2 友人と女子生徒

 縹の家は二階戸建の瓦屋根で、この街に昔からあるもののようで外観は木造で古びた趣をしている。門周りは綺麗にされていたが家屋へと上がる階段の途中で「庭へは入らないでほしい」と彼はいった。隣家との間を抜けると庭があるのであろう。建物と建物の間の真っ暗な通り道、そこの鬱蒼と茂る雑草を見ると、何か薄気味悪いところのようにも思えた。彼は浅葱が遠慮なしにジロジロと家の周囲を観察しているのをよそに、ドアの鍵を開けて中へ入るようにと指図した。

 初めてくる他人の家へ対する好奇心というのは誰にでもあるものだが、彼の家はその好奇心を上回る意外性を持っていた。玄関に入り、まず迎えてくれたのは正面の壁一面に大きく張られた鏡だった。それからその鏡が扉となっていて、向こう側を開けると四畳半はある靴置き場がある。そんなわけないだろうと言って入る浅葱だが、確かにその四畳半ほどのスペースには壁一面に棚がこしらえてあり、何処にも隙間がなく靴がしまわれていた。

「これは父親の趣味で」と彼は声を鼻から出すような変な言い方で説明した。縹の父は美術系の大学で建築を学んだのち、なぜか靴のブランドデザインの仕事をするようになったのだという。

 ふたりがこうして玄関から家へあがるまでグズグズしている間に奥から「葵か、おかえり」と咽喉のかすれた少し咳込むような声があった。彼は大きく〝ああ〟とそれに応え、急に靴を脱いで「早く、行くよ」と浅葱を家へ上げた。

「誰? おともだち?」

 また奥から声がすると彼は面倒な顔をして「朝話したろ」と返した。

 案内されて彼の部屋に入ると、学校で話していたような八畳の部屋の壁の大部分は棚になっていて、そこにテレビやビデオデッキ、CDのプレイヤー、ゲ―ム機、本や雑誌、CDがぎっしりとしまわれてあり、さらに驚かされたのはベッドのわきに二人掛けの牛革のソファと、そのわきにはエレキギター、アコースティックギターが置かれていたことだった。

 彼は部屋に入るなり部屋着に着替えだした。浅葱は二つのギターの横に置かれている譜面台をいじりながら、彼がどういう人間であるのか、興味が湧いてくることを感じた。

 彼の母とも祖母ともその日、顔を合わせることはなかった。その日ふたりは共通の趣味である音楽を聴きながら、縹は夢中で棚のものを手にして、彼自身のことについて話したり、明日学校でする遊びの算段をした。


 ふたりは二週もするとほとんど毎日を一緒に過ごすようになった。時おりウツボシが茶化しに来たが、縹は上手く不良仲間たちと手を切った。放課後や中休みは学校の校舎裏の人目のつかないところでふたりきりになって、キャッチボールをするなりして過ごした。仲が深くなっていくに連れて、互いに不満も言い合うようになったが、それでもいつもこの校舎裏に来て放課後の遊びの話をするのだった。

 ふたりの遊びは、帰る途中で菓子を買いあさって公園で語らったりして別れると、それだけの日もあったが、基本的に縹の家に行ってからのことが多かった。毎度のようにプレイヤーで音楽を鳴らし、冗談を交わすなどをしてから、映画を見るなり、縹がギターを弾いて浅葱が歌うといったことをした。お金があればカラオケに出向くこともあった。街へ出て新しい映画のビデオや音楽のCDを買いあさり、それに飽きれば近くの公園でキャッチボールやフリスビーをして過ごした。そうしている時のふたりはとても充実感の伴う生き生きとした姿をみせた。浅葱は別段アクティブなタイプの人間ではないが、縹は身体いっぱいのパフォーマンスで会話やスポーツを楽しむタイプだった。そんなおどけともとれる縹を興味津々に見て反応することが浅葱の役目にもなった。そして浅葱にとっての縹はずっと大人にも見えるのだった。


 そのうち彼はこんなことを話すようになった。

「Aクラスのあのはどうかな?」

 浅葱は大して異性とのかかわりについては興味がなかった。特に女生徒に関しては口にすることもない。それは浅葱が女性に関して意識しすぎるために興味がないというふりをしているためである……。

浅葱に対する彼の不満というのはそういう時に現れた。彼は浅葱に言う。

「誰かいないか?」

 しかし浅葱は昔から女の人と上手く話せた試しがなかった。

 卒業をあと一年ともなると、学校にいる連中は、男女の交際に関して、それなりの経験をするようだった。あからさまに付き合いを自慢する奴もいれば、別れ話に未練がましくしている奴もいた。付き合う相手が欲しいのにコレという人がなかなか見つからないという贅沢なことを言う奴もいれば、女と付き合うのは面倒なものだとか嘆いている気障な奴もいた。しかし浅葱にはそれのイッサイも経験になかった。そのころ縹にも仲良くしている女性がいた。そのつながりで浅葱もその女性と仲良くしたが、実際は彼とのつながりがあっての付き合いでしかかった。浅葱が彼女に何かあった訳でもないし、彼女自身も浅葱にはほとんど興味がないらしかった。浅葱はそのためなのかはわからないが、うっすら彼にこんなことを訊いてみた。

