星団殺し編

第13話 魔弾の射手

「俺のことが怖い? かわいいな」


 冬の風は冷たく、流れる血潮もどんどん冷たくなっていく。ぽたり、とまた一つ、恐々とする血が地面へと落ちた。

 ミーティアの羽織っていた真っ白な外套マントは無惨にも真っ赤に染まっていた。だらんと垂れ下がった右腕には、肩から滴り落ちる赤。その手に握られた、彼女の杖である羅針盤コンパスは、盤面がめりこむようにひしゃげていた。壊されたのだ。溢れる血と同じ速度で自らの魔力が抜け落ちていくのを、ミーティアは感じていた。


「はっ、怖いものか」ミーティアは震える体に鞭を打つ。「殺されるのが私でよかったって、思っただけよ」


 認めたくはないけれど、自分はここで死ぬ。

 それは、この魔法使いが目の前に現れたときから、なんとなく察していたことだった。ひと一人いない暗闇の街中で攻撃された。気づいたときには重傷を負っていた。しばらくは攻防を続けられたけれど、その姿を間近で見つめ、絶望的に悟る——自分の力では絶対に勝てない。

 それまでに膨大で獰猛な魔力だった。噂で聞くよりもよっぽど恐ろしい。魔窟から覗くギラギラとした瞳みたいで、その気になれば自分なんて一瞬でぺしゃんこにできてしまうほどの魔法圧力。あまりにも圧倒的な相手で、そりゃあ殺されるなと、いっそ清々するほどの。

 ミーティアを追いつめる魔法使いは、おもむろにかぶき、淡々と言う。


「自己犠牲に酔っぱらえるのがロートルの醜き特性だぜ。お前だったから殺されたというほうが正しいな。俺はお前を殺そうと思ったんだ。それに、安心しているところを悪いが、俺はもうあと何人かを殺そうと思ってる。お前にとっても、殺されるのがこいつでよかったって思えるやつであることを祈るよ」


 しかし、目の前の魔法使いは、ミーティアの想定よりもよっぽど非道だった。熱の抜けていくはずの我が身が沸騰しそうなほどの怒りを覚えた。ミーティアは歯噛みする。

 杖は壊された。魔力ももう尽きる。得意の魔法は使えない。おめおめ逃げ帰る道も、この怪物を帝都から遠ざける道も、完膚なきまでに断たれている。

 けれど、あと少しだけ。もう少しだけ。

 だって私は、魔法使いの騎士、近衛星団。


「死ぬのは私とあんた。道連れにしてやる」

「これ以上街を血で汚すのは衛生上よくないな。一人で死体になってくれ」


 ミーティアは最期の力を振り絞り、空間転移魔法の呪文を唱える。座標を外すことで狙いを定め、魔法使いの身体を引き千切ってやろうとして——魔法使いのから弾丸が放たれた。

 乾いた音が夜空に響いたが、ミーティアの耳には届かなかった。魂の裂帛れっぱくにより掻き消されてしまった。心臓が破裂したような衝撃と熱。発動させた魔法がずれる。自分の体が呑みこまれていく。

 命が途絶えるのを実感しながら、ミーティアは思った。

 またあのひとが泣くのは、嫌だなあ。






 朝から天気がよく、空は雲一つない晴れ晴れとした青だ。風はすっかり冬の装いで、爪先を冷やしながら足下の枯れ葉を転がしていく。吹き荒らされた枯れ葉がカラコロと音を立てて回るのを、コメットは「一緒に踊りたくなるよねえ」と追いかけた。ネブラは朱の滲んだ鼻を啜ってから「なるか」とだけこぼした。

 二人は白い息を吐きながら、ブルースの町から遠く離れた、帝都の南側にある町まで足を運んでいた。徒歩で行くには時間がかかりすぎるので、駄賃を払って空間転移魔法を利用した。ちょうど移動施設から出てきたところで、コメットはうきうきとしながらネブラへ振り向く。


「僕、なんて初めて使った! こんなに簡単に移動できるなんて信じられない、どういう仕組みなの? ついさっきまで帝都の左側にいたのに、いまは南側にいるんでしょ?」

「お前って本っ当田舎者」ネブラは慣れた様子で答える。「アトランティス帝国は広いから、歩くにしても馬にしても箒にしても、都市間を移動するには時間がかかる。なもんで、主要都市や交通の困難な場所に一瞬で行き来できるよう、空間転移魔法を利用した“大扉”を作ったわけだ。特に帝都はあちこちに大扉を設置してるから、そのぶんが複雑で厄介。それを正確に統括して、利用者を正しい行き先にまで転移させるのがステーションだよ」


 コメットは背後を振り返る。

 赤い煉瓦の建物——ステーション——から、大扉をくぐって来たであろう人々がぞろぞろと出てくる。家族で来た者もいれば友人と来た者もいて、みんながみんな浮かれた調子だった。

 それもそのはず、今日はアトランティス帝国の建国祭の初日だった。

 帝国の建国日のちょうど一週間後がアトランティス大陸を統一した日にあたるため、建国祭は毎年その一週間をかけての大きな催しとなる。そして、建国祭初日は皇帝直属の魔法騎士組織である近衛星団の飛空行進パレードで始まる。

 コメットとネブラは、サダルメリクも出るそのパレードを見に来たのだ。コメットは朝早くからそわそわしていたし、ネブラもお祭りムードにてられて少しだけテンションが高かった。寒がりなネブラはこの時季になると外出するのを嫌がるし、家から一歩でも出ればたちまち気分が悪くなるのに、だ。

 今日のネブラは防寒対策として、外套ガウンの上から厚手のマフラーを巻いて口元まですっぽりと覆っている。左手と杖腕は袖ごとポケットに突っこんで、風を通す隙を微塵も与えない。マフラーもなしにうろちょろするコメットを「強者かよ」という目で見下ろしていた。


「やい、馬鹿弟子。あんまうろつくなよ。もう少ししたら凱旋門だ。人通りが多くなるとはぐれやすいからな」


 コメットはネブラのそばへ寄り、右腕側の外套ガウンの袖を掴む。左腕側を掴まなかったのは、左手を使いやすくするための配慮だ。

 それからほどなくして、凱旋門まで到着する。帝都を縦断するように伸びる通りに貫かれた大広場の、その中央で鎮座するのが、アトランティス帝国最大級の凱旋門だ。壁面に施された彫刻は荘厳で、門と呼ぶにはあまりに巨大な建築物だった。大広場にはすでに人だかりができており、帝国中の民が集まったかのようなごった返しだ。子供たちの持つ風船が頭一つ抜けてぽこぽこと浮かんでもいる。これはいよいよはぐれては面倒だと、コメットはネブラへ身を寄せた。


