第19話 こんな魔法を使いたい

「ベルリラ、もう帰ったら?」

「やだ。帰んない」


 父親と言い合いになってむすくれたベルリラは、コートを着こんで家を飛びだし、商店街の南通りを北上していた。そんなベルリラを心配した妖精猫ケット・シーが、彼女の後ろをのてのてとついてきている。

 金の柱がきらきらとしたアーケードには、国章のガーランドや造花の装飾があしらわれている。建国祭のために飾りたてたものだ。アーケード内部の空気は温められているため、冬の迫ったいまの時季でもすごしやすかったけれど、商店街を練り歩く人影は少なかった。


「危ないよ。家を出ちゃだめって言われてるのに」

「商店街からは出ないし平気。魔弾の射手がこんなところまで来るわけないもん」


 ベルリラに宛てもなく歩きつづける。なるべく父親から離れたところへ行きたかったのだ。心配をかけている自覚はあったけれど、いっぱい心配してしまえばいいと思っていた。

 しばらく歩きつづけたため、中央の広場が遠くに見える。いつもなら軽やかな音色を奏でている音楽隊の姿がない。吹き抜けから冷たい風が吹くだけだ。

 ベルリラは両腕に抱えたファゴット・ザシャの『星団姿絵集』を開く。家を出る間際、自分を慰める気持ちで、それを引っ掴んで持ちだしたのだ。

 何遍と見返したから、どの魔法使いがどのページにいるのか、なんとなくわかっていた。美しいカシオペヤ、かっこいいアークトゥルス、そして、誰よりも強いルシファー。

 ルシファーの絵姿を眺めながら歩いていると、誰かとぶつかった。ベルリラははずみで姿絵集を落としてしまう。前を見ていなかった自覚はあったので、咄嗟に「ごめんなさい」と相手に言った。そこで、顔を上げて、わずかにおののく。

 ぶつかった相手は、幽霊のような男だった。


「よそ見して歩くのはよくないが、最近の若者は謝れてえらいな。ぶつかった相手になんて抜かす老害とは大違いだぜ」


 荷物の入った紙袋を片手で抱える、外套コートのフードを深く被った男で、ベルリラの目線からは乾いた唇と鼻先しか見えなかった。ただ、全貌が窺えないことより、その存在感のなさが、まるで幽霊のようだと思わせる。

 目の前にいるのに誰もいないみたい——それは魔力を限りなくゼロにまで抑えこんでいるからだと、当然、ベルリラにはわかりようがない。ただ、得体の知れない恐怖を覚えて、ベルリラは唾を飲みこんだ。

 早くその場を立ち去ろうと、落とした姿絵集に手を伸ばす。

 すると、ぶつかった男の視線もそちらへ落ちた。


「……はあ、やっぱりだめだな」

「っえ?」

「害悪すぎる。世代交代を滞らせるばかりか、新芽に悪影響を与えるなんて、これじゃあ環境汚染だろ。とっとと駆逐するべきだったぜ、近衛星団。魔法使い至上主義をキラキラコーティングで誤魔化して世間にのさばってやがる」

「…………」

「いつの時代でも目に余ったが、昨今はあまりにも毒だな。かわいい若者の教育にもよろしくない。この手の本は全て焚書すべきだし、あの手の輩はみんな排除すべきだ。正当に処罰する法律がこの世に存在しないのが悲劇だよ」


 すぐにだとわかった。

 ベルリラの足元にいる妖精猫ケット・シーは毛を逆立てて威嚇していた。しかし、罅割れたグラスからワインが流れ落ちるように、男の身から溢れだす、その膨大なる魔力の片鱗に、たちまち瞳孔を狭め、ベルリラへ「早く行こう」と告げる。もしも追いかけてきたら足に噛みついてやるとでも言いたげな気迫だった。

 そんな妖精猫ケット・シーを見て、男はにたりと笑う。


「俺が怖いの? かわいいな」


 フードの奥から、魔物のような瞳が覗く。

 幽霊よりもよっぽど恐ろしかった。

 ベルリラはぞっとして後ずさる。

 ただ、周りは傍観しているわけではない。不審な男が少女に詰め寄っているのだから、声を低くして「おい、あんたなにやってんだ」と近づいてくる。

 しかし、男はそれに動じたふうもなく、「治安がいいな。ここに引っ越そうか」と暢気にこぼした。そして、懐からを取りだし、引き金を引く。


「ひっ」


 鼓膜を突き破るかのような乾いた後に、ベルリラも周りにいた者も肩を震わせる。

 ただ、ベルリラは見ていた。男の杖から魔法が放たれ、足下にあった姿絵集が一瞬で灰になった。


「賢くなりたかったら、こんな本を読むよりも、魚からドコサヘキサエン酸を摂取して、夜ふかしをせずにレム睡眠をしっかり摂ったほうがいいぜ。帰りが遅くなるとママが心配するだろ、早く帰ってサバのトマト煮でも作ってもらおう」


 さらさらと灰になったものを見て、ベルリラは恐怖と悲哀で掠れた悲鳴を短くこぼす。

 ベルリラを庇うように身を乗りだしていた大人たちも、公道で堂々と魔法を使った不審な男を、驚愕の目で見つめていた。

 やがて、そのうちの一人がはっと気づく。


「まさか……魔弾の射手?」


 サジタリアスは空惚けたように首を傾げる。


「オイルサーディン缶を買いに来た魔法使いをみんなそう呼ぶなら、そうなんだろうな」

「——“§セクションオベリスク”」


 そこにある音を全て吸い取ったかのような静謐の最中、どこからともなく呪文が唱えられた。

 たちまち、サジタリアスの足元が円状に光りだし、錨鎖びょうさが伸びる。蛇のように絡みついてはサジタリアスを拘束し、指の一つも動かせないよう縛りあげた。抱えられていた紙袋が足元に落ち、中からオイルサーディン缶が顔を出す。

 硬直したサジタリアスの頭上では、冠のような円形に連なった短剣が規律正しく旋回しており、よからぬことをしないかと警戒している。

 突然のことに、ベルリラは目を丸めたまま、ただ呆然としていた。すると、上空で外套マントのはためく音がして、ベルリラは顔を上げた。

 あまりに綺麗な魔法使いだ。この世の煌びやかを遍く映し取ったような黄銅の髪。毛先がさらさらと風に震える様さえ美しかった。天使か悪魔とでも契約したかのような美貌に嵌めこまれた瞳は、ただひたすらに赫く、魔弾の射手を冷徹に見下ろしている。

