第4話 六冠王を決めた名手。

謙作は昼近くなってもそもそ布団から這い出た。布団を畳んでシャワーを浴び、ごはんと味噌汁、卵焼きだけで簡単に朝食を済ませるとTVのBS放送の将棋対局の中継を見始めた。


 この日は王座戦の第4局。五番勝負で現在のタイトル保持者は井藤九段だ。振り飛車党の総帥といわれて、華麗な捌きと苦戦でも諦めない粘り強さが特徴のトップ棋士の一人である。そしてこの王座のタイトルが大川が所持していない唯一のタイトルである。大川は名人を含めて5つのタイトルを保持しているのだ。


この対局までに大川の2勝1敗。この第4局に勝てば大川のタイトル奪取である。


 TV画面では解説者の清河六段があれこれ雑談をしている。ハンサムで弁舌さわやかな中堅棋士だ。そのためこうしたTV解説で呼ばれることが多い。


 聞き手は女流棋士の安西 真理愛あんざい まりあ。20代半ばの美人女流棋士として知られている。女流棋聖のタイトルも持っており、人気と実力を兼ね備えている。将棋以外にはTVのクイズ番組などのバラエティ番組にもたびたび登場しており、その可愛い仕草や発言が好評でもあった。そのため将棋ファンのみならず将棋を知らない層からも「まりりん」の愛称で呼ばれている。



 局面は序盤から中盤に入りそうなところで、双方長考が続いていた。持ち時間3時間の棋戦であるが今後の方針と仕掛けるタイミングをお互いに図っているのだ。対局は金沢で行われており、兼六園などの風景が画面に映されている。こうやって視聴者を飽きさせない工夫がなされている。


「もうここは仕掛ける一手だと思います。こういうところで踏み込むのが大川名人ですね。」


「あ、断言されましたね。云い切っちゃって大丈夫ですか?」

軽いノリで安西が清河に聞き返す。こうしたくだけたやり取りもこの二人ならではだ。


「大丈夫です。間違いないです。これが外れたらもう僕は・・・」


「もう何でしょうか?」


「まりりんを諦めてもいいです。」


「もう何をいってるんですかw言ってる意味がよくわからないし。」


「いや、僕もよくわかってないですが(笑)」


 そんな予定調和のようなイチャイチャのやり取りがなされている。こういうのをさらっとできてしまうのもこの二人の強みだ。それが似合ってるので嫌味に見えない。


 この時、匿名掲示板やツイッターでは「告白キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!」「もう付き合ってるってことでいいんですよね。」とかお祭り騒ぎになっていた。



(俺が同じことをやったら単なるセクハラだよなあ。。。)



そんなことを考えた謙作は中継をみるのを止めた。今さらみたところで自分はもう公式戦はないのだ。



部屋の扉が開いて、咲良が大きな胸を揺らしながら部屋に入ってきた。


「謙作ちゃん、しばらく出勤が続くから泊まるわよ。」

「ああ、必要なものがあったら買っておくから」


 謙作は料理や掃除などはマメにするほうだ。一人暮らしのときはそうでもなかったが咲良が部屋に出入りするようになってから身の回りをきちんとするようになった。仕事で疲れ切っている咲良にさらにストレスを与えたくなかったのだ。



 謙作は新聞折り込みのチラシを眺めて買い物の計画を立てる。咲良が使っている生理用品やシャンプーやリンスなども謙作が買っていた。決まったメーカーしか使わないのでわかりやすいのである。


「昨日さあ、おしりをやたらと叩きたがる客がいたのね。AVを真似して。痛いだけなんだけどやっぱり我慢しないといけないのかなあ。それなりに指名してくれる人なんだけど。」


そんな調子で咲良の愚痴が続く。謙作は特に自分の意見をいうこともなく、聞き役になっている。大抵、素股のフリをして本〇を狙おうとしたり、のめりこみすぎて指輪をプレゼントしてきたり、愛人契約を持ち掛けてきたり、といったたぐいの話だ。もう同じような話が何年も続いている。お客のやることは大抵変わらないし、咲良のほうもある程度の色恋営業でお客を繋いでいるのでそのあたりを調整しないといけない。のめりこませすぎないように継続して指名させていく、そして最後の一線は超えさせないのが腕の見せ所でもあった。咲良は店のルールを順守している。ルール違反をした嬢が結局潰れていくのを何人も見て知っているからだ。