「ねえねえ、ネブラ」

「ここで馬鹿弟子に問題です。俺は常日頃からなんと呼べと言ってるでしょう」

「ネブラ先生」

「正解」

「近衛星団のパレードって凱旋門から始まるんでしょう? こんなに人がいちゃあ、大先生たちも通れないんじゃない?」

「この凱旋門も大扉仕様なんだよ。つまり、空間転移魔法がかかってある。凱旋門から箒に乗って出てきて、帝都の街をくるっと回ってから、また凱旋門へ帰っていく」

「だからって、こんなふうに大広場に集まってみんなで道を塞いじゃったら、僕たちが邪魔で通れないんじゃ……」

「はあ?」ネブラは口角を吊りあげてコメットを横目に見る。「誰に言ってんだ。近衛星団は魔法使いの集団だぜ。ちんたら歩いて出てくるわけない」


 え、とコメットが漏らしたとき、急に歓声が上がる。大広場にいる全員がわあわあと盛りあがっていた。コメットは凱旋門を見遣る。人だかりの頭上の遥か上、凱旋門の高いアーチから、箒に乗った魔法使いが飛んで出る。

——そうだ、彼らは魔法使い、飛んで現れるに決まっている!

 パレードの先頭を切った一番星は、純白の制服を着た魔法使いだった。その魔法使いがぴんと伸ばした腕で杖を振るうと、甲高い銀笛を上げて花火玉が空を裂き、快晴にドンと大輪の花を咲かせた。

 さらなる歓声が上がる。それを皮切りに、凱旋門から列を成した魔法使いが続々と出てきた。皆一様に純白の制服を着ており、彼らの杖らしい楽器を携えている。演奏しながら飛んでいくけれど、その音は永遠に大広場に響いていた。もちろん魔法だ。


「すごいすごい!」コメットは跳ねた。「さっすが近衛星団!」

「いや、あれは訓練星だな」とネブラ。「外套マントも三角帽子もない。パレードの一列目は、近衛星団の訓練星の集団だろ。正式な団員が出てくるのはそのあと」

「さっきから全然列が途切れないね。こんなにいるんだ」


 ややあってから、その列の殿しんがりの訓練星が一人飛び立つ。先頭にいた訓練星と同じように杖を振るうと、瑞々しい虹が凱旋門にかかる。冬の虹は短いが、それが魔法で作られたなら話は別だ。パレードが終わるまで消えることはない。もう一つ杖を振るい、色とりどりの紙吹雪を舞わせる。

 色彩の雨を受けながら、大広場にいる全員がそわそわとしていた。鳴り響く音楽が絶頂を待つように小さくなっているのだ。けれど、ティンパニの音は手拍子するようにリズムを刻んでいる。くすぐられているようにじれったい、そんな甘美な十数秒。待ち侘びたときが来た。わっと華やかになる演奏に合わせて、純白の外套マントを靡かせた魔法使いたちが、虹の架かった凱旋門から飛び出てくる。

 彼らは被っていた三角帽子を脱いで挨拶をしながら、凱旋門の周囲を旋回する。美しい綺羅星のごとき銀色の列を作り、大きく螺旋するように上昇していった。

 歓声と拍手が割れるように響く。コメットも思わず手を叩いた。それに応えるように、何人かの魔法使いは手を振り、また何人かの魔法使いは魔法で花火を打ち上げた。冬の寒気さえも吹き飛ばすような熱狂だった。


「ふっわああぁ! みんなかっこいい! 大先生どこかなあ!?」

「まだなんじゃねえの。あのひと、近衛星団の中では若手だって言ってたし」

「ネブラ先生は大先生のお手伝いで近衛星団の魔法使いたちにも会ってるんだよね!?」

「何人かはな」

「誰、誰、教えて!」


 言ってもわかんねえくせに、と思いながらも、ネブラは一人一人指を差す。


「いま出てきたすぱんと切り揃えた前髪してるのが帆座の多重星レゴール、列の真ん中くらいで飛んでる癖毛が牛飼座の麦星アークトゥルス、その右隣にいる肩くらいまでの長さの髪の女が錨星カシオペヤ、前のほうにいる赤毛の魔法使いが南魚座の首星フォーマルハウト


 コメットは目を輝かせて追う。ネブラが差す指の先、その一人一人が光を放っているように見えた。誰も彼もが煌めいて極光のような光の大海になる。まさに星団。


流れ星ミーティアがいないな」


 ネブラは目を細め、魔法使いの螺旋を眺める。魔法使いの螺旋は凱旋門から尾を出したあと、天空で陣形を変える。複雑なタペストリーの網目のように、箒で飛ぶ魔法使いは優雅に飛空していた。

 コメットは「ミーティア?」と、呟いたネブラを見上げた。


「髪が長くて、コンパスを杖にした、気っ風のいい魔法使いだよ。近衛星団の中でもかなりの古株だな。尾を引く箒に乗ってるから一発でわかると思ったんだが」

「あっ、ベルリラとギロだ!」

「お前聞いといてそれ?」

「おーい! ベルリラ!」


 コメットは人だかりの中からベルリラとギロを見つけた。ブルースの商店街の南通りに店を構える、アップルガースの兄妹だ。先に目の合ったベルリラに手を振ると、ベルリラも振り返してくれる。ベルリラはギロの手を握り、コメットを指差した。ベルリラがコメットたちのほうへ歩いていくので、そばにいた父親に一言告げ、ベルリラの後を追う。

 ベルリラとギロは揉みくちゃになりながらも、無事にコメットとネブラのところまで来た。コメットが「奇遇だね」と言うと、ベルリラは「家族と来たの」と返した。

 ベルリラの頬にはぴかぴかとした花型のストーンシールが貼られていて、建国祭をじゅうぶんに楽しんでいるのが見てとれた。そんなにこにことご機嫌なベルリラが抱きしめているのは、妖精猫ケット・シーでもぬいぐるみでもなく、それなりに厚みのある一冊の本——ファゴット・ザシャの『星団姿絵集』の建国記念版だった。

 コメットは目を瞬かせる。


「ベルリラのそれって、近衛星団の?」

「ブロマイドアートブックだな」ネブラは続ける。「絵本や漫画よか、近衛星団の画集のが売れてるって聞くし、改めてすごい人気ぶりだよ」


 そもそも、魔法使いの資格を得ている者は珍しく、また、二等級以上であることは殊更ことさらに稀だ。そのうえで、近衛星団という宮廷魔法使いの職に就けるのはほんの一握りの者だけで、つまるところ、近衛星団とは人々の憧れなのだ。