 そんな彼は、金糸の飾りをあしらわれた箒の上に立っていた。魔法使いの騎士の証である、純白の外套マントが靡いている。

 何度も本で見た。その目に焼きつけた。ベルリラが彼を間違いはしない。熱の籠った声がこぼれる。


「ルシファー・ゴーシュ……!」


 ルシファーは箒を水平に維持したまま、緩やかに下降して、地に足をつける。独りでに直立した箒が、彼の左手に収まった。

 そして、杖を振るい、離れた吹き抜けのほうへ魔法を放つ。応援要請の花火だ。


「やっと見つけたぜ、魔弾の射手」ルシファーは起伏の乏しい声で告げる。「お前が魔力を滲ませてくれて助かったよ。おかげで、思ったよりも早く見つけられた」


 淡白な声調とは裏腹に、ルシファーの魔力は沸々と煮え滾る。目の前に魔弾の射手がいるのだ。何人もの仲間を殺してきた、この世の誰よりも憎い、星団殺しの魔法使いが。

 その憎悪に震える魔力を全身で浴びているにも関わらず、サジタリアスは鷹揚に笑った。


「なるほど。俺の魔力もついに特定されちまったわけだ。次からは下手なことはしないよう、肝に銘じておくよ」


 そのとき、サジタリアスを縛りあげていた鎖が、頭上で旋回していた短剣が、ピシリと音を立てる。

 鏡が割れたように耳障りな悲鳴を上げ、鎖と短剣が砕け散った。

 サジタリアスの魔力によって破壊されたのだ。

 密度の高い強靭な魔力は、魔法へと変換するまでもなく、それだけで脅威となる。

 フォルナクスの報告にあったとおりだと、ルシファーは動じない。怒りを腹の奥底で燃やしながら、氷のように冷静だった。

 ルシファーはサジタリアスを警戒しつつ、周囲にも気を配る。ルシファーの懸念を察した大人が、「お嬢ちゃん、こっちだ」とベルリラを呼ぶ。ベルリラはルシファーに惚けたまま、のろのろと後ずさった。


「お前にがあると思うなよ」


 そう言って、ルシファーは再び杖を構える。

 ルシファーの杖は、弦楽器の弓だ。


「“強弓と翼矢イシュタライズ”」


 しかし、唱えるや否や、形を大きく変える。

 音を奏でるにはあまりに物々しい、身の丈近くある強弓こわゆみだ。弓毛と挿げ変わった弦は凛々しく、棹を飾る金細工は艶めいている。

 ルシファーは弦に指をかける。矢は持たなかったが、つがえるように弦を張りつめ、キリキリと軋む音が鳴らせば、そこへ光の矢が浮かびあがった。矢羽根を握り締めながら、ルシファーは狙いを定める。

 真紅の瞳がむごたらしく煌めく。


「お前という悪夢を、俺が終わらせる」


 矢が放たれる。

 それが“雷霆らいてい轟け”であることは、サジタリアスも見抜いていた。

 火花放電スパークを散らしながら唸りを上げて迫る菫色の稲妻に、サジタリアスも同じ“雷霆らいてい轟け”をこめて発砲する。

 サジタリアスの弾丸が着弾すると、雷の矢は打ち消されることなく四散した。しかし、割れた光はそれぞれに意思があるかのように、再びサジタリアスに襲いかかる。それは牙を巻く蛇の頭を思わせた。

 サジタリアスは持ち前の反射でそれを避ける。しかし、四つの雷はぐいんっと曲がり、サジタリアスを追尾した。


「なるほど。魔法を重ねがけしてんのか。弦の音に魔法を乗せられるなんざ、さすがは近衛星団の団長さまだ」


 サジタリアスは余裕を崩さない。

 足元に発砲し、盾の魔法を展開。

 半透明の球体が現れ、サジタリアスをすっぽりと覆う。それが雷の猛攻を防いだ。


「“tenutoテヌート”」


 けれど、ルシファーの雷は消えなかった。

 唱えられた呪文が、サジタリアスの盾に突き刺さったままになった雷を響かせる。その紫電はバチバチと勇ましい音を立てて、サジタリアスを貫かんと迫っていた。

 そのあいだも、アーケードのあちこちで、ディンドンと緊急事態を伝える警鐘が鳴らされる。誰かが魔弾の射手が現れたことを伝えたのだ。鐘の音は「すぐに商店街から逃げろ」というリズムで響きわたる。

 菫色の稲妻は獰猛な獣のように吠えたて、盾の中のサジタリアスを食いちぎってやろうと勢いを増す。


「……ミーティア」


 ルシファーが呟く。

 かつて輝いた星たちの名前を。


「キルキヌス。アルタイル。ロタネヴ。モノケロス。アトリア。レプス。ベネトナシュ。ごめんな、遅くなって」


 ルシファーは再び矢を構える。キリリと弦が音を立てるたびに、それは鮮やかな光を放つ。

 サジタリアスを見据え、真紅の瞳を細めた。


「お前らの仇は俺が取るよ」


 サジタリアスの盾の魔法が壊れると同時に、ルシファーが矢を放った。

 咄嗟にサジタリアスは魔力を膨らませ、四つの雷を溶かした。そして、真正面から迫りくる鮮烈な魔法へ、時間停止魔法を発砲する。


「“お返しするぜ”」


 ぴたりと止まった光の矢が、サジタリアスの唱えた呪文に弾かれ、ルシファーへと飛んでいく。

 ルシファーはその魔法を弓でいなした。背後へと弾かれた魔法に見向きもせず、ルシファーは弓を軍配のように振るう。


「“Codaコーダ”」


 すると、サジタリアスの周囲に、コーダマークを模した魔法陣がいくつも浮かびあがる。

 危険だとサジタリアスは直感した。しかし、対応が遅れる。


「“to Codaトゥーコーダ”」


 先ほどいなした光の矢へと、ルシファーが呪文を唱える。

 すると、魔法陣から飛びだしたいくつもの光撃が、サジタリアスの全身を切り裂いた。

 使い捨てたと思われた、あの光の矢だった。

 まるで野獣の爪に嬲られたかのように、鮮血が舞う。痛みを受け止めながら、サジタリアスは理解する。

 事もなげな空間転移魔法——しかも、先出しした攻撃魔法の分割転移を、短縮詠唱で。


「……へえ?」


 サジタリアスはニヒルに笑った。

 魔力操作で傷口の止血をしながら、目の前で魔力を燃やす、稀代の天才と名高い巨星を見た。

 ルシファーは再び矢を放つ。

 地に足もつかないほどの風圧で、サジタリアスは吹き飛ばされた。

 暴風の濁流に飲まれ、商店街の通りを一直線に突き抜ける滞空の最中さなか、サジタリアスは片手を食み、ピーゥイと指笛を吹く。

 その音に呼ばれ、どこからともなく駆けつけたのは、サジタリアスの箒だ。骨を金で継ぎ繋げた柄の先には、乳白色に染められた穂と、黒曜石の玉飾り。

 サジタリアスは箒に足をつけ、風圧の上を滑った。そのままバランスを取りながら飛空し、ルシファーへと銃口を向ける。


「“雷光唸れ”」


 引き金を引くと同時に呪文を唱え、魔法を重ねがける。放たれた“雷霆らいてい轟け”は強化され、触れるもの全てを焼き尽くす、災害のような雷撃となる。

 しかし、ルシファーは防御よりも先に、あたりを犇く店やアーケードの天井に魔法をかけた。商店街を破壊させないためだ。

 そして、打ち消しの“雷霆らいてい轟け”を繰り出し、箒に乗ってサジタリアスを追う。


「“逃がさねえよ”」


 箒に乗ったルシファーは矢をつがえる。彼の背後で、いくつもの魔法陣が展開された。

 放たれた矢はサジタリアスへとまっすぐに伸び、それに続くように、魔法陣から一斉に攻撃が放たれる。

 夥しい数の攻撃魔法だったが、迫りくる魔力の波動の一つ一つは、大したことのない威力だった。サジタリアスは魔力を薄く広げることで防御しようとする。

 しかし、その魔力の壁に触れる直前で、ルシファーの魔法はぴたりと止まった。

 サジタリアスが呆気に取られた、そのわずかな拍子で、魔力の壁が綻ぶ。

 瞬間、爆発した。

 自身の見立てから大きく外れた、強力な爆破魔法だった。

 皮膚の焼けるような爆風を浴びながら、サジタリアスは解析する——先行した矢は干渉魔法だった。後を追う攻撃魔法の威力を見誤るよう、感覚を狂わされたのだ。

 それだけではない。爆発の発現時間が意図的に調整されている。時限魔法の重ねがけだ。

 上級魔法を使いこなすばかりか、二種同時に繰り出すほどの魔力量、魔法技術。


「なんだそれ、逸材すぎるだろ」


 サジタリアスは思わずこぼす。

 その身の内で燃焼する魔力とは裏腹に、ルシファーの思考はあくまでも怜悧で冷静だった。赤き瞳の奥には、一切の余計のない、無限に研ぎ澄まされた真空が広がっているのだろう。千年、何光年と広がる、神秘の宇宙のような。

