第7話「――あら、開店前からアタシに指名ってアンタだったの? フランク」

 ――このままでは、バッカス・バーンスタインの女にされてしまう。


 あいつの罪悪感に甘え切って、あいつの施しに甘えて、あいつの女になる。

 あいつは剣士だ。俺よりも冒険者としての寿命は長いだろう。

 俺はそんなあいつの稼ぎに頼り、あいつの嫁となって妻になってしまう。


 ……別にそれがダメだという訳ではない。

 ただ本気でそう思えてしまっている今が怖くて、俺はもう少し男でいたかった。


 このままなし崩しでバッカスへもたれかかればただのメスになってしまう。

 身体はもう女になってしまっているが、ここで男に頼り切りの生き方をすれば心の底からそうなる。取り返しはつかないだろう。


 それほどにバッカスという男は献身的で、魅力的に見える。今の俺には。


 だが、俺は、他人に生殺与奪の権を委ねたくないのだ。

 自分ひとりで生きていきたい。そう思ったから故郷を出て冒険者になった。

 だから女になったくらいで、たとえそれがどんなに魅力的な男であろうとも、そいつに頼り切った人生にはしたくない。


「――あら、開店前からアタシに指名ってアンタだったの? フランク」


 昼に色々と考えて、今一番頼れそうな相手が誰かを見つめ直した。

 その結果として、ここにいる。

 『トワイライト』というショーラウンジ、夜に開く大人の遊び場だ。


「よう、久しぶりだな、レオ兄。アンタから貰った女ものの服、助かったよ」


 ちょうど今着ているのもそれだ。

 夜の店に繰り出すのに相応しいおとなしめのカジュアルなドレス。

 着ている自分でさえ少し高揚するくらいには、美しいと感じる。

 問題があるとすれば、ポケットが皆無なことだ。機能性が悪すぎる。


「ふふっ、とりあえずアンタが今の自分を楽しんでるのは良かったわ。

 それで注文は何にする? 前のと同じが良いかしら?」


 レオ兄の言葉に頷き、ブランデーミストを注文する。

 この店に顔を出すのは久しぶりだというのに、よく覚えていてくれたものだ。

 

 ……氷を手際よく砕いていく兄貴を見つめながら、本当に冒険者時代が嘘のように美しくなったと思う。紫を基調とし首元まで伸びるカクテルドレスと肩を隠すように巻かれた優しげなストール。


 俺は彼が男だということを知っているから簡単に見抜けるが、そうでなければ背の高い女にしか見えないだろう。首元と肩、そして指先を手袋で隠しているから詳しい奴は疑うかもしれないが、それくらいだ。


「ありがとうな、レオ兄。相変わらず惚れ惚れするバーテンぶりだよ」

「――はぁ~、あのね、フランク。前にも言ったでしょ?

 アタシのことはレナ姉って呼びなさいって」


 受け取ったブランデーミストを転がす。

 細かく砕かれた氷が、ブランデーの中を泳ぐのを楽しみながら。


「そう言われてもな、俺にとってはずっとアンタは頼れる兄貴で……」

「――おだてたってダメよ?

 特に最近じゃアタシを女として見てくれるお客さんも居るんだから」


 そう言われてしまうと返す言葉はない。

 確かに兄貴は冒険者をやめてから見る見る間に綺麗になった。

 これが本当のアタシなの、と言い出した時には面を食らったが。


「分かったよ、レナ姉。これで通せばいいんだろ?」

「ふふ、やればできるじゃない」

「じゃあ、お見舞いのお礼に一杯奢るから、好きなの飲んでくれよ」


 このレオ兄からレナ姉へと変わってしまった男は、昔の俺たちの仲間だ。

 数年前までは、俺とバッカスとレオ兄でかなり良い仕事をしていた。

 これが自惚れでなければ、中堅どころとしては上の方の成績だったはずだ。

 3人でパーティを組んでいた頃が、冒険者としての全盛期だろう。


「あら、良いの? 引っ越しでお金が掛かるんじゃない?」


 レオ兄の言葉に頷く。事情はよく知っているという訳だ。

 彼もパーティを組み始めた頃には冒険者アパートに住んでいたからな。

 やめる前に良い家を探して出て行っているけれど。

 そういうところが昔から上手い男なんだ。


「流石にここで1杯も奢れないくらいに金がないわけじゃない」

「そう? じゃあ、ありがたく頂戴するわ。

 でも流石のアンタも出ていくつもりなのね? 冒険者アパート」


 俺が奢った1杯分としてブランデーをロックで飲み始める兄貴。

 ……そもそも俺がブランデーの味を知ったのも、彼に誘われた時だった。

 あの頃の兄貴は、二刀流の魔法剣士で、本当にカッコいい男だった。


「流石にこの身体であの場所には留まれねえ」


 ドレスの胸元を見せつけながら兄貴に愚痴をこぼす。

 これでもう少し胸があれば谷間くらい作れたのだろうが。


「アンタね、そういうのは狙った男だけにしときなさい。安売りはダメよ?」

「兄貴が兄貴のままだったら狙ってたよ。どうして姉貴になっちまったんだ?」

「ふふっ、前も話したでしょ? これが本当のアタシなの」


 にこやかに笑う兄貴。冒険者時代には見せなかった顔だ。

 俺が覚えているかつての彼は、いつもニヒルに笑っていた。


「女人禁制だもんな、冒険者ギルド」

「そうそう。本当は女になりたいなんて言ったら追放待ったなしでしょ?」

「……それはあるかもな。

 あのギルド長のクソハゲ、嬉々として俺を追放してきたし」

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