 近衛星団は皇帝の命令ならばどんな仕事にも携わるので、意外にも、俗世間への露出は多い。彼らの武勇伝を元にした演劇が上演されることもしばしあり、何人かの画家は星団を題材にした画集まで作っている。その一つが、ザシャの『星団姿絵集』だった。

 星団を描いた画家の中でもザシャは人気が高く、洗練された輪郭線と華やかな彩色が持ち味だ。建国記念版の表紙には、初代団長マーリン、二代目団長メーデイア、三代目の現団長ルシファー、三人の魔法使いが描かれている。現在の近衛星団員計五十四人の全員が載った、贅沢な画集だった。


「建国祭は近衛星団のパレードも見られるから、こういうのがよく売られるんだよ。ザシャの『星団姿絵集』だって通常版も歴代版も持ってるのに、ベルリラは建国記念版も欲しいからって出るたびに買ってもらってる」


 ギロが言い終わるが早いか、ベルリラが姿絵集をばっと見せつける。コメットは見せられた姿絵の美しさに驚いた。羽根ペンを携えた女性が、椅子に腰掛けている。纏う純白の外套マントには特殊なインクが使用されていて、真珠のような光沢があった。

 しげしげと眺めていると、その隣のページに大きく書かれた文章を見つける。コメットは声に出して読んだ。


「——カシオペヤ・ランカスターという魔法使いは、公爵家ランカスターの血筋である。我々を惹きつける眼差しと甘い御髪おぐし。その手に持つ羽根ペンは、彼女の叡智の証であり、杖という名の武器である」


 読み終えてから、コメットはおもむろに顔を上げる。目が合ったギロが「ベルリラは、このカシオペヤのファンなんだよ」と、頬を緩めるベルリラの代弁をした。ベルリラはギロを見上げ、「カシオペヤだけじゃないよ。アークトゥルスも団長も好き」と言う。二人の会話を聞き流しながら、コメットは再び姿絵へ視線を落とす。


「へえ、すごい、こんなのあるんだね」

「ハーメルンさんもいるよ」

「えっ、大先生?」


 コメットが驚くと、ベルリラはページをめくった。一度読んで大体のページ位置を覚えていたのか、目当てを見つけるのにそう時間はかからなかった。

 ベルリラの開いたページには、サダルメリクらしき魔法使いが、優しげな表情でフルートを吹いている。コメットは紹介文を朗読する。


「——ブルース育ちの大らかな魔法使い、サダルメリク・ハーメルン。ペリドットの髪にエメラルドの瞳を持つ笛吹きだ。彼のフルートの音色は我々に平和を与えるだろう」

「こうして見ると、ハーメルンさんもかっこいいね」

「大先生はいつ見てもかっこいいよ?」

「ハーメルンさんは、お客さんとしてよく来てくれるから、あんまり近衛星団の魔法使いって感じがしないんだもん」


 ベルリラは「かっこいいけど」とつけ足した。宮廷魔法使いとして憧れるには、サダルメリクは生活感がありすぎたのだ。

 それから、コメットが「他のひとも見せて」とねだるので、ベルリラはページをめくってやった。たくさんの魔法使いが描かれていて、どれも優美で華やかだ。ザシャという画家の情熱を感じると同時に、コメットはあることに気づく。


「——誉れ高きギリキン家の生んだ優秀な魔法使いが、アークトゥルス・ギリキンだ」コメットは途中で読むのをやめる。「ギリキン家? 何ページか前の魔法使いでもその名前が出てきたけど、有名なの?」


 コメットがそう尋ねると、ベルリラは「四大名家の一つだもん」と答える。なにそれ、という表情をするコメット。目を瞬かせて「僕が知らないだけ?」と顔を上げれば、ギロは首を振っていた。一方でネブラは「魔法使いの端くれなら知っててもいいかもな」と言った。どうやら近衛星団のファンであるベルリラが情報通であったようだ。ネブラは「授業だ馬鹿弟子」と口を開いた。


「近衛星団の中には代々魔法使いを輩出してきた名家も存在する。魔法使いの貴族みたいなもんだな。ギリキン家もその一つ。ちなみに、近衛星団の副団長も典型的な名家の出だよ。カドリング家きっての傑物と名高い」


 ネブラの説明に合わせて、ベルリラがページをめくった。

 開いたページには副団長シリウス・カドリングが載っていた。ザシャも力を入れて描いたのだろうと伺える、ダイヤモンドのように光り輝く瞳。額を出すように撫でつけた瑠璃色の髪が目を惹いた。腰にいたサーベルも相俟って、精悍な顔つきの際立った英姿である。

 コメットは「カドリングっていうのも、魔法使いの名家なの?」と尋ねる。


「ああ。四大名家とも呼ばれる家々は、ちょうどアトランティス帝国の東西南北に散らばるように位置している。南にカドリング家、西にウィンキー家、北にギリキン家、東にマンチキン家」ネブラはパレードのほうを顎で指す。「杖を見るとわかりやすいな。カドリング家の者は、杖に剣を選ぶ。副団長のサーベルみたいにな。同じように、ウィンキー家の者は扇子を、マンチキン家の者はコンパスを杖にする。ギリキン家の者はちょっと特殊だから、ぱっと見じゃわかんねえんだけど」


 コメットも近衛星団のパレードへと視線を移す。たしかに、剣やら扇子やらを携えている魔法使いは、遠目にも見えた。剣を持つ魔法使いの中に瑠璃色の髪の青年を見つけたので、あれがシリウス・カドリングなのだろうと思った。

 カドリングの名を冠する者で、現在、近衛星団に所属しているのは、シリウスをはじめ、テルクシノエ、エリス、ディスノミアの四名だ。ウィンキー家ではオルクス、ヴァンス、カリーナ、ミルドレッド。ギリキン家ではアークトゥルス、オリオン、アルビレオ。マンチキン家ではミーティア、セドナ。直系だけでなく、一門全ての家やその弟子たちを含めれば、近衛星団における三分の一は、四家に縁のある者で占められることになる。


「近衛星団は皇帝直属の魔法騎士組織。なまじっか権威もあるから、派閥争いだって少なくないんだろうな。うちの先生だって無門なもんで、四大名家からは野良扱いされることもあるそうだ。それだけそいつらには実績があるってことなんだろうが」