 サジタリアスは自らの左肩に銃口を突きつけ、発砲した。治癒魔法だ。衝撃で体が大きく揺れたものの、一呼吸を置いたころには、裂傷も火傷も完治していた。

 ルシファーを警戒しながら「“再装填リロード”」する。

 さすがは魔法使いの騎士の長。魔法演算が素早く正確なのだ。魔力量はともかくとして、演算と解析を用いた魔法技術では、ルシファーがサジタリアスを凌いでいる。

 決して商店街に被害を出さないよう、威力や照準を限定しているのだから恐れ入る。魔法戦闘におけるルシファーの処理能力は卓越しており、その場での最適解を導きだせる。

 だから、サジタリアスは実行することにした。


「人の脳波の中でもβ波は集中状態のときに出やすい。いまのお前がそうだ。アドレナリンが分泌されていて覚醒状態。俺としてはもう少し脳萎縮してくれたほうがやりやすいんだよ」

「は? お前、さっきからなんだ?」

「そのβ波は13Hzから36Hzらしいが、23Hz以上の強い脳波だといっそ過集中、あるいは極度のストレスによるパニック状態に近いそうだぜ。いきすぎたプレッシャーは脳に毒だということが科学的に証明されたわけだ。若者に過分な重荷を背負わせることがいかにナンセンスかがわかるよな。ところでここは風通しが悪くて空気が悪いし、俺はお前を若者とは見ていないんだ」


 サジタリアスの紫の瞳が、危険な輝きを灯す。

 彼の銃口が明後日の方向を向いたのを見て、ルシファーは瞠目した。


「守ってみせろよ、星団長」


 サジタリアスは発砲する。

 商店街の中央広場、吹き抜けも近いアーケードの天井に、魔法の弾丸が穿たれた。

 天井は破壊され、砕かれた瓦礫が通りへと降り注ぐ。

 その真下には——逃げ遅れたらしいさきほどの少女が、青褪めた顔でいた。

 ルシファーは自分が息を呑んだのにも気づかないまま、赤き瞳の奥の思考を、稲妻のように巡らせる。弓を構える前に、盾の魔法、時間停止魔法、風圧の魔法、風化の魔法、あらゆる魔法を瞬時に思い浮かべては、そのどれもが間に合わないことを悟る。どれを唱えたところで、その音が魔法になって少女に届くのには、時間がかかるから。箒で飛んで駆けつけても、おそらく間に合わない。

 間に合わない————






 リボンのほどかれた箒を持ったまま、コメットは通りを走る。頬は真っ赤になって、冬の寒さなんて一寸も知らない。

 遠くのほうではずっと騒ぎ声と雷鳴が聞こえていた。無意識に感じ取れる魔力の渦に、嵐が来たような胸騒ぎがして、きっとルシファーさんが魔弾の射手と戦ってるんだと、コメットは思った。


「えへーん! 飛べない箒って重い!」


 逃げ惑う人々の波に逆らって、コメットは胸騒ぎのするほうへと足を進める。

 そのとき、ひときわ大きく雷鳴が鳴る。否、雷が落ちた音とは少し違った。なにかが砕かれて、これから落ちていくような、不吉な音。

 コメットは「ひっ!?」「なに!?」とあたりを見回す。そして、中央広場の近くにベルララがいるのを——その頭上に降り注ぐ、瓦礫の雨を見た。

 間に合わない、と思ったときには、真っ白い外套マントが視界に映る。


「えっ、」


 瓦礫は地面へと落ちた。土埃が飛沫のように跳ねる。周囲にいた人々が絶叫した。あたりは砂塵のヴェールに纏われ、上空から吹きこむ風でふわりと靡いた。

 割れた瓦礫が散らばる、その真ん中。

 ベルリラの小さな体を守るように外套マントで抱きこむ、ルシファーの姿があった。

 黄銅の髪からぱらりと破片が落ちる。純白の外套マントは少しだけ汚れていた。けれと、瓦礫に押し潰されたはずのルシファーにもベルリラにも、傷一つなかった。


「“大丈夫か”?」


 ルシファーは強張った声で問いかけ、ベルリラの顔を覗きこむ。ベルリラは目を見開かせたまま、ぼうっとルシファーの赤い瞳を見上げた。

 そこへ、三発の発砲音。

 そのどれもがルシファーを狙ったものだったが、その身体を貫く前に、すかさず飛んできたルシファーの箒に隔てられる。

 魔法の乗らない弾丸だったものの、ルシファーを庇った箒は、飛沫を上げて砕け散った。

 鼓膜を叩くような音にベルリラは身を縮こまらせたが、ルシファーは弾丸の飛んできたほうをしたたかに睨みつけている。その視線の先には、箒に乗ったサジタリアスがいた。


「お見事だな」銃口を下ろしてサジタリアスは告げる。「魔法を飛ばすんじゃ間に合わないと踏んで、自分の体に強化魔法をかけ、空間転移魔法で子供のもとまで飛んだか。自分への魔法はゼロ距離だもんな、お前のその選択で正解だよ。俺だって、幼子供を傷つける趣味なんてないからな」

「……てめえ、よくも」

「しかも、そのあとで俺に追撃されることも見越して、箒まで用意してたわけだ。魔法の呪文として意味の違う言葉を用いるのは、音階と抑揚の絶妙なコントロールが必要とされる。咄嗟の判断でよくこれだけやれたもんだぜ。ルシファー・ゴーシュ最高の瞬間はこれで決まりだな」


 南通りの奥から、「ベルリラ!」ベルリラと声が響く。ベルリラの父であるアップルガースの店主だった。

 焦った様子で近づいてくるところを、ベルリラもルシファーの腕から離れ、「パパ!」と駆け寄っていく。妖精猫ケット・シーもその後を追った。

 コメットもベルリラに駆け寄りたかったけれど、ルシファーから目を離せなかった。

 ルシファーはサジタリアスから目を逸らさずに、怨念のような魔力を練り上げる。

 サジタリアスは薄く肩を竦め、気怠い声で「血の気が多いね」とこぼした。

 ルシファーは再び弓を構え、幾重にも攻撃魔法を重ねた矢を放つ。しかし、箒に乗るサジタリアスはすいすいとそれを避けていく。いとも容易く躱しながら、商店街の吹き抜けから飛び立っていった。


