第13話 知らない気持ち

 結局、私は相馬先輩とどうなりたいんだろうか。

 彼女に、なりたいんだろうか。

 先輩に彼女がいるという誤解も解けた今、体の力とやる気が抜け落ち過ぎてアイスクリームを食べながらぼんやりとパソコンの前に座ることしか出来ない。

 あれだけ先輩に彼女がいると思っていた時に怒涛の勢いで書き続けてきた小説を打ち込む手が、誤解が解けた今ではピタリと止まってしまった。

 あれは、逃げてただけなんだろうな。小説を書くことに現実から逃げてただけなんだろうな。

 一文字も進まない小説の中で、主人公の揺れる恋心は揺れに揺れたまま止まっている。

 本当に彼のことが好きなのか、どうなのか。気になるだけで恋人になる事なんて考えてもみなかった主人公。でも、彼の優しさと誠実さに触れて、最初はただの読書友達だと思っていた心境から、一気に彼に対する恋心が加速していく。……予定。

 そう。予定なのだ。まだ、加速までには至れていない。

 書いてあるのは自分の恋心に戸惑う主人公までだ。

 意味もなくプロットをスクロールしながら、うーん、と小さく唸った。

 自分の気持ちに気付いて、そこから彼女の中で感情の爆発が起きる。爆発の後に残るのは、彼のことをもっと知りたい、一緒にいたいと願う気持ちだけが残る。それは紛れもない恋心だ。誤魔化すことも、見えないふりも、もう出来ない。その願いを主人公は受け止め、彼に告白する決意を固める。

 私は、どうだろうか。

 書いてる本人が主人公に自分を重ねるのはご法度だと個人的には思う。私小説ではないのだから、自分の感情、感覚は主人公や他の登場キャラクターに持ち込むべきではない。捨てるべきだ。

 でも今まで手癖のように書いていたこの展開が、自分の出来立てホヤホヤの経験から不自然に感じられた。


「相手が自分のこと好きってわからないのに、告白するかな……?」


 もちろん、彼も主人公の事は好きだ。でも、それは私が作者だから知っていることで、主人公はまだ知らない。

 主人公が親譲の無鉄砲な性格をしているなら、それでもいいかもしれない。損ばかりしていても気に求めないほど底抜けに明るかったら、それもおかしくない。

 でも主人公は多少の自分の趣味を隠してまでも派手系なグールプに属しており、どちらかと言うと人の動向を気にして動くタイプの人間だ。

 そんな人間がそんな向こう見ずな告白をするだろうか?

 何だかそう考えると、この展開が急に安っぽく言い訳がましい流れに感じられた。

 国語のテストにこの時の主人公の心情を述べよと問われたら、間違いなく気の迷いで心情など何もないと書くだろう。

 モモちゃんの新作には告白してから始まる恋があると言っていたが、それを成すにはそれなりのバックボーンがあってのことだ。この二人にはそれがない。

そんなことをすれば、無理矢理作り出した異空間になってしまう。今まで積み上げてきた二人の関係、性格、それこそ心情が大きく乱れてしまう。書いてる方がこれだけ混乱するんだから、読んでる方はもっと混乱してしまうだろう。

 ふと、私は自分のことを思う。

 私は、何で告白しないんだろう?

 私は先輩が好き。

 いつもいつも理由をつけては諦めようとしていた気持ち。けど結局はどうしようもなかった。どんな理由を見つけても、どんな未来を予想しても、どんな結果になろうとも。

 私は先輩が好き。

 どれだけ否定しても、振り下ろして壊そうとしても、壊れない。どこまで行っても、振り出しに戻ってきてしまう。

 結局、最初に諦めきれなかったのが全てを物語っているのだろうな。自分にこんなにも強い意志があるだなんて思いもしなかった。

 でも、付き合うのは絶対に無理。先輩は私のことが好きではないし、私は選ばれない。そんなことはわかりきっている。振られて先輩と会えなくなるぐらいなら一人で好きでいようと決意した時。それでも先輩の言動に一喜一憂して、期待していた。今更嘘をついても仕方がない。私は毎回先輩の冗談に舞い上がっていた。もしかして、先輩も私が好きかもしれないと思って。

 でも、私はあの時、あの音楽室に続く階段で告白しようと決意をした。直ぐに打ち壊されてしまったが、一瞬でも覚悟を決めていた。先輩が私のことを好きでも、そうじゃなくても。それでもこの気持ちを伝えたいと想いが迫り上がって来ていたのだ。

 彼女になりたい。もっと近くで、一緒にいたい。自分の中で爆発した感情に確かにそれは残った。

 けどあの後、佐藤妹を先輩の彼女と勘違いしたり、その二人が思いの外お似合いすぎて自分と比べたり、もう先輩に会うのはやめようと決めたり、色々ありすぎてそれどころじゃなくなってしまう。