「はえ~」

「歴史が古ければ魔法技術も確立している。そういう名家には、その家直伝にして門外不出、グリモワ図書館でもお目にかかれないようなとんでもない魔法が存在するって話だ。魔法使いの名家に生まれたサラブレッドには、無門のやつらよりもよっぽどアドバンテージがあるんだよ。物心つく前から英才教育を受けてきた優等生ばっかりだ」でも、と続けたネブラはにたと口角を上げた。「そんな魔法使いさえ下して団長の座に収まってるのが、無門の大金星、ルシファー・ゴーシュ」


 そう言って、ネブラは近衛星団の列を指差す。コメットの目がそれを追う。驚いて見入った。すっかり遠く離れた相手を指差したというのに、きっとあのひとのことだとわかるくらいに、存在感のある魔法使いだった。

 コメットの目には、金箔を降らせたみたいに輝いて見えた。黄銅の髪と真紅の瞳。遠目から見ても端整だとわかるようなはっきりとした顔立ちで、天使か悪魔とでも契約したかのような美形だ。髪や外套マントが靡く様は颯爽としていて、近衛星団を率いる長としての威厳も感じた。

 ぼうっと見惚れるコメットの横で、ネブラは説明を続ける。


「ルシファー・ゴーシュは一等級の魔法使いの中でも抜きん出て強い力を持っている。なんてったって、二十五歳という若さで近衛星団の団長の座に就いて以降、四百年間ずっと星団を率いているって話だからな。天才級の化け物だよ」

「……化け物級の天才じゃなくて?」

「魔法使いも強すぎると化け物ってこと」

「たくさん逸話があるんだ」ベルリラが自慢げに言う。「大津波を起こしたアトラス大洋の巨人を一瞬で倒したとか。西ゴンドワナ大陸で起きた戦争に派遣されて、たった一人で戦争を終わらせて帰ってきたとか」

「百年単位で昔の話だから嘘か本当かはわからんが、実際にそういう伝記も出てる」


 そこでギロが「あ、ハーメルンさん」とこぼした。つられてコメットが視線を辿れば、馴染みのあるペリドットの髪が見えた。大きく手を振って「おおーい!」と叫ぶと、サダルメリクはそれに気づき、小さく手を振り返してくれた。

 大広場でのパフォーマンスを終えた近衛星団は、列を大きく上昇させたのちに白波のように滑り下り、通りの先へと進んでいく。通りの周りにも人だかりが続いているので、このまま民衆に見守られながら飛びつづけるのだろう。

 ギロとベルリラが両親に呼ばれたので、そのまま二人とはお別れをした。大広場に集まっていた者も次第にその輪を抜けていく。帝都は建国祭による大賑わいで、別のとおりでは露店だってある。今日という日を盛大に楽しみたいのだ。


「俺たちも行くぜ」

「うん。お祭りなんて初めてだから見て回るの楽しみ! ネブラ先生は買いたいものがあるんだっけ?」

「ちょっと外れたところに魔法の楽譜の店の穴場がある。建国祭のあいだはセール価格で買えるんだよ。物色するぞ」

「建国祭万歳!」


 雑踏に揉まれた紙吹雪がさらさらと消えていく。

 かくして、アトランティス帝国の建国祭は華々しく始まったのだった。






 楽譜を買い、露店を巡り、コメットとネブラは遊びに遊んだ。ブルースの商店街の中央広場でよく演奏をしている音楽隊も出張に来ていたらしく、有名な曲を演奏しているのを見かけた。その周りで体を揺らす観客たちと一緒に彼らへ手拍子を贈った。また、喉自慢大会をしているのを見つけたので二人して乗りこみ、腕相撲大会をしているのを見つけたので声援と野次を飛ばした。

 そうこうしているうちにすっかり午後になる。地面に散っていたパレードの残骸もきれいさっぱり消え失せた時分だ。そのころには建国祭の賑わいも落ち着きを見せはじめる。

 近衛星団の面々も、パレードが終われば一度自由時間に入る。ただし、夕方には宮殿で開かれる建国記念パーティーの警護があるため、自由時間のあいだに腹ごしらえをしなければならなかった。そこで、宮殿からも近い町にあるダイニングバーを貸し切っていた。

 宮殿のお膝元ということで、近衛星団の行きつけになっている店だ。サダルメリクから「どうせ身内だけなんだし君たちもおいで」と空間転移魔法つきの葉書で呼びだされたコメットとネブラは、葉書に綴られた文字を読み終えた瞬間、そのダイニングバー〈酒池肉林〉まで転送された。


「どわーっ! 魔法ってすごい!」

「びっくりした。急に呼びつけんなよな」


 それぞれ違う動悸を起こしながら、二人はダイニングバーのドアを開けた。

 料理の匂いと同じように広がるむわりとした温かさ。その身に纏う冷気さえ蒸発するようだった。コメットはダイニングバーに集まる人々を眺める。

 店の端から端まで伸びる長いテーブル席が縦に四列も並んでおり、その全席が賑わっている。同じような服装の者が集まっているので、近衛星団だとすぐにわかった。象牙色のブラウスに、黒いクロスタイ、背中の開いたグレーのベスト、細身のスラックス。多少アレンジを加えている者もいるものの、統一感のある集団だ。真っ白い外套マントと三角帽子ばかりが目立つので気づかなかったけれど、サダルメリクの普段の服が制服であったことに、コメットはここで気づいた。

 どのテーブルでも楽しそうに食べたり話したりをしていたけれど、特に声が響いたのは左端のテーブルだった。手前の席で、若い魔法使いの女性がわずかに腰を上げ、分厚い本を広げて他の魔法使いに見せつけている。


「ほらほら、先輩たちも見てくださいよ、今年のザシャの『星団姿絵集』! 私が星団に入ったの今年の夏からだったのに、ちゃんと描いてくれてるんです!」

「おー、美人に描いてもらってるな」

「よかったね、オリガ」

「嬉しい……星団の画集に載るのって憧れだったんです! これ家宝にします!」

「微笑ましいねえ。僕も初めてザシャに描いてもらったときは感動したっけな」

「いや、サダルメリクは、肖像権とかどうなってるの、って夢のないこと言ってたよ」

「うわあ……サダルメリク先輩ってそういうところありますよね」


 そのテーブルにはサダルメリクもいた。サダルメリクも外套マントと三角帽子を脱いですっかりくつろいだ様子で、足を組んで頬杖をついていた。ドアの付近で棒立ちになっているコメットとネブラを見つけると、おいでおいでと手招きする。コメットはゆっくりと近づき、「僕たちも入っていいんですか?」と尋ねた。


