4 交際関係


 縹から連絡を受けたのは夏休み前のことだ。駅前で待ち合わせてコンビニへ寄った。浅葱は食糧を買い、縹は煙草を買った。

「そんなものまた始めたのか」

 浅葱は縹が少し変わったのがわかった。

 彼は言った。

「二十歳から吸うより、今吸った方が早くに止められる」

 浅葱は呆れていた。

「だってそう言うものだろう?」

 縹は浅葱のケゲンそうな顔にそう応えて笑った。

 縹が既成の決まりに反抗して刺激を欲しがるそれを、浅葱はただのないモノねだりと言ってしまえば落ち着く話だった。が、それにしても縹のやっていることはあまりにも幼稚だった。M高の連中の文句が尽きれば次には気障な出来事を演出する他ないのだ。しかしそれでは、中学のころ彼が関わった不良仲間と同罪でだった。自虐は世間を動揺させる挿話にしかならず、そこには甘ったれていることの他、中身はない。しかし彼の親をよく知らない浅葱にはそれに気がつく術もないのかも知れない。そして浅葱は更に驚かされた。コンビニを出るとすぐわきの宝くじ売り場へ寄ったのだ。

 浅葱が「どうしてそんなもの」と訊くと、

「金なんて少しあったぐらいじゃ何にもならない」と縹吐き捨てるように言った。

 浅葱のイメージしていた昔の縹は、今は違うもののようになっていた。

 浅葱は縹がくじを買う間、その場限り彼に寄るのをよした。知り合いとも思われたくなかった。彼がくじを買う間だけ、通りの反対側で待つことにした。しかしそれが浅葱をよりいっそう不安にさせた。彼は縹を見ていた。彼は宝くじ売り場に腕をつけて寄りかかり、楽な姿勢でくじを手にするのを待っている。その様相が変にゲッソリしている。目が虚ろで見据えている先の視点がどこにもあっていない。浅葱は宝くじを買い終えた彼に寄って「大丈夫か? 体がすごくゲッソリしているぞ」と驚嘆して見せた。しかし彼は平然と「なにが?」と、からとボケたことを言った。

 浅葱は兄のことを思い出していた。粗暴で野暮ったい身なりをした連中、近づき難いイメージが目の前にあるようだった。

 彼はケゲンそうに見られていることを知りながらもいつものようにおどけながらヘラヘラして見せた。そして浅葱はどことなく不安感を忘れた。

 しかしそんなことでゴマカされた気になって、ヘラヘラふたりで彼の家に行くと、動揺せざるを得ないことが浅葱を待ち受けていた。

 縹の部屋はゴミが散乱して、脱ぎ捨てた服はそこらじゅう脱ぎ捨てられたまま、足の踏み場がないぐらいだ。綺麗に整理されていた棚にある彼のものもゴタゴタしている。浅葱がまた「どうした?」と訊ねると、このごろはあまり眠っていないこと、始発で学校へ行き、終電で家に帰るということ、食事を日に一度しかとらないこと、……そして、浅葱を一番怖がらせたのは、彼が左腕を突き出して見せてきたことだった。

「カッターとかみんな、刃物を母親に隠された」……

 浅葱は黙った。縹はソファーに腰かけ、薄笑いを浮かべながら見当もつかないところをみつめた。そして突然こう言い出した。

「誰か女の子の知り合いはいないか?」

 この年頃の男にとっては、そういった欲を覚えることは普通のことだ。しかし縹のこの申し出には別の意味が込められている。彼は口にはしないが、彼の祖母が他界し、家には彼の面倒を見る人がいない。彼がそのために孤独になったこと、生活が荒んでいることがなんとなしに浅葱には感じ取れた。そして縹は頼るアテが浅葱にしかないような素振りをするのだ。しかし彼の場合女性との付き合いはどれほどのものがあるのか、浅葱には計りかねた。中学のころをふたりがいくら多くの時間を過ごしたと言っても、縹が自身のクラスでどういった振る舞いをしていたのか、到底分らない。時おり、中学の頃つきあいがあった例の文通の彼女と、いまだに交際があるのだということも、どことなしに感じたが、それは彼のデスクに封筒がそのままにされていることがあるというだけで、中身は彼のデスクにある鍵付きの引き出しにでも入っているのだろうと浅葱は気にかけていた。そしてその他にも彼の口から出てくる女性の話は、彼の欲望というような卑劣さを感じさせた。しかし、実際彼は口が上手かった。浅葱が人とのかかわりについて悲観的であることに関して、彼は同情し、けれどもいつも、やめようと声をかけて、違うでしょう? といさめるように言うのだ。彼はそういう意味で優しかった。そして浅葱にはその優しさが足りないために人を避けるのだということもわかっていた。しかし今回の縹の申し出は浅葱を困らせた。浅葱は人との交際が少ない。知りあいもそんなにいないし、女性と言われても思いつくのはほんの数人だった。しかしそれでも病的な彼を見ていると、浅葱はどうかしなければならないという焦燥にかられるのだった。

