久米川の戦い ~新田義貞の鎌倉攻め、その烈戦~

四谷軒

01 八国山

 小手指原こてさしはら久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取るあければ源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし


国木田独歩「武蔵野」



 八国山とは、狭山丘陵にある山で、その名のとおり、上野こうずけ下野しもつけ常陸ひたち安房あわ相模さがみ駿河するが信濃しなの甲斐かいの八国を一望にできる山である。

 東山道武蔵路とうさんどうむさしみちという南北へ走る道が通り、上野から武蔵を経て、鎌倉を目指さんとする新田義貞にったよしさだとしては、最適かつ最短の道筋に位置していた。


 元弘三年(一三三三年)五月十一日。

 武蔵。

 八国山。

 日中の小手指原こてさしはらでの幕府軍との戦いに勝利した義貞は、その幕府軍が南に退いて久米川に陣取っていることを知り、自身も南下。そして幕府軍を高所から眺める位置にある八国山に陣を敷いた。

「明くる朝、払暁ふつぎょうに幕府軍を攻める」

 義貞はそう言って、さっさと寝所に入ってしまった。

 慌てたのは、義貞の弟であり腹心である脇屋義助わきやよしすけである。

「おい待て、兄者」

「何だ」

 義貞は寝所から首だけ出して答えた。

 珍妙な光景であったが、義助は構わずつづける。

「足利の方から、退け退けとしつこい」

「無視しろ」

「…………」

 伯耆の船上山にこもる後醍醐天皇を討つべくった足利高氏だが、彼は倒幕の側に立つことを決意、上野の新田義貞に陽動として挙兵するよう依頼した。義貞が挙兵することにより、幕府の視線を釘付けにして、その隙に、鎌倉に留め置かれた人質である嫡子・千寿王(のちの足利義詮あしかがよしあきら)を脱出させる策である。この策にはさらにつづきがあり、義貞の倒幕軍のに千寿王が立ち、もって総大将として、鎌倉に対する軍事的圧力をかけることにある。

 その裏で、足利高氏は、自身が京の六波羅をおとし、そしてそのまま倒幕軍の領袖に収まって、鎌倉を討つための「征夷大将軍」となることを目論んでいた。

 そのため、足利千寿王を将とする武蔵野の倒幕軍は、飽くまで陽動であり、武蔵野に盤踞ばんきょし、鎌倉への抑止力として機能することを求めた。


 つまり、静観に徹し、余計なことはするな、ということである。


「……その足利が、紀五左衛門きのござえもんが、見逃みのがしてやるから退けと言うに!」

 義助は叫ぶ。

 ちなみに、紀五左衛門とは、千寿王の補佐役であり、事実上、武蔵野の「足利家の」倒幕軍を仕切る男である。

「だから、無視しろ」

 義貞は欠伸あくびをひとつして、そう答えた。

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