「あはは、大丈夫だよ。ここには訓練星も来てるし、ネブラは僕の弟子で、コメットはネブラの弟子だからね」サダルメリクは悠然と言った。「二人以外にも、彼も来てるよ」


 サダルメリクは視線を遣って、一列向こうのテーブルに腰かける少年を指した。場違いなくらい高貴に着飾った、水色の髪の涼しげな少年がいた。

 その後ろ姿に「ラリマーさん!」とコメットは声をかける。呼ばれたラリマーが振り返ると、目を見開かせて「お前たちも来ていたのか」とこぼした。


「ラリマーさん、貴公子みたいに綺麗!」

「みたいじゃなくて公子なんだ」

「なんで公子さまがここにいんだよ。それになんだその格好」

「このあと、建国記念パーティーがあるからな。各国から貴賓が集まるんだ。俺は公国の代表として出席することになっている」

「どうせ護衛も必要だしってことで、パーティーまで近衛星団と一緒に行動することになったのさ」と、サダルメリクが続く。「訓練星に顔見知りもいるみたいだし、すっかり馴染んだよねえ、ラリマー公子」


 小さく手を上げた公子は、テーブルの会話に戻っていった。対する近衛星団の面々も、敬語は崩さないものの、気安く話しかけている。ラリマーは宮廷顧問のトリスメギストスから魔法の授業を受けているため、宮廷魔法使いの近衛星団と関わることも少なくはないのだ。

 コメットが「へえ〜」と納得していると、サダルメリクが席を詰める。手前側に座っていた魔法使いが、魔法で二人分の椅子を手繰り寄せ、「君たちも座りなよ」と言ってくれた。コメットとネブラは促されるまま、サダルメリクの隣に並んで座った。


「一応紹介するね」サダルメリクはテーブルの面々を見渡す。「この子は僕の弟子のネブラ。僕の手伝いをしてくれているから、顔は見たことがあるかも。その隣にいるのがコメットだよ」

「噂には聞いてるよ」サダルメリクを挟んで逆隣にいる魔法使いが顔を覗かせ、口を開く。「俺はカノープス。よろしくな、ネブラ、コメット」

「カノは僕とバディになることも多いから、もしかしたらネブラは会ったことがあるかもしれないけど」


 カノープスはコメットとネブラにそれぞれ握手を求め、二人もそれに応えた。コメットはカノープスをじっと見つめる。人当たりのよさそうな男で、それが表情からも滲み出ている。冬の夜空みたいな暗色の髪に、銀朱の瞳が映えていた。頬に傷跡があったが、それも勲章のように勇ましい。

 サダルメリクは向かいの席に手を遣って、コメットとネブラに仲間を紹介していく。


「カノの向かいから順にアークトゥルス、」

「やあ。ネブラは久しぶり」

「カメロパルダリス、」

「よろしく~! 気軽にカメロでいいぜ」

「カシオペヤ、」

「どうも」


 と、サダルメリクに紹介された三人はテンポよく答えていった。

 アークトゥルスは襟足を刈り上げた癖毛の魔法使いだった。ネブラもこういう髪型にすればいいのに、とコメットは思った。猫のような眼差しに似合わない気さくな雰囲気で、コメットにもひらひらと手を振ってくれた。

 カメロパルダリスは明るい魔法使いで、砕けた態度と朗らかな表情のおかげで若々しい印象を受ける。首が長くてすっきりとした、シルエットの綺麗な優男で、着崩した近衛星団の制服まで洒脱に見えた。

 カシオペヤは『星団姿絵集』で見たとおりの女性だった。軽やかなピンクアーモンドの髪と引力のある桃花眼。どこか淡々とした態度なのに冷たい印象にはならない、不思議な魅力を持った魔法使いだった。

 そして、サダルメリクは「最後にオリガ」とコメットの向かいの席の魔法使いを紹介する。紹介された魔法使いは「はいはーい!」と元気よく笑った。


「近衛星団の最年少! 期待の新星オリガ、ぴちぴちの九十歳でーす!」


 青みさえ帯びた艶のある黒髪の、明るく真面目そうな若々しい女性だった。どう見ても九十歳には見えない。高い位置で一本に結わえられた、毛先の揃った長髪は、彼女が動くたびにさらさらと揺れた。オリガは周りの魔法使いたちに「わあ、ぴちぴち」「生まれたてじゃん」「フレッシュ~」などとおだてられ、えへえへと頬を緩ませながら「ベテランの先輩たちみたいになれるようがんばります!」と頭を搔いた。

 一連の様子を見たコメットは「わかってたけど、魔法使いって長生きなんですね」と感嘆しながら言った。アハハと笑ったアークトゥルスが「魔法使いなら誰も彼もが長生きってわけでもないけどね、」と答える。


「僕たちは長寿の魔法で老いないようにしているけど、それを選ばない魔法使いだっているから。ネブラやコメットも、自分たちが将来どの道を選ぶのか、考えておいてもいいかもしれないね」

「アークトゥルス先輩、十代の子たちにその話は重いです」

「アークはこう見えて四百歳超えのおじいちゃんだからな~」


 オリガとカメロパルダリスが各々ツッコんだ。そこへ「こらこら、本物のおじいちゃんの前でそんなこと言わないの」と横槍を入れるカシオペヤ。自分のことだと理解しているカノープスは「誰が本物のおじいちゃんだい」と笑いながら叱る。

 ぽかんとしているコメットとネブラに、いたずらな顔をしたカシオペヤが告げる。


「カノは近衛星団の中でも最長老。なんと御年八百歳」

「はっ、はっぴゃくさい!?」

「っつっても、近衛星団に入団したのはここ百年の話だから、経歴で言えば俺なんてまだまだ若手なのよ」カノープスはおどけるようにして品を作る。「星団歴二百年のカシオペヤ先輩っ! 俺に短縮詠唱の極意を教えてくださいっ!」

「星団歴三百年のアークトゥルス先輩に教わったら?」

「僕の倍も生きている魔法使いに教えることなんてないと思うけど」


 彼らはなんでもないことのように話しているが「さっきから百年単位で話が進んでいる……」とコメットは圧倒されていた。

 ネブラはコメットよりは慣れているのでなんてことない顔をしているものの、さすがに八百歳の魔法使いをこの目で見たのは初めてだった。カノープスに「長寿の魔法ってどんなの?」と尋ねてみる。