「くそ、待ちやがれ……!」


 ルシファーは忌々しくそれを見送る。

 箒はさっきの攻撃で壊れてしまった。

 ルシファーは羽を捥がれた天使のように打ちひしがれ、血反吐のような声をこぼす。

 今度こそ間に合わなかった。靴に跳躍魔法をかけて飛ぶにも限界がある。浮遊魔法を使いながらあの星団殺しと対峙するのも無謀がすぎる。飛べない。戦えない。目の前にあいつらの仇がいるってのに。くそ、くそ。

 歯噛みするルシファーへ、声が届く。


「ルシファーさん!」


 膨らませた目で声の主を見る。

 赤い外套ケープを尾のように靡かせて、絶望を切り裂きながら一直線に飛んでくる、箒星コメットを。


「これを使って!」


 大事そうに抱えていた箒を放り投げたので、ルシファーは慌ててそれを掴む。真新しい匂いのする箒で、夕暮れ時の空気の中で凛と輝いていた。

 ルシファーは軽く頷いて、その箒の上に立ち、吹き抜けの奥の夕空へと飛び立とうとする。日の沈みかけた薄暗い地上に残された人々は、それを見上げ、見送るだけだ。

 箒が自分の手から離れ、コメットは宙を掻くだけになる。その心細さなんて、ここまで駆けつけた覚悟が凌駕する。

 生まれて初めての杖で、どんな魔法を使いたいだろう——魔法使いの弟子のそのまた弟子の、まだ見習いにも満たないちっぽけな自分が、どんな魔法を使えるだろう。

 どうかな、ちゃんと使えたらいいな、僕の師匠はなんにも教えてくれないひとだから。

 でも、上手に魔法が使えなくたって、どんな魔法使いになりたいかは、ずっと決まっている。

 どうか希望をと願われた。

 まだなんの呪文も知らない、星屑みたいなコメットは、それでも願いをかけられたのだ。

 泣かないで、笑って。

 君に届く希望ひかりになるよ。

 コメットは大きく息を吸って叫ぶ。


「——がんばれ! 魔法使いの騎士さま!」


 その声は、アーケードの中で反響し、膨らみながらルシファーの耳に届いた。

 ルシファーは地上へ視線を遣る。そのとき、ベルリラが息を吸いこんだ。


「負けるな! ルシファー団長!」


 父親に抱かれながら、顔を真っ赤にして懸命に張り叫ぶ。

 コメットに続いたその声が残響になるころ、コメットには予感があった。自分の身の内でなにかが燃えたように、なにかがぶわりと広がる予感。

 ただ見上げるだけだった人々が、わっと手を挙げる。


「魔弾の射手なんてやっつけちまえ!」「いってらっしゃい!」「気をつけて!」「かっこいいぜ、団長!」「今度こそやっつけてくれるよな!」「星団殺しにここの修理費払わせてくれよ!」「娘を助けてくれてありがとう!」「あんたなら勝てるさ!」「応援してるわ!」「行けえ、星団長! アトランティスの希望の星!」


 コメットの周りで次々と声が上がっていく。誰も彼もが熱い眼差しでルシファーを見ていた。足元の瓦礫や崩れた天井、そんな不安なものはその目に映らない。ただ、誰よりも輝かしい一番星へ、強い期待をこめて願う。

 コメットは嬉しくなって「あはははっ」と声を上げる。体が熱い。ふわふわした心地のまま拳を握りしめ、ルシファーを見遣った。

 箒に乗って飛んでいくルシファーの横顔が、笑っている気がした。

 ルシファーはオーロラの尾を引きながら夕景の彼方へと向かっていく。ライラはコメットの要望どおりにカスタムしてくれたらしい。その景色はあまりに美しかった。

 箒を借りたルシファーは「子供の好きそうな箒」と肩を揺らして笑う。

 きっと自分好みに仕立ててもらったのだろう。おろしたてだとすぐにわかるくらい傷がなかった。そんな大切なものを迷わず寄越して、コメットはルシファーへ声を届けたのだ。あのとき、小さな星屑がまばゆく光ったのを、ルシファーは見た。

——がんばれ! 魔法使いの騎士さま!

 魔法ではない、ただの言葉だ。それでも、コメットのその声を皮切りに、人々は声を上げた。たくさんの声を背に受けて、背中を押されているような心地だった。わずかな魔力しか流していないのに、ぐんぐんと箒はスピードを上げている。


「……なるほど。係数持ちか」


 オーロラのカーテンを夕空にかけながら、光の矢のように箒は駆ける。

 魔弾の射手の魔力はまだ追えていた。

 誰かに期待されたのは久しぶりだ。そして、それに応えたいと思うのがルシファーだ。


「っと、お待たせしました、団長!」

「状況は?」


 そこへ、箒に乗ったベテルギウスとアークトゥルスが駆けつける。先刻打ちあげた応援要請を受けて現着したのだ。ベテルギウスは杖であるスパイクを携えており、アークトゥルスは猫のような目を細め、状況を見極めようとしている。


