第5章

 正直言って、俺は驚いた。

 下落合といえば、まあまあ庶民的な町である。

 その時点で、少しばかり首を傾げた。

 大ヒットを記録しているRQシリーズのイラストを担当している作家が住むにしては、若干落ちるかと思ったが、漫画家やイラストレーターという商売には色々いるからな。

 その辺はまあ多少割り引いておこう・・・・そう思ったのだが、

”彼”の住んでいるアパートを見て、更に首をもっと・・・・90度近く傾けざるを得なかった。

 俺はポケットから、”ふたたびの想い出”を取り出して、改めて確認してみた。

 カバーには、

 カバー絵・挿絵の作者名に、

”RAN”

 とだけある。

 最初、女性だと思った。

 当り前だろう。

 あんな繊細な絵柄は男には描けない。

 本当にそう思ったのだ。

”RAN”の住まいだという、そのアパートは、築20年以上は経っているだろう。

 木造モルタルの2階建て。

 ところどころペンキの剥げかかった鉄製の階段がついている、家賃は月5万・・・・いや、4万というところだろう。

 どこからか洗濯機の揺れる音と、チリ紙交換の声が聞こえる。

 二階の一番右の奥・・・・そこが編集部から教えられたRAN先生の仕事場兼住居という訳だ。

 彼の部屋番号201号室の、ドアの周りには、発泡酒の空き缶が詰まっているゴミ袋が二つと、何本かの日本酒の空き瓶が並んでいる。

 呼び鈴を押してみる。

 一度目、応答なし。

 二度目、応答なし。

 三度目、中で何かが動く音がし、三分の一ほどドアが開き、中から顔色の良くない、痩せた男が、

『誰ですか?』と、如何にも寝起きでござい、というような間延びしたでこっちを見た。

『失礼ですが、イラストレーター・・・・いや、漫画家のRANさんですな?』

 俺はそう言ってから、認可証ライセンスとバッジを彼の前に突き出し、

『私立探偵の乾宗十郎というものです。どうしても伺いたいことがありましてね』

 彼は頭を掻き、如何にも気だるそうにドアチェーンを開け、

『まあ、どうぞ』

 大きく開いて、俺を中に入れてくれた。

 中は・・・・描写するまでもあるまい。

 諸君が想像する通りだ。

 手前にフローリングの床と流し台。

 奥に四畳半という間取り、トイレと風呂が付いているのがご愛敬というところだ。

 中は・・・・ちらかっていると言いたいところだが、それほどひどくもない。

 本が雑然と積み重なってはいるものの、掃除はそこそこ行き届いている。

 畳の部屋に大きな事務用のデスクと椅子がある。

 どうやらそこで彼は作業をしているらしい。

 本棚のある側には、丸めた万年床がそのままになっている。

『何の御用です?僕は昨夜徹夜で仕事をしてましてね。やっと上がったところで、これから出版社に原稿を届けに行かなくちゃならないんですけど、

 彼は着ているスウェットの上着を持ち上げ、だらしない仕草で腹を掻き、大きく欠伸をして見せた。

『なに、お手間は取らせません。先ほども申し上げた通り、本当にちょっとだけ、お話を伺いたいだけですよ。』

 そう言って俺は、部屋の中を見渡し、”ふたたびの想い出”を、畳の上に置く。

『それにしても少し驚きましたな。RANなんて筆名ペンネームを使っておられるから、てっきり女性だとばかり思っていたんで』

『別に悪くはないでしょう』彼はひねたようにそっぽを向き、吐き捨てるように答え、上から羽織っていたグレーのスウェットのポケットから、マイルドセブンを取り出し、百円ライターで火を点けた。



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