「俺が使ってるのはわりと無難な延命魔法だよ。グリモワ図書館にもパブリックドメインとして保管されてるくらいだし」

「えっ」コメットは驚く。「長寿の魔法って、そんな簡単に見れるんですか?」

「見れるよ」とサダルメリク。「不老長寿の追求なんて、魔法でなくても錬金術ですらされてきたことだしね。一番近道だったのが魔法だったってだけで、各分野の学問から深掘りされすぎてるから、マニュアルが完璧なんだよ」

「長寿の魔法にもいろいろ種類はあるよ。どれも技術として完成されているおかげで、難易度で言うとそこまででもないんだ。必要なのは魔力と時間さ」

「大概の延命魔法は大がかりだから、詠唱にしろ演奏にしろ時間がかかるんだよな」

「俺やフォーマルハウトなんかは魔法の更新のために一週間の有休取るぜ」

「自力でやってるんだからえらいよね、カメロもフォーマルハウトも。私はお金払ってやってもらってるよ」

「いいですね! 私は何十年か前に若返りの魔法を使ってから不老の魔法かけたんですけど、魔力持ってかれすぎて死にそうだったから、もう二度としたくないんですよね……そろそろ魔法も切れちゃうんでどうしよっかなって思ってたんですけど、カシオペヤ先輩みたいに依頼するのもありかも」

「それ専門の魔法使いの知り合いがいるんだよ。紹介しようか?」

「ぜひお願いします!」


 目の前にいる彼らはどう見ても二十代から三十代ほどにしか映らないのに、実際は長い時を生きた魔法使いたちなのだ。コメットは神秘の森を彷徨ったような気分になった。太く厚く年輪を重ねた、壮大な巨木が、目の前にいくつもそびえている。

 コメットは夢見心地で「えーと、えーと、ていうことは、魔法使いは死なない?」と首を傾げた。カメロパルダリスが「あっ、それはない」と首を振って答えた。


「魔力が枯渇すれば死んじゃうから、俺らの長寿だって永遠じゃないの。そもそも、長寿の魔法を使えるだけで、誰だって死に時くらいは考えるんじゃね?」

「近衛星団にいる魔法使いは、魔力寿命で消えた者もいれば、我が子が死んだのを追うように長寿を解いた者もいる。いきなり満足したとか言って死んじゃうやつもいるね」

「へえ~」

「私はやっとこさ近衛星団に入れたんで、まだまだこれからも生きたいですね!」オリガは熱く拳を握る。「長かった訓練星時代……入団試験に受かるのに十年かかりましたもん! 上級魔法五種のうち最低でも二つは使えなきゃいけないし、競争率のえげつない狭き門だし、それなのに合格者なしなんてこともざらにあるし!」


 上級魔法五種とは、魔法の中でも最も複雑で至難のすべだと言われている五つの魔法のことで、変身魔法、転移魔法、遠隔魔法、時限魔法、干渉魔法がそれにあたる。近衛星団の魔法使いでさえも、その五種全てを扱える者は滅多にいない。


「でも、オリガは優秀なほうだよね。九十歳なんて若さで入団してるんだもん。今年の入団者はオリガだけだったし、訓練星のときから光るものがあるって言われてたよ」

「いやあ、でも、訓練星になるまでも長かったですよ」オリガは苦い顔をした。「近衛星団の唯一の入団条件である使って壁が厚いのなんのって。そこまでいくのに何十年とかかりましたね」

「そもそも、魔導資格ソーサライセンス制度の基準的に、二等級に昇格するには、どう甘く見積もっても五十年はかかるって言われてる。魔力、魔法技術、実績を考慮されたうえでの話だから、実際にはもっとかかるでしょ」


 コメットは、ネブラに義手を与えた魔法使いでもある、レベック・ケートス・ボーンという魔法使いを思い出した。ケートス自身から聞いた話だったけれど、彼はおよそ二十歳でサダルメリクに弟子入りをして、四十年目で二等級になったと言っていた。

 その話をサダルメリクに言うと、「すごいでしょ。あの子はあの子でじゅうぶん怪物」と返ってきた。思わぬところでケートスの株が上がった。


「まあ、近衛星団うちには本物の怪物がいるけどな」話を聞いていたカノープスはにんまりと笑う。「我らが団長は二十歳で試験を受けて、魔導資格ソーサライセンス取得と同時に一等級に認定された。最年少かつ最短記録だってさ。魔法使いの大概は五等級、どんなに優秀なやつでも四等級からスタートするってのに、いきなり一等級ってんだから規格外だぜ」

「訓練星時代もなし。認定試験と同じ年に入団して、わずか五年で団長だもんね。初代は百歳、二代目は百八十歳で団長になったはずだから、こっちも最年少かつ最短記録だよ」


 これまで近衛星団の魔法使いたちの話を聞いて、コメットの感覚はずいぶんと狂ってしまったように思うけれど、それでも、彼らの言う近衛星団の団長が、どれだけすごい人物なのかは伝わってきた。パレードのときに見た黄銅色の髪の魔法使いを思い出しながら、「団長さんって本当にすごいひとなんだね」と呟いた。


「そりゃもうすっごいんだよ!」カメロパルダリスが熱弁する。「一等級の魔法使いで言うなら、副団長やカノープス、アークトゥルスにオリオンだって当て嵌まるけど……団長は限りなく特等級に近い一等級だから。この帝国でトリスメギストスの次に力のある魔法使いだって、俺は思う!」

「子供の妄想によくあるような史上最強の化け物並み。でたらめに強い」

「ドラゴンと巨人と女神が交配して団長が生まれたんだよな、きっと」

「訓練の模擬実戦とか絶対に団長と当たりたくないですもん。もし当たっても、やられるより先に自分で気絶します。試合で負けても生命として逃げ切り勝ちしたい」

「気絶なんてできたら僥倖じゃん。この前の訓練、降参する気満々だったレゴールは開始一秒と経たずに……」

「馬鹿、それ以上は言うな!」


 カシオペヤ、カノープス、オリガ、カメロパルダリスが盛り上がっているのを、サダルメリクとアークトゥルスが眺めて笑う。あまりに彼らが楽しそうなので、コメットもつられて笑ってしまった。

 一頻ひとしきり笑い終えてから、ふと「そういえば、」と思い至る。


「その団長さんは今どこにいるの? この店に来たときから見当たらないけど」


 コメットが尋ねると、彼らの表情は少しだけ硬くなった。言うなれば、痛いところを突かれたときのような顔だ。

 たちまちカシオペヤが「団長なら、いまは、ベテルギウスと一緒にちょっと出てる」と答えるけれど、コメットはなんとなく違和感を覚えたままだ。ネブラも気づいているのか訝しい表情でいる。