「魔弾の射手だ。商店街で応戦になったが人的被害はなし。どこまでも飄々としたいけ好かない野郎だが、意外と焦ってくれてる。魔力を隠せてない。追えるうちに捕まえるぞ」


 そこで、二人は「ん?」となる。

 普段なら「どこまでも飄々としたいけ好かない野郎」なんて言わず、端的に情報を伝えるはずだ。いつものヘスパー・ゴーシュなら。


「……えっ、団長?」

「なんだ」

「あ、え、どうも?」

「どうもご機嫌よう。いい夕日だな」ルシファーは目を細めて笑う。「って、挨拶すればいい?」


 まじまじとルシファーを見つめるベテルギウスの隣で、アークトゥルスが「夜になる前に見つけよう」と苦笑して返す。

 すると、今度はカシオペヤとレゴールのバディが箒を飛ばしてやってきた。その後ろにはオリガがついてきている。

 三人は一度ルシファーのもとを通りすぎ、半円を描くようにターンして戻ってくる。カシオペヤが桃花眼を瞬かせて「あれー?」と箒を止めた。


「今日はルシファーのほうの団長なんだ。かわいい箒に乗ってるね」

「ねえ、ルシファー団長。先週新しいヘアオイルを買ったんだけどどう?」

「知ってるよ、レゴール。月下美人ナイトクイーンの香りだろ。箒を飛ばしてもまとまってるな」

「ね」

「もう、レゴールったら。団長も別に相手にしなくていいよ」

「カシオペヤ。前に教えてもらった短縮詠唱、役に立ったよ」

「え、教えたっていつ?」

「二十年前くらい?」

「はは、すっごい前だ。でも、団長の役に立ったなら嬉しいな」


 ルシファーの推測よりも手の空いている魔法使いは多かった。このままでは応援要請を聞きつけた魔法使いがどんどん集まってくるだろう。


「手分けして魔弾の射手の魔力を追うぞ」


 とルシファーが言ったとき、魔力の痕が途絶える。

 近衛星団の魔法使いは一斉にそれに気づく。


「そりゃあ、魔力がバレたら隠すよな、普通」

「どうする? 炙りだす?」

「範囲が広すぎる。こっちから魔法をぶっ放しまくって、街に被害が出るのはまずいでしょ」

「私が見つけだします」オリガが強く言う。「封印を解く許可をいただけますか? 団長」


 まっすぐにこちらを見据えるオリガに、ルシファーはわずかながら目を瞠った。カシオペヤが心配そうに「大丈夫なの?」と尋ねる。しかし、オリガの決意は固かった。


「……許可する。頼んだぞ、オリガ」


 ルシファーの言葉にオリガは頷く。

 ふううと深く息を吐きだして唱えた。


「“封印解除”」


 瞬間、オリガの頭の中でルシファーたちの声が鳴る。魔力伝いに彼らの思考が読み取れた。

 自分を信頼してくれている。何十年と憧れつづけた魔法使いたちが、オリガという新星を、心の底から信じてくれているのがわかる。

 そのことがオリガを支えた。

 魔力を薄く広く伸ばし、地上を覆う。

——探せ、探せ、魔弾の射手の思考を探せ。

 オリガが魔力を広げれば広がるほど、地上にいる多くの人間の思考が、オリガの脳内に溢れた。オリガの自我が踏み潰されていくような情報量だ。今にも気を失ってしまいそうになる。眩暈だか頭痛だかわからない酩酊に、オリガはふらふらとしていた。

 それでも、オリガは読心術の範囲を広げる。追ってはこれまいと油断をしている、魔弾の射手の思念を探す。

 そして、ついに見つけた。


「“押印マーキング”!」


 オリガがそう唱えると、地上のある一点で、細い光の柱が上がる。その上空では星形の魔法陣が薄く照っていた。


「目印を刺しました! 魔弾の射手が結界を張らないかぎり追跡できます!」


 振り絞るように声を張りあげ、オリガが言う。彼女の体はぶるぶると震えていた。

 ルシファーが「でかした」と声をかける。

 カシオペヤとレゴールはオリガの隣に並んだ。カシオペヤはぐったりとしたオリガを支え、鼻血を流したのを見たレゴールがハンカチで止めてやる。


「行くぞ」


 光の柱を目指して、ルシファーは箒を飛ばした。他の魔法使いもそれに続く。

 ルシファーは飛空しながら、自分の喉に魔法をかけた。近衛星団の魔法使いにしか聞こえないよう音波を変換するためだ。そのまま拡張魔法も重ね、声を響かせる。


「魔弾の射手がブルースの市内を逃走中! オリガの目印を追え! 生死は問わない、今日こそやつを捕らえよう!」


 地上のあちこちにいた近衛星団の魔法使いたちがそれを聞きつける。彼らは一斉に身を震わせ、目印を探した。


「団長」アークトゥルスが声をかける。「俺たちは市民の避難誘導をするよ。被害が出ないよう、保護魔法もかけて回る」

「ああ。頼んだ。レゴールたちはステーションの封鎖を頼めるか? もしもステーションを使用されたら、どこに飛んだか追えなくなる」

「わかった」

「オリガは無理をしないで。カシオペヤ、オリガをよろしく頼むよ」

「了解」


 アークトゥルスとベテルギウスは箒に乗って地上へと下りてゆき、レゴールとカシオペヤとオリガの三人は、軌道を変えてステーションへ向かう。

 冬の夕暮れは短い。一番星はとっくに昇っており、反対に日は大陸の彼方へと片足を突っこんでいる。

 光から恩恵を得る魔法使いは、夜になると力が弱まるのだ。ルシファーが最大限の力で魔弾の射手を相手取れるのは、日没まで。

 ルシファーは目印まで箒を飛ばす。閃く目印まで近づくと、箒を降りて町中を走るサジタリアスを見つけた。


「いたな」


 その背を見下ろしながら、ルシファーは弦を引いた。

 弓に魔法の矢が宿る。

 その矢は強力な魔法を帯び、ひとたび放たれれば、冷たい風を突き抜けて、まっすぐにサジタリアスへと伸びた。

 矢に穿たれたサジタリアスは、その瞬間、ぶわりと体が浮きあがる。どこまでも勢いよく上昇する様子は、まるで重力がひっくり返ったかのようだった。

 突飛のことにサジタリアスは「はあ!?」と声を荒げる。箒を読んで飛空しようにも、体はどこまでも吹き飛び、言うことを聞かない。

 やがて自身を見据えるルシファーを目にして、サジタリアスは眉を顰める。


「……ああ、あの読心術を使う新星か」ルシファーに捉えられた理由を察する。「少しの魔力でも追ってくるわけだ。ここで団長であるお前を殺せば、いい加減諦めてくれるだろ……」


 サジタリアスは銃口を自身に突きつけ、魔法を撃つ。重力を取り戻した彼の体が落ちていく。

 瞬間、その足元を箒が攫った。空を滑るように飛ぶ箒の上で、サジタリアスは仁王立ちになる。


「そんなに夢と希望を与えるのが趣味なら、本当のお星様になるんだな」

「宇宙の果てまで飛ばしてやるよ。その腐った頭の中身をな」


 言うや否や、サジタリアスは銃口を、ルシファーは矢を構え、魔法を放った。

 二人の魔法がぶつかる。

 それを皮切りに、刹那の見切りによる魔法の攻防が続く。熾烈な魔力摩擦は夕日以上に雲を燃やす。地上からだと花火と見紛うほどの閃光と爆散だった。魔法の燃焼反応によってとりどりに色を変え、繚乱に舞う。化け物と魔物の合戦だ。


「害悪なんだよ、ルシファー・ゴーシュ。四百年も生きると世界の均衡が狂う。死に逆らい、魔力を肥やすことは、自然の倫理に則った正常な循環を滞らせる。いつまでものさばってるジジイは目の上のたんこぶだって自覚しろよ」

「どっちが。訳のわからないことを理屈っぽく語って酔ってるところは、誰よりもジジイで気持ち悪いぜ」

「お前たちのような害悪は環境によくない。俺は環境問題についてはけっこう考えてるほうなんだ。だから世界を水没させるときも、海水より真水のがいいぜって進言した。世界に優しいよな」

「なに言ってんだてめえ」

「単純明快。世界のために老害は間引くべきだろ? 未熟ってだけで新芽が淘汰されるのは悲劇だし、俺の人間愛護の精神にも反する。愛くるしいやつらは保護してやらなきゃ」


 矢継ぎ早な魔法の最中さなか、ルシファーは左腕を撃ち抜かれる。魔法ではなく実弾だった。

 けれど、痛みよりも怒りにより、血を凌ぐ赤が、その瞳が爛々とする。


「……はあ?」


 ルシファーの声は、激情が滲み、かすかに震えていた。あまりの怒りに我を忘れそうになる。

 否、彼はとうに我など忘れていて、魂を割いていて、ただ、憎き魔法使いを前にした今宵だけは、絶望の淵に立った星さながらに、血みどろの地獄でぞっとするほど輝く。


「お前の殺した、あいつらだって、」


 赤い瞳の奥に、今は亡き彼らの顔が浮かぶ。

 一人一人が輝かしい綺羅星に、瞳が滲む。


「俺の部下なかまだって、みんなかわいかった」


 あの綺羅星たちから団長と呼ばれるだけで、ルシファーは胸を張れた。彼らが自分を慕うまばゆさ、その一瞬までもが尊かった。

 ルシファーの割れた魂が軋み、悲鳴や怒声にも似た音を奏でる。それは魔法となった。つがえられた矢は、陽炎が立つほどの光の屈折で、サジタリアスを眩惑させる。

 目いっぱいに弦を引き、ルシファーは張り叫んだ。


「世界のためだなんて主語のでかいことは言わない。俺たちのために、お前は死ね!」


 矢が放たれる。

 鏑矢のように音を立てて、その魔法は一直線にサジタリアスを喰らおうとする。

 その獰猛な魔法へ、サジタリアスは銃口を向ける。

 弾丸に魔法を乗せて連発した。そのうちの一発がルシファーの乗る箒の柄を追った。残りの弾丸がルシファーの魔法に飲みこまれてしまうのを見て、サジタリアスは街を覆いつくさくさんほどに魔力を膨らませ、魔法を退けようとする。

