第13話 重ねる姿



 家に逃げ込んだとして、どうだったか。

 いきり立った猪狸は危険だ。敵と見做したルーシャを追って扉をぶち破ったかもしれない。

 屋内では動きも制限される。単純な筋力で劣る以上、狭い場所で戦うのは有利とは言えなかった。


 敵対した獣に背を向けるのも上策ではない。

 考えている時間もなかったけれど、どうすべきかを考えれば間違いだったとは言えない。



「Viiッ!」


 ルーシャの背後、その首筋に向けて飛び掛かる黒い影。

 その出所を掴み切れなかったフラァマだけれど。



「相手は違いますけど」



 最初から、どこから出てくるかわからない敵に備えていたのだ。

 予定とは違うけれど準備をしておいてよかった。


「まずは!」


 投げた。

 網を。


 引っ張る力ではおよそ千切れない蔦がある。刃物で横に引けば切れるが、力任せに引っ張ってもまるで切れない。

 万引草ばんびきそうと。

 その皮を剥いで編んだ投網。


 魚を取る時に使う。

 今回はその投網に薬をかけた。魔里参と紫石の粉を水に溶かすと白くあぶくを立てて煙になる。その煙にまぶした。

 幽霊が多すぎて困る時に使う魔法薬の煙。この網で忌吐きを捕えようと思って。



 予定とは違うけれど、獣に殺されるわけにもいかない。


「Via!? GiiiiBue!」


 うるさい。網に飛び込んだ黒跳鼠にぐいっと引っ張られながらも、ルーシャの背中には飛び込ませない。

 それよりルーシャは――



「すぅぅ」


 黒跳鼠に振り向くことなく突進してくる猪狸を真っ直ぐに見据えて、大きく息を吸った。

 ぶつかる。


「ル――」

「は!」


 ルーシャの蹴り足が泥をはね上げると同時に猪狸の岩のような鼻が唸りを上げた。

 その勢いでぶつかったらルーシャが吹き飛ばされる。


 フラァマが見ている前で、ルーシャが猪狸の脇をすり抜けるように躱した。


「Bue……」


 抜けた猪狸は、数歩歩いてからゆらりと揺れて、横倒しに。

 ルーシャが抜けた側の喉辺りから、短槍の柄を生やして。

 交差する一瞬で喉元から心臓に打ち込んだのか。信じられない。信じられないが、見事な武技。



 けれどまだ終わりではない。猪狸の後ろから迫る青白い忌吐きは、体勢を崩し膝をついたルーシャに覆いかぶさろうと。


「イッッハアァァァル‼」


 意味の通らない嬌声を上げながら食らいつこうと。

 いけない。ルーシャは逃げられないし、フラァマは黒跳鼠を捕らえた投網に引っ張られて間に合わない。



「消えなさい下郎‼」


 吠えた。

 猪狸に向かう直前に吸っておいた息で、ルーシャが思い切り吠えた。フラァマが教えた通りに。



「モモォォゥッ!? アァロゥ……」


 最初の遭遇の時はそれで飛び散ったという青い顔。顔だけで浮かぶ忌吐き。

 だけど、今回は違う。

 ルーシャの叫び声を受け、青い輪郭が震えわずかにたじろいだが、消え去ったりしない。


「くぅっ」


 気を取り直し再び襲いかかってくる忌吐きに対して、ルーシャは手を着いて立ち上がろうとして――転んだ。

 着いた右手から血が流れている。

 猪狸との交差の時に爪が掠ったのか、その痛みでバランスを崩した。


「ヤアアァァフィィ!」


 踊り出しそうな声を上げてルーシャに食らいつこうとした忌吐き。だけど。



「させませんよ、変態男」


 網にかかった黒跳鼠などどうでもいい。すぐに捨てた。

 ルーシャの気迫にたじろいだ一拍の時があれば、フラァマが次の手を打てる。


 ――ぱん!