 なにかよくないことを聞いてしまったのかしらとコメットはおろおろした。でも、その正体がわからないのでなにも言えない。助けを求めるようにサダルメリクを見た。

 コメットと目が合ったサダルメリクは「うーん、」と唸ったのち、困ったように告げる。


「実は、ベテルギウスのバディであるミーティアが今朝から行方不明なんだ。彼女を探しに二人は出てる」


 カノープスは「言っちゃうのかよ」とサダルメリクを眇めた。カシオペヤは「怖がらせることはないでしょ」と窘める。しかし、肩を竦めたサダルメリクが「さっきの空気のほうが怖いでしょ」とこぼすので、二の句は継げなかった。

 ネブラは「行方不明?」と眉を顰める。


「昨日、建国祭のパレードのために、近衛星団の魔法使いは手分けして、帝都のあちこちに防犯魔法をかけて回ったんだよ。ミーティアはその夜、最後の確認をするって言ったっきり、連絡がつかなくなった」

「今朝、それに気づいて、ミーティアを探したほうがいいんじゃってなったんだけど、パレードがあったからね」カシオペヤはため息をつく。「近衛星団のパレードは観兵式も兼ねてる。建国祭に来た各国の要人たちへの示威目的なんだ。魔法使い一人いなくなったくらいじゃ中止にできなくて、結局は決行したんだけど……終わってもミーティアからなにも連絡がないから、二人が探しに行ったんだ」


 それで今も見つかっていないのだと言うのだから、コメットは不安な面持ちで「えっ、大丈夫なんですか?」と見回した。


「まだわからない。なにか事件に巻きこまれたのかも。ミーティアは近衛星団でもかなりの古株だし、腕の立つ魔法使いだ。滅多なことがないかぎりは大丈夫だと思うけど……みんなピリピリしているんだよ」アークトゥルスが声を低くして続ける。「もしかしたら、また星団殺しが出たかもしれないって」


 星団殺し——コメットの耳には馴染みのない言葉だったけれど、あまりに不穏で物騒なフレーズだった。鼓膜にこびりついて離れない、魔物の呪いみたいに。

 コメットがぼんやりと「星団殺し?」と反芻すると、サダルメリクが頷いた。


「最後に現れたのはコメットが生まれるよりも前のことだから、はじめて聞く名前かもね。その名のとおり、これまでに何人もの近衛星団に所属する魔法使いの命を奪ってきた、指名手配中の連続殺人犯。またの名を、魔弾の射手」


 コメットが呆然とする隣で、ネブラは目を細める。実際に見たことはないものの、サダルメリクのそばにいたのでコメットよりは知っていた。

 近衛星団のみを襲うシリアルキラーとして魔弾の射手は有名で、過去に何十年か周期で出没するたびに近衛星団の魔法使いを殺してきた。近衛星団と聞けば誰もが連想する相対の脅威であり、星団にまとわりつく呪いのような存在だ。

 硬い表情のコメットが「その魔弾の射手も魔法使いなんですか?」と尋ねると、サダルメリクは顔を歪め、「魔法使いというか使?」とぼやく。


「知ってのとおり、魔導資格ソーサライセンスの取得もなしに公の場で魔法を使うことは禁止されている。しかし、魔弾の射手はその違反を犯し、過去三百年にもわたり、近衛星団の者を数多く手にかけてきた。その力量は、特等級並みと言われているね」

「特等級……」

「ちなみに、特等級と公式に認められている魔法使いは、世界にただ一人、トリスメギストスしかいない」


 アトランティス帝国の宮廷顧問にして、最高峰の魔法使いであるトリスメギストス。そんな彼と同じレベルの魔法使いが、近衛星団を殺し回っている。

 その恐ろしさに身震いしながら、コメットは口を開く。


「なんでその魔弾の射手は近衛星団の魔法使いたちを殺そうとするの?」

「わからない」答えたのはアークトゥルスだった。「個人への復讐か、近衛星団への恨みか、あるいは皇帝への恨みか。なにかもっと別の理由でたまたま星団が狙われているだけなのかもしれない。動機が読めないんだよ」


 カメロパルダリスが「そんなんで殺されるなんてたまったもんじゃないよな」と吐き捨てる。

 もちろん理由があれば人を殺していいという話でもない。コメットは離れた席にいるラリマーを思う。以前、公国と戦争がしたいからという理由で、ラリマーはその命を執拗に狙われた。犯人は捕まり、事なきを得たけれど、嫌な事件だったとコメットは思っている。

 しかし、魔弾の射手については、殺しの理由がわからない。その得体の知らなさは、ラリマーの一件のときよりもよっぽど恐ろしく、落ち着いていられない気持ちになった。


「長年、積年、近衛星団は魔弾の射手の存在に悩まされてきた」カシオペヤが言う。「そもそも、近衛星団が二人一組のバディ単位で行動することが多いのも、魔弾の射手への対抗策だからね」

「パレードの飛行路周辺に防犯魔法をかけてるのも、昔、パレード中に魔法使いが殺されたことも理由の一つとしてある」

「厄介なのは、やつは隠れるのがメチャクチャ上手いってこと」カメロパルダリスが宙を仰ぐ。「すんげえ強い魔法使いのくせに、おかしな道具をにしてて、それのせいで魔力の痕跡も残らない。おまけに普段は自分の魔力を隠してやがるもんで、潜伏されたら探しようがないんだよな」


 魔弾の射手の姿を見てもすぐに見失ってしまうか、あるいは見た者はとうに殺されているために、誰もその正体を完全には把握できていない。いつもフードを目深に被っているとのことで、顔も割れていないのだ。無骨な体つきだとか、フードの影から悪魔みたいな目が見えたとか、信憑性に欠ける伝聞でしか知り得ないけれど、誰もが口を揃えて言うのが、


「目の前に立てばわかる」カノープスは神妙に告げた。「押し潰されそうなほどの、桁違いの魔力量なんだとさ。質も上等で、凶々しくて重々しい。何百年と生きた魔法使いであっても自分がちっぽけに感じてしまうほどだとか。噂だけどな」


 誰もが昏い顔で、口を閉ざした。

 重たい沈黙がふた呼吸ほど続いた。

 それを割ったのがオリガの「まだ星団殺しって決まったわけじゃないですよ!」という明るい声だった。空元気であることは誰もが察していたけれど、手を叩いて「嫌な話はよしましょう!」と気分を入れ替えようとする最年少に、他の団員も乗っかることにした。