 ルシファーの魔法とサジタリアスの魔力は、互いにぶつかりあい、大燃焼を起こしながら拮抗した。

 純粋な魔力量の勝負なら、サジタリアスの土俵だ。しかし、防御するように拡散したサジタリアスの魔力は、次第に、ルシファーの魔力に押されていく。

 サジタリアスは目を瞠る。

 魔法の質量が桁違いなのだ。サダルメリクを相手取ったときのような、大海を前にした途方もなさとは違った。押し潰されそうなのに、攫われてしまいそうな、地に足をつけない引力さえ感じる。その威圧感に畏怖した。

 彼は誰か、その名を呼べばわかる。

 悪魔の名をした天体。

 金星ルシファー

 やがて、サジタリアスの体は魔法に飲みこまれた。魔法はサジタリアスを焼きつくそうと黄金に輝き、やがて萎んでゆく。

 ルシファーは覚束ない箒の上で、肩で息をしながらその様を見つめる。これだけの大魔法だ。魔弾の射手といえど仕留められたはず。

 しかし、光と煙が晴れたとき、ルシファーの目に映ったものは、全身に火傷を追いながらも、箒の上にふらふらと立つ、サジタリアスの姿だった。


「……はあ、はあ……っは、ははは、へっ、死ぬかと思ったぜ」


 実際、死にかけている。取り繕ってはいるものの、サジタリアスは満身創痍だ。咄嗟に魔力を凝縮し、全身を覆うように展開したものの、ルシファーの魔法はそれさえも食いちぎろうとしてきた。

 魔法勝負では分が悪い。

 それにもう日没だ。

 いくらサジタリアスの魔力が膨大とはいえ、無尽蔵ではないのだ。先の放出により、魔力切れを起こしかけている。

 サジタリアスはどくどくと早鐘を打つ心臓を押さえつけ、揺れる声で言う。


「追いつめてくれるね。いい魔法だったよ」


 ルシファーは歯噛みする。

 これだけの魔法でも、魔弾の射手には敵わないのか。その余裕すら崩せないのか。

 宵の濃くなった暗い空に、ルシファーは焦燥した。ルシファーとて、夜になれば魔力は弱まる。なにより、疲弊した体は銃撃の痛みを蘇らせていた。


「くそ!」


 再び矢を放とうとして、がくんと足場が下がった。箒がふらついたのだ。しまった、と思ったころには、箒がふらふらと力なく落ちていく。

 さきほど銃撃を受け、箒の魔法機構が狂ったのだろう。むしろ、損傷を受けてなおここまで飛空できていたのは製作者の腕だ。

 ルシファーは重力に従い、箒と共に落下する。サジタリアスの箒が方向転換するのが見えて、咄嗟に吠える。


「“待て”! 魔弾の射手!」


 サジタリアスの箒は一瞬固まったものの、すぐに魔法が解かれる。

 ふらふらと揺れる体でルシファーを見据え、サジタリアスの吐息に笑みが乗る。


「ハハッ、俺に行ってほしくないのか? かわいいな、お前……」獰猛な瞳が蕩け、声が掠れた。「見逃してやるよ……」


 息も絶え絶えに、サジタリアスはルシファーに背を向ける。箒の柄を踏みしめ、そのまま去ろうとした。

 すると、光り輝く矢が、サジタリアスの箒を穿つ。

 撃墜され、どんどんと空が遠くなる視界に、ハッとしたサジタリアスがルシファーのほうを見遣った。まるで飛びかたを忘れた天使のように、純白の外套マントを靡かせ、ルシファーは地上へと墜落している。弓を構えながら。


「俺は逃がさない! たとえお前が死んでも、地獄へ落ちても逃がさない!」


 遠く離れていても、その魔力の強い燃焼は、サジタリアスの網膜を焦がした。やがて、静かに「“空間転移魔法”」と唱えたサジタリアスは、瞬きのうちに姿を消す。

 ルシファーは唇を噛み締める。悔しさのあまり、体中が燃えるように熱かった。けれど、それは錯覚で、魔力の燃焼が限界を迎えている。ルシファーは一直線に地上へと落ちつづけていた。


「——“Adagioアダージョ”!」


 すると、ルシファーの体が一瞬間いっしゅんかんふわりと浮く。

 冷たい風の間隙を鋭く突くような呪文により、ルシファーの体は失速していく。ルシファーが地上に降りるころには、まるで真綿を敷いた上に着地したような感触がした。

 誰が唱えた浮遊魔法なのか、ルシファーにはわかっていた。


「……シリウス」


 ルシファーが掠れた声でその名を呼ぶ。

 見上げると、低い空を箒で飛ぶ、瑠璃色の髪の魔法使いがいた。彼は杖である剣を鞘に納め、強張った表情でこちらまで下りてくる。医務室から飛びだしてきたのだろう、彼の背後には慌てた顔をしたサダルメリクがついていた。


「無茶をするなよ……怪我人だろ、お前」


 ルシファーは苦笑した。力ない響きだった。

 近づいてくるシリウスを見つめながらも、ルシファーの眼差しは茫洋としている。


「あー……ごめん、シリウス、せっかく来てくれたのに」


 光が遠い。宵が来る。

 魔弾の射手を殺して、深い夜が明けるまで。


「頼んだぜ。副団長」

「ルシ——!」


 崩れそうになったルシファーの体を、箒を下りたシリウスが迎えに行く。抱きとめると、ルシファーの額がシリウスの肩に落ちた。彼の体のどこにも力が入っていないことがわかって、意識を失ったのだと悟る。きっと目を覚ましたころには、別の彼になっている。

 黄銅色の髪が頬を掠める。その髪を撫でつけるようにシリウスは手を添えた。


「馬鹿野郎」


 幾許もなく、日が沈む。

 紺と紫の混ざる空に星の瞬きが散るころ、オリガの刺した目印が消失した。ルシファーを含む近衛星団の面々は、箒から落ちた魔弾の射手を捜しまわったけれど、その行方を追うことはできなかった。






 一週間にも及んだ建国祭の最終日。

 ここ数日の翳りが嘘のように、ブルースの町は賑わっている。

 魔弾の射手に襲われた商店街は、その後、近衛星団により修繕された。天井の崩れ落ちていた中央広場の付近も、軽やかな音色が鳴り渡り、集まった人々が手拍子を打つ。芝生の上で音楽隊が踊るように曲を披露していた。

 両親から外出の許しを得たベルリラが「コメット、こっちだよ!」とコメットを呼ぶ。コメットは頬を緩ませながら駆け寄った。吐いた白い息が商店街の光を反射してプリズムのようにきらめく。