 手の平を打った。

 手の中のほおずきの袋を叩いた。


「つ」


 音とは違う振動、衝撃が割れたほおずきから発して辺り一帯に響く。

 フラァマの体から、自分の魂がズレて飛び出すような感覚を覚える。肉体的なものではない、あやふやなものを打つ衝撃。

 同じ衝撃をルーシャも感じたはずだ。僅かに呻く声が聞こえた。


 範囲を絞れない。周囲に影響を及ぼすからあまり使いたくなかった。

 この状況で選択の余地はなかったけれど。投網で捕まえられたらその方が良かった。



「――ィ‼ ヂアェェェェッ!?」


 霊体に直接衝撃を受けた忌吐きは、フラァマ達の比ではない。

 ミトンもつけずに熱い鍋フタに触れたようなものだ。沈黙に続けて絶叫をあげた。

 忘れていただろう痛みに耐えられず、ルーシャの手前でのたうち回る。


 卑劣な男。

 顔を見て思い出した。以前にこの家を襲いフラァマを捕えようとした男だ。

 ろくでもない事情で町から逃げてきた。おそらく何かの術士で、町で犯罪でもして追われたのだろう。逃亡したのか。


 お師様に追いやられ冬の森に。死ぬ前に逆恨みから忌吐きの術を使った。

 死んでまでも下劣な男。



「ルーシャに姿を見せたのがお前の敗因です」


 もうひとつ。腰に挟んでいた木板。

 朽ちた老木は、この世界とあやふやなものの間に近い存在になる。

 そして乾いた木はよく吸う。水を、あるいは水のように形のないものを。


「お前の姿絵です」


 のたうちまわる忌吐きに駆け寄り、男の姿絵が描かれた老木の板を押し付けた。


「ギェァァァァ!?」

「下手な絵でしたが、お前にはもったいないくらいでしたね」


 悲鳴をあげながら木板に吸い込まれていく忌吐きに冷たく告げる。


「この木の中で何も出来ず腐れて消えて行きなさい。それがお前の末路です」

「ウ、エァ……ダァ……」

「嫌だと言えるような生き方をしてこなかったんでしょう。自業自得ですよ」


 木板に完全に同化していく忌吐きに吐き棄ててから、はっと我に返った。

 こんな男の末路などどうでもいい。



「ルーシャ!」


 まだ倒れたままだったルーシャに駆け寄った。

 傷を負い、忌吐きに追い詰められ、ほおずきの破裂でショックを受けたルーシャ。まだ尻餅をついたままの彼女に。


「大丈夫ですか、ルーシャ?」

「ええ……なんて顔していますの、フラァマ」

「顔、って……」


 強張ったフラァマの表情に、ルーシャは座り込んだままふふっと笑う。

 安心しなさいと言うように。


「わたくし、武芸の筋はとても良いと評判ですの。見ました?」

「それは……はい、見ました。驚きました」

「でしょう」


 自慢げに、けれどくすりと付け足す。


「わたくしも、驚きましたわ。いた、たぁ……」

「傷を見せて下さい」


 フラァマも座り込んでルーシャの手を取る。

 手の甲の途中から肘に向けて、一筋の傷痕。猪狸の前足の爪が引っ掛かったのか。

 骨にまでは達していないが、肉が裂け血が溢れている。


「すぐに手当てを。でも少し血を流すように下に向けておいてください。獣の爪は病を運ぶことがありますから」

「あれは、もう平気?」


 地面に落ちた木板。青く光って震えた後は動かなくなった。

 それと別に物音が。黒跳鼠が網から這い出して、そのまま飛び跳ねて森へと逃げていく。

 別に追う必要もない。



「忌吐きはもう大丈夫です。ルーシャの描いた姿絵と入り口だけの紋を刻みましたから。あとは焼くなり埋めるなりで」

「そう」


 首を縦に動かしかけてから、ふとフラァマに向けて唇を尖らせる。

 むぅっと。


「あんな木炭で絵なんて、上手く描けるはずがないですわ」


 下手な絵と言われたことを思い出したのか。

 忌吐きの男を悔しがらせる為に言ったけれど、ルーシャの機嫌を損ねるのも当然だ。

 人を傷つける言葉は反響して自分に返ることがあるとか。こういうことかもしれない。



「私ならもっと上手く描けます」

「嘘よ」

「本当ですよ」


 くだらないことを言い合って二人で笑った。強張っていたフラァマの頬も緩む。


 世界には不思議なことや危険なことがある。

 けれど二人で乗り切ることができて、なんだかとても嬉しかったのだ。たぶん一人でやり切るよりもずっと。



  ◆   ◇   ◆

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