「せっかくの建国祭なんですし、もっと楽しい話をしたいです! たとえば! 建国祭の一週間は税や賦役が免除されるとか! あちこちの教会でお菓子が配られるとか!」

「建国祭の一週間、近衛星団は国賓の警護で忙しいけどね」

「あちこちの教会にお菓子を運ぶのも実は近衛星団がやってたりするんだよ」

「今日も夕方からはパーティーの警備」

「仕事って楽しいね、オリガ」

「はいっ! 近衛星団で働けて毎日楽しいです! 星団の下っ端として、名前のとおり馬車馬のように働きます!」

馭者座オリガが馬になってどうすんだよ」


 みんなが笑う。コメットも笑った。

 その日の真夜中、行方不明になっていたミーティアの遺体が発見された。






 ミーティア・マンチキンの葬儀は、建国祭二日目の正午に執り行われた。喪主として取り仕切ったのは、ミーティアの五番目の夫との娘である老年に差しかかった女性だった。

 七百年前にマンチキン家に生まれたミーティアは、近衛星団に入るまでの二百年間で二人、入ってからの五百年間で三人の男と結婚している。その夫たちはそれぞれ寿命で亡くしており、喪主の女性はミーティアにとっての最後の夫との子だった。

 土葬される直前、ミーティアの眠った棺に凭れかかり、その女性が嗚咽を漏らす。彼女は魔法使いではなかったため、先に死ぬなら自分のほうだと思っていたのだ。自分よりもよっぽど長生きするはずだった母を、ある日突然失った悲しみは、筆舌に尽くしがたい。

 女性の隣には、彼女の孫である少女がきょとんとした顔でいる。自分の両親を見上げて「おばあちゃんはなんで泣いてるの?」と問いかけた。少女の両親は傷ましい面持ちで答える——「おばあちゃんのママが、お空の上のお星様になったんだよ」と。

 葬儀にはミーティアの家族、それと近衛星団の面々が出席した。コメットとネブラもサダルメリクの連れとして出席している。

 コメットはミーティアという魔法使いを知らなかったけれど、物悲しさを覚えた。涙を流すミーティアの家族や、近衛星団の魔法使いたちのつらそうな様子に、胸を痛めずにはいられなかった。バディを失って消沈しているベテルギウスのそばに、彼のかつての師匠であったオリオンが付き添っている。灰を溶かしたような今日の空色のように、この場に落ちる影はとても薄暗い。

 ミーティアの歴代の家族の眠る丘の上で、彼女も同じように眠りについた。

 純白の魔法使いたちの群れから、一人の魔法使いが、ミーティアの娘家族のもとへと歩み寄る。曇り空の今日でさえも黄銅の髪が鮮やかに靡く——ルシファー・ゴーシュだ。

 彼を知っていたらしいミーティアの娘は、「ゴーシュ団長」と一歩分迎えた。ルシファーの差しだすハンカチを受け取り、涙を拭う。ルシファーは青褪めた顔を苦悩に歪め、「申し訳ありません」と囁いた。彼の真紅の瞳の縁も、乾ききらない涙で湿っていた。ミーティアの娘は首を振る。


「貴方が謝る必要はございませんわ。母はいつも言っておりました。団長は仲間想いの素晴らしい方だと……もし、万が一のことがあっても、団長を恨まないでほしいと」彼女の声は震えていた。「これまで、母がたいへんお世話になりました」

「……世話になったのは、こちらのほうですよ」ルシファーの瞳が潤む。「ミーティアは優秀で頼もしい魔法使いでした。何度も助けてもらった。なのに、それなのに、俺は、」

「悔やむなら、母の仇を。私が貴方に望むのはそれだけです……母よりも先に逝ってしまった方々の仇と一緒に」

「……はい」ルシファーは頷く。「必ず」


 コメットはその会話をなんとも言えない気持ちでぼんやりと眺めていた。

 すると、隣にいたネブラがぼそっと「先生、」とサダルメリクに囁く。


「昨日ずっと探してたのにミーティアは見つからなかったんだろ。なのに突然死体で発見されたのはなんでだ」

「ミーティアの魔法さ」サダルメリクも小さな声で答える。「彼女の得意魔法だったんだ。そもそも、空間転移魔法の応用はマンチキンのお家芸。尽きゆく力を振り絞って、魔弾の射手の上半身を別の場所にさせることで、体を真っ二つにしようとしたらしい」

な」

「最期の最後まで勇ましい魔法使いだよ。でも、それが発動しきる前に攻撃を食らって、座標がずれた。目的地のないまま彼女自身が転移する羽目になり、中途半端に亜空間を彷徨って、魔法効力が切れたときに元の場所へと戻ってきたわけさ」

「体が戻ってきただけ御の字ってことかよ」ネブラは息を吐く。「魔弾の射手は」

「ミーティアを殺して逃げたんだろうね。二人が戦闘したと思われる場所に、魔弾の射手のものらしき痕跡はなかったって。魔力の欠片さえも」サダルメリクは目を細める。「面倒な相手だよねえ」


 まるで鍋に少しずつ毒を入れられたみたいに、嫌な雰囲気にどんどん侵されていくようだった。昨日までは楽しかったのに、あんなに胸がどきどきしたのに、今は不安に煽られるように脈拍が先走っている。これから、なにか、とてもよくないことが起こる気がした。あるいは、もう始まっている気がした。

 だって、魔弾の射手はとても強い魔法使いで、近衛星団の魔法使いを何人も殺していて、もしかしたら、また、


「大先生、」サダルメリクの外套マントをちょいと摘まんで、コメットはこぼす。「大先生は、死なないよね?」


 困ったが縋るように見上げるのを、サダルメリクは目を瞠って見下ろした。やがて、柔らかく微笑んで、「ああ。もちろん」とその頭を撫でてやる。


「さては君の大先生を信じてないね、コメット。大丈夫だよ、心配いらない。もしも魔弾の射手を見つけても、僕が返り討ちにしてやるからね」


 コメットは頭を撫でられながら、自分はなんて都合のいい聞きかたをしてしまったんだろうと思った。そんなふうに尋ねたら、サダルメリクは自分を安心させようとするに違いない。たとえ相手がどれだけ恐ろしく強い殺人犯であったとしても。

 けれど、サダルメリクにこうして撫でられるのは気持ちがよかったので、表情だけは緩んでしまった。


「さすがに先生でもそれは無理だろ。普通に逃げてくれ」

「がんばらなくていいから大先生は絶対に逃げてください」

「えー、二人してなにさ、がんばれって応援してくれないの?」

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