第7話 メドベキアの町

 昼間、カインは町へよく買い出しに行く。一人の時もあれば、シスターと一緒の時もある。


 町は昼間でも危険だが、僕のチカラなら危険が避けられる。暗がりにさえ入らなければ。だが、今みたいに暗くなってからの危険度ははるかに増すのだ。


 カインはアンバーと並んで歩いていた。


 夜空には星が瞬き、そのうちの一つが線を描いて落ちていく。孤児院から町まではずっと下りだ。小高い丘を降りながら歩いていた。


 アンバーは肩まであるフワフワとした黒い髪に赤いカチューシャを付け、白いワンピースと黒のスパッツ。そのワンピースが暗闇の中に浮いているようにも見える。


 カインはアンバーが抱きしめるように持っている絵本を見て言った。


「アンバー、そんなに“それ”が気に入ったのかい?」


「ええ、私はこのお話し大好きよ。だってなんかかわいそうなんだもの」


「かわいそう?」


「そうよ、月と太陽はいつまで経っても一緒にはなれないの。お互いが好きなのにね」


「僕にはよく分かんないな」


「そう? 私たちとあの町の人達みたいじゃない? 同じなのに一緒にはなれないの」


「……そう、だね」


 カインは話しを変える事にした。


「アンバー、今週は何冊本を読んだの? 僕はそんなに読めなかったんだけど」


「私は四冊読んだわ。興味深いのが一つ、面白いのが一つ」


「あと二つはどうだったんだい?」


「カイン、あなたジャックの書斎の本の……いや、なんでもないわ」


 クスクスとアンバーは意味深な顔を向ける。心無しか顔が赤いような。


 町には外敵から守るための外壁がグルリと町を囲っている。その外壁はカインの腰ほどまでしかない。前々からこれは低すぎると見る度に思っている。まぁ仕方ない事なのだ。“感じる”事が出来ない人々には分からないのだから。


 町には煉瓦造りの家々が競うように立ち並んでいるが、これもまずい。


 “ヤツら”には格好の隠れ蓑がたくさんあることになるのだ。家と家の間の暗がりなんて特にだ。


 夜のために人通りがほとんど無くなった町の通りに立って、カインは鼻から息をたくさん吸い、息を止める。そして吐く。


 もう一度吸ってゆっくり息を吐きながら意識を集中した。チカラの影響で茶色い瞳がボンヤリと赤くなる。


 町の方々から無数の言葉と感情が押し寄せる。


 違う。これも違う。違う違う。……どよめきと混乱。これか?


 カインはアンバーの細い手を取って走った。アンバーはお気に入りの絵本を抱えたままカインに引かれるままにした。頬が赤らむ。


 酒場『海浜亭かいひんてい』海の近くですらないこの町の唯一の酒場。


 そこでマリアは男たちに囲まれていた。


「離せっ!」


 ドカッ!


 マリアの正面の男の一人が、マリアのお気に入りの茶色いブーツに股間を蹴りあげられて倒れ込んだ。


「てんめえ! 女だからって容赦しねえぞ!」


 マリアはスキンヘッドで筋骨隆々な男に左腕を強く掴まれた。


 振り解けない。


「痛いっ! 離せっ!」


「女だてらにはしゃぎやがって! ここがどこか分かってないのか!」


「知るか! そいつが人の尻触るからだ!」


 マリアはフワリとジャンプして男の顔面に蹴りを入れた。だが、もう一方の腕に防がれた。


「このばかやろう! 出て行きやがれ!」


 マリアの左腕を掴んでいる大柄なスキンヘッドはマリアを放り投げた。


「きゃあぁぁ」


 マリアは酒場の入口を通り過ぎて派手に転がった。煉瓦で出来た道端で呻いた。


「うぅ……」


 大柄なスキンヘッドは表に出るとこう言った。


「ガキが! 失せやがれ」


 唾を地面に吐き捨てて男は店内に去っていった。


 マリアは立ち上がりながら言った。


「この卑怯者ー!」


「……マリア? 何してるの?」


「カイン?」


 酒場からほど近い場所の道端に段差を見つけた。椅子がわりに三人は腰掛け、マリアの説明を待った。


 アンバーは肩から下げているポーチから飴玉を取り出し、コロコロと舐めながら、段差から脚を放り出すようにブラブラさせて三日月を眺めている。


「……私、働こうとしたのよ。あそこで」


 カインとアンバーは頷き、続きを促した。じっと見つめる。


「そ、そりゃさ、シスターには大丈夫って言われたけどさ。私が働けば少しは……ってさ」


 カインとアンバーは頷き、続きを促した。じっと見つめる。


「カウンターで、人を募集してないかって話ししてたら、あいつらの一人が……その……お尻を……ゴニョゴニョ」


 カインとアンバーは同時に言った。


「えっ?」


「えっ? なに?」


 マリアは驚いた顔。あれ? 二人の目が点に見える。いや、点だ。ゴマ粒みたいになってる。


 アンバーはカインの陰から遠慮がちに言った。


「そ、それだけ?」


「そ、そうよ」


 プチ。


「はぁぁあああああ!?」


 カインは立ち上がり、マリアに詰め寄りながら言った。


「お前はバカか! みんなが心配して! 何かあったかと思って! それが! なに? 働こうと思った? 尻?」


 カインは自分の尻を馬みたいに叩きながら言った。


「はぁああ!? 尻ぐらいでなんだ! 尻の肉もぎ取られてから騒げ! バカか! バーカバーカ!」


 カインは狂ったようにけなした。


 マリアはカッと顔を真っ赤にして反論した。


「な、なによ! 私だって、何かしようとしたのよ! 酒場ってあれでしょ? お酒を運ぶだけでしょ! 私だって出来るわよ!」


「はい分かってませんー! バカなのが証明されましたー! 女があんなとこで働くって事は触られるってことなんだよ! バカ! 頭腐ってんのかこのバカ!」


 カインは唾を唾して頭の近くでクルクルと指を踊らせて言った。


 マリアは太ももの上で拳をギュッと握りしめ、うつむいて涙を浮かべた。アンバーがそっと肩を抱いてやる。


 カインはマリアの涙を見て後悔した。無事だと分かり安心した途端、自らの怒りに任せて八つ当たりを含めて責めたのだ。その自分の行為に背中を向けるように冷静になった。


「うぅ……そ、その、悪かったよ。マリア。とにかく帰ろう」

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