第8話 デザートとコンビニ①

 止まない雨がないのだとすれば、片付かない部屋はないのではなかろうか。


「……全然終わらないじゃないですか!」

「もういいんじゃない? かなり片付いたし」

「許容範囲外ですよ……まだ暮らせそうにありません」

「終わりがないのが終わり、って誰かさんが口にしていた気がするけどなぁ」


 段ボール要塞攻防戦と名づけられたこの戦い(片付け)は、長期戦と化していた。片付かない部屋がないとはいっても、片付けるのが困難を極める部屋はある。それがこの部屋だった。


「口より先に手を動かしましょう」

「ごめん、私、そろそろ限界かも……」

「ちょっと休憩にしましょうか」


 時間をかけた割には先に進んでいない。片付けに慣れていない優里亜ゆりあさんにとって、取捨選択作業には時間がかかる。そのうえ、途中で思い出の品を見つけては、そちらに関心がむいてしまい、中断せざるをえなかったのだ。


 まあ、卒業アルバムで優里亜さんの小さい頃の姿が拝めたのでいいとしよう。いい意味で、小さな頃からまるで顔が変わっていなかった。ロリ優里亜さんもまた素晴らしかった。俺はくそ真面目な男なんだ。自分の本音に正直な男だ。


晴翔はると君、なにか甘いものでも食べない?」

「なにかあるんですか」


 足元に気をつけながら、優里亜さんは台所にある冷蔵庫を目指した。上の段を開けようとしたところ、雪崩が起きて食材が顔に当たっていた。目的の品を取り出し、落ちたものをどうにか詰め込み、こちらに戻ってくる。


「カステラが残ってたって覚えてたの。結構大きいから腹持ちも良さそうでしょ? 本当はひとりで一気に食べるつもりだったのだけれど」

「ちょっと待ってください、このサイズをふだんはひとりで食べてるってことですか」

「女の子にとって、デザートは別腹だっていうじゃない」


 冷静になって考えると、優里亜さんは痩せ型とはいえ長身だ。エネルギーが他の人に比べ、たくさん必要なのに違いない。さほど驚くべきことでもなかった。


「納得しました」

「じゃあ、ソファで食べようか」


 ソファの上のものを床に一時避難させ、さっそくいただこうと思っていたのだが……。


「なんか、変色してません?」

「気のせいじゃないかな」


 箱を開け、中身をじっくり見てみたところ。明らかに黄色いところに黒い斑点がポツポツあった。


 念のため、賞味期限の表示を確認しておく。


「……賞味期限が二ヶ月前じゃないですか! こんなの食べたらお腹壊しますよ!」

「大丈夫。納豆だって大豆を腐らせてるんだから」

「それとこれとは話が別です」

「賞味期限は切れてからが勝負なのに」

「切れるまで、の間違いな気がします」


 さすがに賞味期限切れのカステラをいただくわけにもいかないので、優里亜さんに返したのだが。


「なぜ食べようとしてるんです?」

「カステラが可哀想なんだもん……ダメ?」

「子犬みたいに瞳を潤ませてもダメです。優里亜さんの健康が一番ですから」

「仕方ないなぁ」


 優里亜さんはカステラを渋々処分した。「半年ぐらい切れてても大丈夫なのになぁ」とひとりごちっていたのは気のせいだろうか……。


「もしかして他の食品も全部賞味期限切れとかないですよね」

「引っ越してきたばかりじゃない。生のものは買って間もないから平気」



 カステラのほかに目ぼしいデザートはなさげだった。しかしながら、優里亜さんはデザートをどうしても食べたい、ということで。


「じゃんけんで負けた方がデザートを調達するっていうのはどう?」


 ということで、ジャンケンをした結果────俺が負け、パシられることとなった。


「近くのコンビニでいいですか?」

「もちろん。甘いものならなんでもうれしいから!」

「この借りは高くつきますよ」

「大丈夫、返せたら返すから」

「〝いけたらいく〟イコール〝いかない〟なんですよ。じゃあいってきます」

「いってらっしゃ〜い」


 階段を駆け降り、駐輪場へ。最低限の用意はしてある。あとは、漕ぎ出すだけだ。


 風に吹かれながら、ペダルを回す。暑さとともに、涼しさの気配も感じる、そんな曖昧な風に吹かれながら。


 コンビニの前に自転車を停め、自動ドアをくぐる。人はまばらで、店員の挨拶が静かな店内によく響く。


 デザートのあるコーナーまで迷わず進む。美味しそうなものを見つけたので、さっそく手に取ろうと思っていたのだが。


 自分の指と誰かの指がぶつかってしまった。どうも、同じ商品を取ろうとしていたらしい。


「すみません」

「晴翔殿、なにも謝ることはないではないか。もっと図々しくしていてよいのだぞ?」

「そ、その声は……!」


 視線を、隣にいる人物へと移す。


「私しかいないだろう、晴翔殿などと呼ぶのは」


 緑岡縁菜みどりおかえんな。俺の女友達のひとりが、そこにいた。


「縁菜、どうしてここに?」

「ランニングがてら、菓子を買いに来たのだ。運動の後の菓子は私の少ない楽しみのひとつだからな」


 そういって、縁菜は豪快に笑った。一瞬、他の客から怪訝そうな視線をむけられる。


「せっかく運動したのに甘いものを食べたら効果が半減しそうな気がするが」

「デザートは別腹と自分自身を誤魔化している」


 緑岡縁菜、お前もか。


「さて、私は目的があってここにいるわけだが、晴翔殿はなぜ甘物などを食べようと?」

「特に理由なんてない。強いていうなら、甘いものを食いたい衝動に駆られたんだ」

「珍しいこともあるのだな。甘々成分は氷空 ひそら殿や冴海さえみ殿から過剰なほどに摂取しているというのに」

「氷空に関しては激辛。逆に、冴海に関しては甘さと毒が同居している」

「冴海殿は蜂というわけか。蜂蜜という甘味はありながら、針の中に毒を持ちあわせている。なかなか上手いこというではないか」

「いやいや、褒められるようなことじゃないよ」

「まあ、というのは嘘だ。本当は『地味にドヤ顔すんな』と思っていたのだ」

「なんでだよ。ドヤ顔なんてしてないぜ」


 ……というわけで。


 緑岡縁菜という人物は、────その口調からわかるように────女友達の中ではなかなかの変人なのである。

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