決めました、と言いたげに彼女は宣言する。

 一同、特にクロードは彼女を痛まし気に見つめ、「無理をしなくていいんだよ」と肩を抱いた。


「いいの、クロード所長。私、怖いけど頑張ります。お願い、やらせてください」

「リリアン……」


 二人はうっとりと見つめ合い、そしてどちらともなく手を取り合った。

 感動的な場面だと涙すればいいのだろうか?ふと婚約者であるヴェロニカを見ると、非常に冷たい眼差しを彼らに向けていた。


 二人の関係はもう修復不能だなと、感情を押し殺しながら平坦な声でリリアンに告げる。


「ではまずリリアンさん。別室に移動していただけますか?私が聞き取りをします」

「え、いえ……あの、わたしは……」


 はっとヒオリに顔を向けたリリアンだが、やがて小刻みに体を震わせる。

 それは追い詰められた小動物のような仕草で、己に怯えているのかと思ったが、リリアンの視線がちらちらとニールの方を向いていることに気が付く。


 それで彼女が何を考えているのかがわかり、ヒオリは肩をすくめてニールと顔を見合わせた。


「……リリアン殿は私が担当しましょうか?」


 冷ややかな声でニールが申し出ると、途端にリリアンの体の震えは止まり、ぱっと顔が上がる。

 先ほどまで怯えていたとは思えないほどの笑みが浮かんでおり、足取り軽くニールのもとへと歩み寄ってきた。


「はい。それではよろしくお願いします」

「…………」


 二人はもはや何かを言う気力も無くなった。

 クロードが「こちらの部屋を使うといい」とニールとリリアンをうながし、三人は扉から外へ出て行く。

 彼らの背中を見送りながら、疲労にヒオリは肩を落として眉間に出来たしわを指で伸ばした。


§


 ニールたちを見送り、ではヒオリも名前順に研究員を取り調べしようかと一同を見回した。

 すると視界のすみでヴェロニカがこちらに微笑みかけ、するりと近づいてくる様子が見えた。

 顔を彼女へ向けると、優雅な笑みを浮かべた美女はヒオリへ申し出る。


「……ヒオリさん、まず私を最初に聞き取りしてくださいませんこと?担当は貴女にお願いしたいわ?」

「え?」

「おい、ヴェロニカ、何を勝手なことを……!」


 途端に険しい顔をして声を張り上げたのは、残っていた男性職員の一人であった。

 彼ら以外にも敵意をむき出しにした職員たちが、今にも罵声を浴びせかからんばかりの表情でヴェロニカを睨みつけている。


 だがそのぴりりとした空気にもひるむことなく、赤毛の令嬢はちらりと彼らを見据える。

 極寒の土地かと思うほどの瞳だった。冷気に充てられたのか、すぐに職員たちの動きは固まる。


 ヴェロニカは冷たい眼差しのまま、唇に薄っすらとした笑みを浮かべ、惨さすら感じる優しい声で彼らに語り掛けた。


「リリアンさんがはじめに勝手を言いましたのよ。わたくしの順番を繰り上げてもらうくらい、別に構わないでしょう?」

「ぐっ……」

「ふふ。さあ、ヒオリさん、行きましょう」


 有無を言わせぬ態度で一同を黙らせ、ヴェロニカはヒオリの背を押して廊下へと歩き出した。

 ちらりと背後を見れば、リリアンを守るように立っていた連中は殺気をしまい、戸惑うように視線を彷徨わせている。


 何か文句をつけたいが、ヴェロニカにはかなわないと知っているのだろう。

 案外味方の少ない中に身を置こうと、この苛烈な博士は気にしていないのかもしれない……ひっそりとそう思った。



 クロードが用意した別室は先ほどの会議室よりも小さく、詰め込まれた長机二つとパイプ椅子のせいかとても狭く見えた。

 薬学部門にもあるが、一対一のミーティングや面談などに使う部屋である。

 ヒオリは長机の一番手前の席に腰かけて、ヴェロニカにも座るようにうながした。


「さて、ヴェロニカ女史。私を指名したということは、何か話したいことがあったということですよね」

「ええ、そうですわ。貴女でなければならなかったの。しばらくはオフレコでよろしいかしら?」


 ヒオリの前に腰かけたヴェロニカは、唇に薄っすらとした笑みを浮かべたまま問いかける。

 記録されてはまずいことなのか?少しだけ眉間にしわを寄せてしまったが、「まあいいでしょう」と頷く。


 彼女は優雅に小首を傾げて「ありがとう」と礼を言うと、声を潜めて語り始めた。


「貴女はリリアンさんをどう思います?彼女について気付いたことを聞かせてくれないかしら?」

「……それは温室に生えていた植物と関係がある話ですか?」

「わたくしはそう考えていますわ。と言うのも、個人的にあの方を調べていて可能性を感じたのですけど」


 それだけ言って、彼女は唇を閉ざしてヒオリの目を見つめる。

 こちらの答えを待っている様子だった。

 どうやら会話をしなければヴェロニカの考えが外に出てくることはないと悟り、小さくため息をつきながら口を開く。


「不思議な方だと思います。いえ……正直に言えばかなり厄介な方かと。男女問わず職員を侍らせ、おまけにあの悲劇のヒロインのような仕草。明らかに研究に支障が出ています」

「ふふふ、歯に衣着せないわね。でもその通りだわ」


 にこにこしながら頷くヴェロニカは、ちょっと考えるように頬に手を当てた。

 少女のような仕草だったがどこか謎めいたものを感じ、ヒオリは警戒して考えながら質問を口にする。


「リリアン女史を調べていた、と言っていましたが、何か気になることがあったのですか?」

「あら、自分の婚約者にたかる悪い虫がいたら、追い払うために手を尽くすものではなくて?」


 確かにそうかもしれない。

 何となく納得して頷くと、ヴェロニカは艶っぽくため息をつきながら「ですが……」と悩まし気に首を振った。


「あの方は悪い虫でしたけど、同時に優秀な研究者でした。何とかこちらの損にならないよう飼いならしたかったのですけれど……」


 さらりと怖いことを言う人だ。

 この博士に飼いならされて人間がどうなるのか想像したくないな、などと考えながら、ヒオリは先を促す。


「調べていて妙なことを知ったんですの。ヒオリさん。こちらを見て下さる?」


 言って彼女が白衣のポケットから取り出したのは、携帯端末であった。

 それを簡単に操作してヴェロニカは、画面をこちらに向けて差し出す。映し出されていたのはどうやら家族写真のようだった。


「これは彼女の幼少期の写真ですの。これをどう思います?」


 問われ、その家族写真……両親と姉妹三人が映っているようだ、をヒオリはしばらく見つめる。

 母親は鳶色の髪の美女、父親はプラチナブロンドの美男。姉妹は父親の血を濃く引いているようで、全員プラチナブロンドだった。


 リリアン女史は三人姉妹と聞いていたから、別に何もおかしいところはないと思う。

 ───が、ふと気になることがあって、目を瞬かせた。


「あれ?もしかしてこの一番綺麗なワンピースを着ているのが、リリアン女史ですか?」


 思わず呟くと、ヴェロニカは妙に嬉しそうに「正解ですわ」と笑った。

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