 浅葱は二藍撫子を縹に会わせた。

 二藍には「縹を励ましてほしいんだ」と言って誘いをかけた。

 また「時おり三人で遊ぼう」と浅葱はそればかりを言った。しかしそれからというと、浅葱は不安で気が気でなかった。三人で、また遊ぼうなどということは、小学生同士のオ約束とでも言うべきもののようだ。つまり当然縹は浅葱の真意などにお構いはなかった。彼は二藍を自分のものにした。後日再び彼とふたりきりで会った時に彼はこういうのだ。「先週二人で会ったよ」と。

 ……これはいったいどういうことだろうか。縹は浅葱に女を口説いたことを自慢しているのだろうか。それとも一緒に喜んで欲しかったのだろうか。しかし浅葱には彼からそのことを聞く前から予想ができていた。あの上手い言葉遣いで、軽薄な口ぶりと戯けた姿で口説いたのは確かだ。縹は浅葱の予感に確かな答えを与えてしまっただけだ。しかし浅葱には二藍が縹のそれにノルような女性だとは思いもしていなかった。


 浅葱は二藍と学校で顔を合わせる訳にはいかなくなった。それは縹と二藍の二人に裏切りを食わされたように感じたためにあった。二藍は相変わらず浅葱に話しかけてきたが、それに対して彼は素っ気なくした。しかし縹に会えば、浅葱のその感情は一変した。縹の浮かれた行動にどこかしら恨みを持って浅葱は黙ったが、彼が笑いながらまたおどけてみせ、はやしたてると、どうしても彼を嫌うべき人間とは思えなかった。彼は縹を前にすると不思議と俺が悪いと思うのだ。それは浅葱が〝二藍〟と言葉で頭に張り付けていく度に、縹の存在が背景から現れるためにあった。二藍は縹のもの。縹は二藍のもの。くり返してその語を呟くように確かめると、それが浅葱にとって不思議と気分を悪くさせるのだ。

 そして縹とはこれ以降半年以上も付き合いがなくなった。

 となりクラスのY(彼はその口の語りようからこのアダ名だった)にこの話をすると、

「そういうヤツいますネ――。女ができると付き合い悪くなるヤツ」と語った。

 浅葱はそういうものかと思い、そして縹には二藍と仲良くやっていればイイとなげやりになった。しかし浅葱のオカシナところは、どうでもイイと感じながらも学校で二藍と対面すると怒りがこみ上げることだった。二藍を見るとそれに重なって嫌な縹が浅葱に現れた。浅葱と縹との関係は「女性」を間に入れると隔たりが生まれた。彼が中学のころ文通を交わした彼女がいた時にも、少しばかり同じような感情を抱いた。それを浅葱自身気付かずに二藍を縹に会わせた。浅葱は縹との関係が、女性を挟むことで遠のいていくのを、なぜだか非常に腹立たしく思った。二藍はそのうち浅葱の目の前から離れていった。しかしその顔には重い影がかかるようになった。浅葱にはそれがわかっていた。薄柿や青藤に二藍の話を持ち出されたとして、しかしどうしようとも思わなかった。特に問いただすこともなければ、もともと二藍との仲もないものとおなじだった。裏切りを食わされた気分の中で浅葱自身が何かするということはない。仲を取り持ちたければ何かしら向こうから仕掛けるべきだとも思った。

 そして浅葱は嘘をついた。

 浅葱が縹と久しぶりに会ったその日、公園のジャングルジムに腰かけて縹は二藍の話をした。

「彼女が、君に避けられるって、言ってたぞ」

「そんなこと、してるつもりはないけど……」

 いくら縹からそのことについて問われても、学校での二藍との関係を戻すきっかけにはならなかった。縹の口ぶりからは君でなんとかしろと言うような指図的なニュアンスを思わせたからだ。それにそのことについては二藍の思い違いのようにさせておけばイイと思った。実際、付き合いの仲を取り持ちたければ、そのきっかけを作らなければいけないのは二藍自身にあると浅葱は考えていた。浅葱の返答に彼はそれ以上何も思わないようだった。それともまたそういうふうに装っているだけなのか――。沈黙の中、浅葱は彼が話す女性像について考えた。浅葱が彼にそういうことを訊ねる時、その話に出てくる女性というのは下らないものという格付けがなされた。それは浅葱の気を引きとめるための焦燥感からくるようにも感じられることがあった。しかし彼にとって女性は欲望の対象でもあるのだ。浅葱にはまだその矛盾した気持ちは分からないにしても、その欲望には確かな重心を持って彼の身体を支えているもののようにも思えた。

 しかし彼が二藍のその悲しい訴えで浅葱を突き詰めて責めなかったことは、浅葱を楽な気にさせたのだ。それは縹の言う「女なんてくだらない」というのは何のためであったのか、浅葱には判別しかねたからだ。

 縹はその日「二藍、もう来ないかもしれない――」と言った。

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