 全て解決して一周回った今、私はあの図書館の決意を今再びと意気込むのか。と、いわれるとそうではない。かといって、彼女になりたくないわけでもない。

 先輩が好き。彼女がいなくて嬉しい。前よりも強い気持ちでそう思う。

 でも、それ以上に強い気持ちが湧き起こってしまった。

 気持ちは積み上がり、膨れ上がる。膨れ上がった気持ちは何回か爆発を引き起こし、その度に膨張を繰り返す。

 抱えきれなくなる頃には、それを手放すことをただただ恐怖する自分が残る。

 私を探してくれた先輩を思い出して。

 私を見つけてくれた先輩を思い出して。

 怖くなる。一秒ごとに好きになるにつれて、一秒ごとに怖くなる。相馬先輩と離れてしまうことが。会えなくなってしまうことが。二人の時間が消えてなくなってしまうことが。

 取り返しの付かなくなることが怖い。もう、先輩が笑いかけてくれなくなるのが怖い。もう、先輩と話せなくなるのが怖い。失うのが怖い。それが強い恐怖を私に抱かせる。


「……この恐怖に打ち勝てる気持ちって、何?」


 なぜ、世の恋人たちは告白なんてことが出来るのか。そのために、どんな風にこの恐怖に打ち勝ってきたのか。

 問いかけに答える声は、どこにもない。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 小説が止まって、三日目。

 私はじっと相馬先輩の後ろ姿を見る。

 あの誤解の後、私は再び放課後に先輩の仕事を手伝うこととなった。最近は、逃亡阻止のために先輩が教室まで迎えに来るが、正直それをやめてさえくれば概ね元通り。

 そう、元に戻ったのだ。私と先輩の関係は。スゴロクで言えば、スタートに戻る。でも、私の心情はスタートには戻れない。恋心だけが今も地獄のコースでループのようにぐるぐるウロウロ。今もなお先に進むためのマスにたどり着けない。

 どうすれば告白に至る心情に辿り着けるのだろうか?

 立ち止まったマスは三日前から変わらない。

 一度は変わったのに。でも、音楽室の奇跡は水物だ。

 初めて昼間、人がいそうなところで名前を呼ばれた。蕩けるような笑にこちらの心が溶かされた。色々な要因が重なり、あの時の好きと怖いのバランス下で起きた奇跡だ。

 今、それをもう一度というのは無理がある。

 では、どうすればいいか。

 例えば、少し嫌いになるとか? 気持ちが落ち着くかもしれない。好きに比例して高くなる怖い気持ちを下げる効果があるかも。

 でも、嫌いになれる?

 作業をする先輩の背中についてるよくわからない糸くずも、先輩と一緒に見てると好きになって来そうなんだけど。嫌いになる難易度高くない?


「おーい、伊鶴さーん?」

「あっ、はいっ」

「流石に俺の背中、見過ぎ。何かあるの?」

「……変なカラフルの糸くず、ついてますよ。右側の肩らへんに」

「マジで何かあるの!?」


 しまった、バレてしまっていたか。こっそり見ていたつもりだったんだけど、背中に目でもあるのかな?

 私はため息をついて再度手を動かしはじめる。

 本当に、どうしたらいいんだろう。


「伊鶴?」

「あ、はい。次は何ですか?」

「いや、今日ため息多いからさ。人の背中見てもため息つかれてたし、俺何かしたのかなって……」


 ちょっと語尾が小さくなる先輩が可愛い。ちょっとしょんぼりしてるように見える先輩がとても可愛く見えてくる。

 男の子に可愛いなんて思うことは限りなく経験がないに等しいのに、先輩の少し弱気な姿を見るだけで可愛いとか思うなんて、もう末期としか言いようがない。

 こんなことで、キュンッと胸が鳴るなんて。

 これで嫌いになるなんて無理に決まっている。


「え? 私、そんなにため息ついてました?」

「うん。めちゃくちゃついてるよ」


 嘘だろ。そんなについてたの? 私。


「何かあったの?」

「あ、いえ……」

「最近寝れてない? 少しクマ出来てる」

「え? え? 本当に?」

「うん。薄らだけど」


 悩んでたからなぁ。いや、今も悩んでるし。

 私はもとより、この問題を解決しない限り小説が進まないことの方が大問題だった。

 タイムリミットは、そう遠くないのだ。


「で、何あったの?」

「え?」

「何? 言えないことなの?」


 先輩が少し拗ねた顔をする。


「いや、言えること、ですけど?」

 

 そんな顔を初めてみるものだから、思わず驚きと感動のあまり真逆の言葉が飛び出てしまった。

 何で悩みの種である本人に言えると言うのか。

 あ、しまった。気付いた時にはもう遅い。


「じゃ、言ってみようか?」


 そうなるよね。

 有無を言わさぬ笑顔に圧倒され、私は口を開く。

 落ち着け、私。なんて事はない。いつもの様に、小説の話にしてしまえばいいのだ。嘘でもないわけだし、堂々と言え。

 