 活気に満ちた中央広場で、先を行くベルリラに追いついたコメットは、芝生の上に絨毯を広げる人々を見た。吹き抜けの下に集まっているのだ。きょろきょろとあたりを見回していると、興奮気味のベルリラに「ここ、ここ」と手を引かれる。


「ここがベルリラの言うおすすめスポット?」

「そう! 建国祭の最終日はね、帝都のあちこちで、近衛星団の魔法使いがブーケを配るの。空から降ってくるそのブーケは魔法でできていて、その日の真夜中には消えちゃうんだけど、手にした者に幸運を呼ぶって言われてるんだよ!」

「幸運を?」


 そういうのにコメットは弱かった。

 丸い目を瞬かせながら、両頬に手を添える。 

 この場には「くだんねえ。先生に直接ブーケをねだれば済むだろ」と水を差す師匠も、「ただの噂だよ」と冷静にツッコむ兄もいなかったので、コメットとベルリラは胸を高鳴らせていた。


「ブーケはあちこちに落とされるんだけど、ハーメルンさんがよくこの吹き抜けからブーケを落としてくれるから、毎年競争になってるの」ベルリラはぎゅっと拳を握る。「今年こそ絶対欲しいんだ」


 ネブラが聞けば「だから直接もらえよ」と言っただろうが、それを聞いたのはコメットだったので、「そうだね、絶対もらおう!」と意気ごんだ。

 二人は今か今かと待ち侘びながら、吹き抜けから見える空を見上げた。少し間を置いて、再びベルリラが口を開く。


「ハーメルンさん、帰ってきてよかったね」

「うん。今朝、家に戻ってきたよ。すぐに仕事で出て行っちゃったけどさ。怪我も治って元気そうだった」


 深手を負っていたカノープスも無事に医務室を出ることができたと、サダルメリクから聞いている。本当によかったとコメットは思った。


「でも、魔弾の射手は捕まえられなかったみたいだね……」

「また行方知れずになったってね。ただ、魔弾の射手の魔力を採取できたから、今までと違って、探しやすくはなったみたいだよ」

「パパも言ってた。きっといつかルシファー団長が捕まえてくれるよね」ベルリラがうっとりする。「この前の団長かっこよかった。コメットも見たよね?」

「うん、かっこよかった……かっこよかったよ……でもぉ…………」


 と言われ、コメットは考えないようにしていたことを思い出してしまう。さっきまでの喜色が沈みこんだ。すんすんと鼻を鳴らすコメットに、ベルリラは「泣かないで」と囁き、すっかり萎れた背を撫でる。


「コメットの箒、残念だったね」

「魔弾の射手に撃たれたあと、空から落っこちて、壊れちゃったって。ライラさんも、ここまでバラバラだとさすがに直せないって」コメットは顔を手で覆う。「買ったばっかりだったのに、僕の杖なのに、ううううっ」


 もちろん、ルシファーが悪くないのはわかっている。魔弾の射手に立ち向かうルシファーのために、コメット自ら手渡したのだから。どちらかと言えば撃ち落とした魔弾の射手が悪い。今はただただ悲しい。

 どれだけ俯いていただろうか。やがて、コメットは顔を覆っていた両手を離し、鼻を鳴らす。


「……でも、いいんだ。ルシファーさんの役に立ったんだもん。大先生も、箒くらいまた買ってあげるよ、って言ってくれたし。次はもっとお洒落な箒にするんだ」


 そのとき、わあっと歓声が上がる。

 コメットとベルリラがそちらへと目を遣れば、広場で演奏していた音楽隊のうち、パンデイロを鳴らしていた男の頭上に、ブーケが降ってきたのだ。まるで三角帽を被ったように落ちたブーケに、音楽隊のメンバーは演奏を辞め、けらけらと笑う。

 ベルリラは声を一オクターブも跳ね上げ、頭上を指差す。


「まだまだ降ってくるよ!」


 その瞬間を待ち侘びた人々が、一斉に見上げる。

 優雅に箒で空を飛ぶサダルメリクがお辞儀をしていた。フルートを奏でると、ぽぽぽんとブーケが現れ、芝生の上へと落ちていく。

 それを拾おうとするのは年若い者たちだ。我先にと芝生の上を駆け、右往左往する。あちこちから「やったあ!」という声や、残念そうな声が聞こえてきた。

 ベルリラは一つのブーケに目をつけ、たったと駆ける。そして、見事にブーケをキャッチした。シルクのように光沢する白い包み紙に、オーロラのリボンで飾りつけられた、華やかなブーケだ。ぱあっと顔を輝かせる。


「やったね、ベルリラ!」

「うん!」ベルリラは再び空を見上げる。「ハーメルンさん! ありがとう!」


 サダルメリクは優しげにウインクした。

 ベルリラは肩を揺らしてくすくすと笑う。

 コメットは浮足立ってあちこちへ移動する。もうブーケは降ってこないのかしら。人のいない場所まで潜りこみながら、青々とした空を見上げる。

 すると、ちょうど目の前にブーケが落ちてきた。あまりにきれいに降ってきたものだから、コメットは手を伸ばさずともキャッチできた。コメットは「えっ? えっ?」とブーケを見下ろす。

 そのブーケは、ミントグリーンやカナリアイエロー、爽やかなピンクに淡いパープルなど、光の角度で色を変える、世にも美しい霞草カスミソウを束ねたブーケだった。


「き、綺麗……!」


 魔法で作った花なのだろう。まるでオーロラの裾を切り分けて、幾重にも重ねたみたいだった。その色彩は、あの日の夕空に見た光景を思わせる。ライラに頼んでカスタマイズした、コメットの箒の尾。

 ふと、コメットは顔を上げた。

 黄銅色の髪をした魔法使いと、瑠璃色の髪をした魔法使いが、すっと箒で飛んでいくところだった。サダルメリクの奏でるフルートの音も次第に遠くなる。

 コメットは目を細め、唇を緩めた。

——帝都のあちこちで、季節外れの花が降る。

 工房から<豆の樹>まで来ていたライラは、ブーケを持った乙女が羽衣のドレスに見惚れているのを、緩やかな微笑で迎える。

 ステーションを出たトーラスは、すぐ足下にタンジーのブーケが落ちているのを見つけ、けたけたと笑った。

 左脚の代わりとなった義足に慣れず、一人だけ医務室に残ったカメロパルダリスは、庭のベンチから花降る空をぼんやりと見ている。その隣に、紫のリボンのついたブーケを持つ少女が座った。薄桃色の髪をハーフツインテールで結んだ、ハイティーンほどの美少女だ。突拍子もなく隣に腰かけ、上目遣いでこちらをじっと見つめる可憐な顔に、カメロパルダリスはしばし沈黙し、やがて「えっ、フォル?」と気づいた。にやりと笑った少女はブーケを差しだし、「新しい人形、かわいいっしょ」と低い声で答える。