「あれのどこがイイの?」

 彼は驚いた顔をして、しばらく浅葱を見ていた。そして浅葱の考えていることに反して「別にそういうのじゃないよ」と言った。

 しかし彼も実際素直な気質ではなかった。浅葱は彼と彼女が文通を交わしていることも知っていたし、最近は彼女とふたりでいることの方が多いぐらいだった。別段このころになると浅葱も彼と毎日遊ぶのにも飽きているくらいで、気にもしなかった。

浅葱は新年度の桜並木をひとりで歩いて、これからの身の振りようを考えた。周囲のクラスメイトたちはクラブ活動をやめて、受験のために本格的に浅葱の嫌いなオ勉強をするらしい。そして縹も高校受験のために英語の家庭教師を入れたと話した。彼はひとしきりまるで呪文を繰り返すように遊びの中で英語を口ずさんだ。「potato, ポタト? ポテト。Potatoだってポタト、ハハハハ」とか「machine, マーチン? あ、マシーンマシーン」と。Machine gunをマーチンの銃、と訳した。真剣ともドウでもイイともとりづらい彼の勉強熱心さは、しばらく彼自身の中で笑い草になった。そして浅葱にとってはどことなくそれは阿呆らしかった。

……いずれにしても浅葱は、ひとり取り残されたかのような気分になった。交際やオ勉強に夢中になっている連中をしり目にひとりで帰るのもどことなく億劫だった。そして居残って勉強するなり、男と女でイチャつくなりしているクラスメイトたちがいる中、放課後の時間、浅葱は何をするでもなくまた水飲み場傍のピロティで一人生暖かい風に吹かれている景色を眺めるばかりだった。


 中学の最後の一年で願っていた交際について、縹はいっさい手もふれず文通の彼女とは別れた。文通がいつまで続いていたのかわからないが、曖昧な関係が続いていることに、浅葱は呆れていた。しかしそんな浅葱の白黒はっきりさせたがる性格が異性を近付けない理由でもあるようだった。

 縹は高校受験で挫折を味わった。第一志望も第二志望もおとして、第三志望、いわゆる滑り止めのM男子高に入った。浅葱はそのまま勉強などには目もくれず、安易にもといた学園内にある高校へ進んだ。

 高校へ行ってからは、ふたりの間に少しの変化が現れた。縹は男たちばかりの学校で好き放題した。相変わらず先生その他友人に対する文句は絶えなかったが、中学のころのようにワルをすることはなかった。部活動も熱心に取り組んでいたらしく、剣道部と軽音部を掛け持ちするほどであった。縹のギターの腕は浅葱自身前々から良く知っていたことだからさして気にもとめなかったが、彼が家で剣道の竹刀を手にして「ヤー!」とか「アー!」とか発狂してしまったみたいに叫びをあげることだけを見ていると、不思議と普段目にするクラスメイトたちのバカ騒ぎと比較して、笑いが込み上げた。一方の浅葱は相変わらずの縹の活動力に感服しながら、新しい環境では少なからずの人付き合いをするようになった。しかし不思議なことに男の友人は少なかった。クラスではひとりでいることが多かったためか、時どき女子生徒が浅葱に話しかけてくるようになった。

 二藍ふたあい撫子なでしこが話しかけてきたのは5月の連休明けのことだ。

「いつもひとりだね――」と、クラスで前後の席になったために会話ができたのだが、浅葱は中学での縹との付き合いのポテンシャルをここで発揮することにした。

「ひとりでも僕は楽しめるから」などと言えば彼女は不思議そうな顔を見せた。

 二藍は清楚という言葉がそのまま当てはまる、美人というよりは可愛らしい女性だった。小柄で身長も胸もない彼女は、一見少女のような印象を浅葱に与えた。

「おとなしいんだ――」それが撫子のいう浅葱に対する第一印象だった。しかし実際浅葱はおとなしかったというよりただ面倒くさかっただけだった。人の機嫌を見て付き合うほどバカらしいものはないと思っていた。少しでも気を持てばすぐにくっつき、何かしら互いの意に反すればどうでもないことでも離れていくような軽い人間関係が許されるわがままな連中のことだから、親切にするだけ無駄だと思っていた。何をしようとも人間という関係ではない。それすらも遊びという気分が学園内にははびこっている。わざわざどうして気のない人間に気のある素振りをして仲良くする義理があるだろうか、浅葱には中学の時同様、高校も学校はつまらなかったし、勉強もできなかった。それでも二藍は浅葱を気に入ったらしく〝安心するから〟などと言って時どき浅葱と話をした。それは、けれども、浅葱にとってはどうでもないことだった。

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