「……先輩って、告白ってどんな時にしますか?」

「……告白?」


 ポカンとした先輩の顔に、私ははっとする。


「あ、好きな人への告白って意味です。罪とかそういうのではないです。懺悔のタイミングは聞いてないので安心してください」

「その心配はしてなかったな。えー。何? 小説の話?」


 先輩から小説という手札を切ってくれるのは嬉しい。随分と話し出すハードルが下がるというものだ。

嘘じゃないけど、それだけじゃないから。自分からはどうも不自然になってしまう。


「はい。小説で主人公が恋心を自覚してから告白しようと決める流れがよくわからなくて……。筆が止まっているんです」

「難しく考える必要ないと思うけどな。俺なら、好きになった時点でコクるけど?」

「え? 自覚して直ぐですか? 浅はか過ぎでは……?」

「愚直はいいけど、浅はかはダメだろ。悪口じゃん。でも、告白なんて勢いでしないと後々グダグダ考えて結局しないとか俺はなりそう」


 あ、それ今の私だ。


「でも、上手くいくかわからないのに、告白します?」

「絶対に上手くいって欲しいなら相手からの告白を待つしかないんじゃない? 相手の気持ちなんて百パーセントわかることないじゃん。結局、付き合ってくれるかどうかなんて、相手から言うか自分から聞くかしなきゃいつまで経ってもわかんないし、相手がいつ言ってくれるかなんてもっとわかんないじゃん。それぐらいなら俺は自分から言う」

「先輩は待たないんですか?」

「待たない。絶対待たない。そもそもそこまで俺は我慢強いタイプの人間じゃないし」


 なんか意外。先輩は待ってそうなイメージがあったのに。


「意外です。我慢強そうなのに」

「あー。それ、なんか良く言われる。謎なんだけど」

「何でだろ? 余裕があるように見えるからかもしれないですね」


 待ちそうなイメージは、惚れた弱みと言うやつかもしれない。


「余裕ねぇ……。ないけどなー。あ、でも余裕とか関係なく流石に俺でも止まることもある、か? 余程のことがある時とか」

「余程? 相手が危篤とかですか?」

「余程すぎるだろ。違うって。こっちが好きだと思ってもさ、今じゃないってタイミング、明らかにない?」

「そう言われても……。例えば、どんな時ですか?」


 確かによくよく冷静に考えると、この人余り遠慮とかしないタイプだよね。圧もすごいし、先輩が遠慮するなんて余程のことだろ。今日でも私の教室に放課後押しかけてきたわけだし。やっぱり危篤とかじゃないと無理なんじゃないか?


「例えば、相手が受験間近だった時。そんな相手に好きです、付き合ってくださいって言える?」

「そんな場合じゃないでしょ?」


 去年までの地獄の受験勉強は記憶に新しい。あんな勉強漬けな日々にそんな爆弾を投下された日には、例え好意をその相手に持っていても、その好意が木っ端微塵に吹き飛ぶことだろう。


「だろー? そう言う時は、待てできるよ」

「ああ、成る程」

「それに、好きな子が頑張ってるの普通に応援したいでしょ。その子が直向きに頑張ってるの優先してあげたいの、俺は」


 そうか。そういうのも、あるんだ。

 勉強にはなる。

 けども。私は先輩を見る。

 だって、だって!

 余りにも、具体的過ぎないか? 先輩の例え話。経験があるように聞こえるのは気のせいにしていいのか?

 受験の時、告白しようとしたことがあるとか? いや、待って。そう言えば、先輩今三年生じゃん。受験シーズンじゃん。

 うちの中等部の大半はそのまま隣接の高等部に上がり、受験をする人間は少ないと言えば少ないのだが、全くいないわけじゃない。

 クラスに数人は外部の高校を受けるために受験準備に入る人だっている。

 まさか、先輩その内の誰かに? 誰かに告白しようと待ってるのか?


「先輩」

「ん? 何?」

「例えばなんですけど、その子の受験が終わったらす直ぐに告白しますか?」

「する、かも。調子に乗って水族館とか誘いそう」


 成る程。そうか。そういう、ことか。


「あ、例えばの話だからな? また……」

「わかってますよ。今の先輩には彼女はいない、でしょ?」


 それって、好きな人はいるってことじゃん。

 見知らぬ、先輩好きな人。どこの誰で、どんな美人な人なのか想像もつかない。

 その見知らぬ誰かが、私と歩いた水族館を歩くわけだ。先輩の隣で。

 成る程、成る程。

 あー。そっか、私……。


「ま、俺のはただの例だし、男と女だと告白のタイミングも違うんじゃない? 俺の話聞いても何も参考にはならないでしょ」

「いや、そんな事はないですよ。とても参考になりました」


 私は、本心で首を振るう。


「どうやって告白する決意をするのか、とても参考になりました」

「え? そう? そんな大それた事、言った?」

「ええ。とても」


 私はにっこり笑う。

 そうか。これが好きで好きで、それでも怖いと思う気持ちを超越しうるもの。

 告白をするという決意に火をつけるもの。

 先輩の彼女にならなければならないと焦る気持ちの素になるもの。

 それを今、私は先輩に教えてもらったばかりだ。

 嫉妬という名の、気持ちを。

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