 やがて、寒空から花の香が消えていく。

 終わりを迎えるにはひどく寂しい、奇跡のような光景だった。

 商店街の中央広場には相変わらず軽やかな音楽が鳴り響いている。名残惜しむことのないように、最後までお祭り騒ぎは続くだろう。

 空を見上げていたコメットは、抱きしめていたブーケに顔を寄せる。すうっと鼻で深く息を吸えば、清らかで瑞々しい花の匂いがした。


「ねえねえ、コメット! あっちでお菓子配ってるって! 一緒にもらいに行こっ!」

「ひゃっほう! 建国祭万歳!」


 るんたったと小躍りするような足取りで、コメットは芝生の上を走った。






 調理場に立つネブラは、ぐつぐつと煮える鍋を掻き混ぜている。ベーコンとパスタの入ったミネストローネだ。今朝、サダルメリクが「今晩は久々にネブラの手料理が食べたい。あったかいの」と言ったためで、トマト缶がたっぷりと余っていたので、それの消費も兼ねている。

 調理場の壁に嵌めこまれたフローラガラスの窓から、ぴゅうううと吹き荒む風の音が聞こえる。火を使っているため調理場はぬくぬくとしていたけれど、居間や私室は暖炉に薪を絶やしてはいけない。

 ネブラは一度火を消した。ぶくぶくと立っていた泡がしゅんと静かになる。それを置いて居間へ行き、暖炉の前にしゃがみこんで、火の様子を確認する。

 やがて、外から足音が聞こえ、玄関の扉が開いた。


「ただいまぁ!」


 鼻唄でも歌ってきたかのような、どこか上機嫌な声で、コメットが帰ってきた。扉を閉めながら「うへ、お部屋あったかあい」と嬉しそうにこぼし、暖炉に近づく。

 背後にそっと冷気を感じたので、コメットが真後ろにいるのをネブラは悟った。


「いい匂いだね。今日のごはんは? ネブラ」

「ミネストローネ。ネブラ先生な」

「ふふっ、ミネストローネブラ先生」

「ぶたれたいんか」

「ええ~? 怒らないで~、ネブラ先生」 


 ネブラは火鋏で薪を動かしながら、こいつえらく浮かれてんな、と思った。コメットの顔を見なくとも、どれだけ頬が緩んでいるか、目が和らいでいるかが想像できた。


「こんなに寒いのに元気だな、お前」

「うん! ネブラ先生も来ればよかったのに。最終日はどこも賑やかだったよ。外は寒いけど、すごく楽しかった。僕ね、ブーケもらったの、幸運を呼ぶんだって」

「近衛星団が配ってるやつ? 別に先生に言ったらいくらでもくれるだろ」

「ネブラ先生にも僕の幸運をお裾分けしてあげるね」


 ややあって、しゅるしゅるとリボンをほどくような音が聞こえたと思ったら、つむじのあたりに柔らかな感触がして、ネブラは肩を浮かせる。

 頭上からなにかが滑り落ちたのがわかって、ネブラが視線を落とすと、炎に照らされてゆらゆらと色を変える霞草カスミソウが、肩のあたりで咲いていた。

 ネブラが「は?」と呆けていると、コメットがくすくすと笑う。その声につられ、ネブラはしゃがみこんだまま、コメットを振り返った。


「あはは、綺麗」

「あンだよ」

「ネブラの宇宙で星が瞬いてるみたい」


 ネブラの宵闇みたいな深い青紫の髪を宇宙に、オーロラの霞草カスミソウを星に見立て、コメットは無邪気に告げる。その華奢な指には、ブーケをまとめていたリボンが巻きつけられていた。

 呆気に取られたせいで、ネブラはいつものように怒ったふりをするタイミングを逃した。

 目の前のコメットは、花を散らかして、星空を見上げたときのようなきらきらした目で笑っている。


「ネブラ、元気になれ~! 笑顔になれ~!」


 挙げ句の果てには、呪文のような調子で珍妙なことを唱えるのだ。

 そんなコメットの腑抜けた顔を見上げながら、ようやっと「ネブラ先生だっつってんだろ」と返す。

 

「つーか、いいのかよ。せっかくのブーケをこんなふうにばらして。ご利益もクソもあったもんじゃないだろ。バチが当たるぞ」

「えー? 平気だよ。箒のお詫びにくれたものだし、ルシファーさんも副団長も、そんな意地悪しないでしょ」


 コメットは幸運のブーケをやたらと都合よく解釈していた。お裾分けと言いながら、コメットの手元には一輪も残っていないのに。


「あ、僕も夕飯の支度手伝うね。もらったお菓子、部屋に置いてくる!」


 そう言って、コメットはとたとたと階段を上っていった。

 居間にはネブラと、散らばった霞草カスミソウだけが残った。

 ややあってから、ネブラは火鋏を元の位置に戻し、おもむろに立ち上がる。


「馬鹿なやつ」


 杖腕を振るい、呪文を唱えれば、足元に散らばった霞草カスミソウがひとところに集まる。花束のようにまとまったそれを、ネブラは左手で掴んだ。


「お前の幸せはお前のもんだろ」


 再び暖炉を見下ろしたネブラは、音を立てて燃える炎をじっと見つめる。

 じわじわと広がる熱が鼻先まで立ち昇る。灰と煤を残しながら煌々と揺れる火が、深淵のようなネブラの瞳に映った。

 霞草カスミソウの束をべようと火の上に翳せば、花弁の輪郭が金色を帯びた。火が揺れるたびに光が踊る。まるで星屑のようだった。

 ネブラはその光を見つめていた。パチパチと薪の焦げる音の狭間で、ネブラが歯噛みする。

 再び、外から静かな足音が響き、少し間を置いて玄関の扉が開いた。


「ただいま。わ、いい匂い」


 サダルメリクが帰ってきたのだ。

 着こんでいた外套マントと三角帽子を脱ぎながら、暖炉の前に佇むネブラを見つける。


「この匂いはミネストローネかな? ネブラが作ってくれたんだよね。嬉しいよ。コメットはもう帰ってきてる? 少し早いけど、三人揃うのは久しぶりだし、もう食べちゃおうか」


 師の声を背中に受けながら、ネブラは振り返らなかった。

 そんなネブラにサダルメリクは首を傾げつつ、ふと、暖炉の火が消えかかっているのを見つけた。薪を足そうかと声をかけようとしたとき、ネブラが起伏のない声で、「なあ先生」と口を開く。


魔導資格ソーサライセンスの二等級を取得するのに、少なくとも五十年はかかるって話、本当?」


 ネブラの問いに、そういえば建国祭の初日に〈酒池肉林〉でそんな話をしたっけな、とサダルメリクは思い出した。


「そうだね、だいたいそれくらいって言われてるかな。ケートスなんかはよくがんばったほうだ。普通はもっとかかるよ」

「俺は?」

「ネブラも才能はあるよ。上手くいけば、ケートスと同じくらいで取得できるんじゃない?」

「いや。もっと早く二等級になりたい」


 サダルメリクは目を瞬かせ、弟子の後ろ姿をじっと眺める。

 ネブラがこんなふうに言うことは珍しい。

 もちろん、ネブラはずっと強い魔法使いになりたがっていた。けれど、わざわざ等級にこだわることはしなかった。しかも、一等級ではなく、二等級なんて中途半端に。

 サダルメリクは「どうしたの?」と尋ねる。


「……先生、俺にちゃんと魔法を教えて」


 ネブラが振り返る。

 サダルメリクはネブラの顔を静かに見ていた。忘れられないあの日に見せた、世界の全てに絶望した顔とは違う表情で、魔法を教えてとサダルメリクに訴えている。


「コメットに魔法を教えたい」


 ネブラの手には、星屑が瞬いている。

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