第45話『蒼桜の大切』

 とある日の夕暮れ。突然蒼桜が家に来た。大きな荷物を背負って。

 え、なんで?

「ここ泊めて。少なくとも今日は。できるなら、ずっと」

「とりあえず、中入って。話はそれから」

「ありがとうございます。お邪魔します」

 出された麦茶を飲んだ蒼桜は、虚空を睨んでこう行った。

「あのクソジジイがウザいので帰りたくありません。あいつが謝りに来るまで泊めてください」

 訳:父親と喧嘩したから帰りたくない。なので謝りに来るまで泊めて欲しい。

 平たく言えば、家出か。

「一生懸命働きます。勉強もするし、ここから学校通います。夜はどんなに騒がしくても文句言わずに寝ます。だからお願いします。空気だと思ってもらっていいから」

 なんか変なのが入ってた気がするけど…

「母さんに電話していい?」

「ダメ。やめて。連れ戻される」

「そうは言ってもなぁ。どうせバレるだろ。お前のいくアテなんて、そんなにないんだから」

「わかった。その代わり、私を擁護ようごしてね。『蒼桜は僕がしっかり面倒見るから、心配しないで。二人きりの時間を楽しんでよ。そうだ、次は男の子がいいな』って言っといて」

「言うかバカ。でもまぁ、善処するよ」

 一人部屋を出て母に電話を掛ける。

「もしもし母さん? 今家に蒼桜が来たんだけど」

『あ、蒼空の所だったんだ。急に荷物まとめて出てったから心配だったのよ。それで、なんだって?』

「少なくとも今日は泊めてほしい。できるならずっと。父さんが謝るまで帰らないって」

『そっか。じゃあ今日はお願い。明日の朝迎えに行くから』

「でも、もう少し預かるよ。一晩じゃ頭冷え切らないだろうし、二人にも休める日があった方がいいでしょ」

『…それもそうね。じゃあ、よろしく頼むわ。でも、明明後日しあさっての昼に行くからね』

「わかった。本人にもそう伝えとく」

 電話を切って、部屋に戻る。

 そういえば、母さんの登場ってプロローグ以来なんじゃないだろうか。

 菫と談笑していた蒼桜は僕に気づくと、それをやめ『どうだった?』と訊いてくる。

「明明後日の昼に迎えに来るってさ」

「そっちじゃない。男の子と女の子どっちがいいって?」

「強制送還するぞ」

 母親とそんな話できるか。お前くらいだよ。

「まぁまぁ…」

「妹だったら蒼理絵留アリエル、弟だったら蒼蔵照須ソクラテスって決めてたのに…」

 キラキラしてるな。お前も蒼桜美泥アオミドロとかの方がお好みか?

「お兄ちゃんで我慢しろ」

「やーだ、お姉ちゃんも欲しかった!」

 それはマジで無理だから。

「何はともあれ、とりあえず明明後日の昼まではいられるんだよね。よかった、じゃあ今日の夕飯手伝ってくれる? 人数増えたから、もう一品作りたいの」

「任せてください!」

 あれ、結局あいつの料理下手属性ってボツったんだっけ?

 その疑問は、キッチンから聞こえてきた何かが破壊される音で解消した。

「菫、僕が手伝うよ」

 僕はビニール袋を持ってキッチンに向かった。


 蒼桜は席について、夕食の完成を今か今かと待っている。

 僕はお皿を両手に持ち、その一方を彼女の前に置いた。

「はい、300円」

「お金取るの⁉︎」

 当然だ。僕らの生活費は僕のバイト代と菫の仕送りから出ている。食費も例外ではない。

「働かざる者食うべからず」

「で、でも…私夕飯作るの手伝ったよ?」

 お前の世界では皿を割ることは料理の手伝いに入るのか?

 はぁ、と僕は溜息を吐く。

「冗談だ」

 元々引き留めさせたのは僕だしな。

 ただ、この世の全ては等価交換。300円の価値がある話を聞かせてもらおうか。

「なに? こっち向いて、気持ち悪いよ」

 蒼桜にそう言われ、そっと目を伏せる。

「あとで暇な時でいい。僕の部屋に来て」

 蒼桜はキョトンとした顔をしたが、すぐに頷いた。


 ノックなんてものはなく、気づいたら蒼桜に背後を取られていた。

「なに? 菫さんの前では言えないこと?」

「必ずしもそういうわけじゃないけど、市東家うちの問題に変に関わらせたくなくてさ」

 そこまで言って蒼桜は理解したようだ。

「つまり、なんで私とクソジジイが喧嘩したのか知りたいんだね?」

 僕は無言で頷く。

「別にいつもと同じだよ。アイツの言動が気に食わなかっただけ」

 ダウト。

「蒼桜は父さんに突っかかることはあっても、逃げることはない」

 いつもと違う何かがある。

「『菫』についてか?」

 蒼桜は何も言わない。

「『この同棲』についてか?」

 蒼桜は俯いたまま動かない。

「じゃあ『市東菫を生み出す会の活動』について?」

 蒼桜の姿勢は変わらないまま、カーペットに小さなシミが二つついた。

「全部」

 なるほど、つまりこの作品全てか。

 どんな経緯があったかは知らないが、父さんが蒼桜に伝わる形で、蒼桜の大切なものを否定した。

 それにキレた蒼桜が、顔も見たくないと家出。今に至る、と。

 僕が言うべき言葉はなんだろうか。『泣きやめ』ではないだろう。『事情はわかったからしばらく泊まってけ』も違う気がする。『今すぐ帰れ』は論外。

 ふぅ、と息を吐いて立ち上がる。

 今日は溜息が止まらないな。

 そして部屋を出る直前、こう言った。

「ありがとな」

 そのあと部屋で何があったかは知らない。

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