「あー、今日の予約がキャンセルになってる。」



 咲良はスマホで店からの連絡を確認した。他に予約は入っていない。出勤すれば一応の最低保証はもらえるが一定時間の待機が必要だ。待機部屋にお菓子などが置いてあるがそれをつい食べ過ぎてしまうので


あまり待機部屋で時間をつぶしたくはなかった。他の嬢とも一緒になることが多く、あれこれ気遣いをせざるを得ないからだ。何かの拍子でお客が被ってることがわかり気まずい思いをすることもある。また相手の愚痴を聞くのも苦痛であるのだ。


「今日はもう休みにするわ。謙作ちゃん、なんか理由をつけて日記を上げといて」



 謙作は適当な写真のストックを選んで、昼間のお仕事の都合でお休みするとの写メ日記を店のサイトに上げた。店への連絡は咲良が済ませた。専業の風俗嬢であるより

昼職が別にあって合間にデリヘル嬢をやっていると思われたほうが素人感があるのだ。咲良が必要以上に出勤を増やさないのはそれが理由である。なのでランキングも5位~7位に入るぐらいに調整している。



 咲良は冷蔵庫から缶ビールを出してそれを飲み干し、謙作に抱きつく。


「謙作ちゃん、たまにはしようか。」


咲良は大きな胸をこれでもか、と謙作に押し付けた。そしてまだ昼なのだが、そういうことになった。


事が終わって、咲良が謙作に話しかける。


「うちの娘なんだけど、なんだか将棋にのめりこんでるらしいのね。謙作ちゃん、ちょっとみてやってくれない?私じゃあ強いのか弱いのかわからなくて。」


「今、高1だったよな?どこで指してるの」


「ネットとか学校の将棋部らしいんだけど」


「そうか。じゃあそれなりの実力かもしれないな。」


 夕方近くなって謙作は買い出しに出かける。その間、咲良はTVのクイズ番組を見ている。女流棋士の安西 真理愛がでていて、司会者にあれこれツッコミをされていた。将棋の棋士は一般に頭がいい、というイメージがあるが安西の回答は天然ともいえるような内容でそのギャップがまた視聴者受けする理由でもあった。


やがて謙作が帰ってくる。そのまま台所に向かって夕食の支度を始めた。


「ねえ、謙作ちゃん。安西 真理愛って将棋の実力はどうなの?」


「まあ女流としては強い方かな。たまに男性プロも含めた公式戦にもでるが勝率は2割無い。」


「そんなに差があるの。」


「ああ。安西の上に5人ぐらいはいて、それが女流トップグループだな。安西は第二グループってところだ。」


「可愛さだけなら一番なんだけどね。」


「今の女流名人の高本はあんまりルックスがいいわけでもなく、しゃべりも達者でないからTVにはあまりでてこない。対局オンリーって感じだな。タレント性としては安西の勝ちなんだが。」


「ちなみに女流は弱くてもいいってわけでもない。ルックスが良くても実力が足りなくて公式戦でまったく勝てなくなり引退した女流棋士は何人もいる。可愛いと最初はファンがつくが負けこむとそれもいずれ離れていく。将棋の指し手にルックスは関係なからな。忖度も働かないし。」


「ふーん。なんだかんだでつり合いが取れているのね。」


「ああ、安西も二番手グループでタイトルを一つ持ってる実力があってのルックスとしゃべりだから人気がでてるわけだな。ということで将棋界ってのは世間よりは実力主義で明快で公平であるとも言える。」


「俺なんかは全然勝てなくてしゃべりもだめだから解説役なんて回ってこないがな。


「あたしは謙作ちゃんが暇なほうが助かってるんだけどね。」


「まあ家事は嫌いではないからいいさ。よーしできたぞ。」


 謙作は苦笑しながらも夕食をテーブルに並べる。トマトしょうがドレッシングのさっぱり豚しゃぶときんぴらごぼうごはんと味噌汁が本日のメニューだ。


「いただきまーす。」


咲良はおいしそうに食べている。

「なあ咲良、まだお前の娘に会ったことがないんだが。」


「うーん。ちょっと難しい年ごろで父親もいないからねえ。」


 咲良はいわゆるシングルマザーである。


16歳で娘を産んだが相手の男のDVと浮気癖ですぐに男と別れ、その後は年齢を誤魔化しつつ、キャバクラやガールズバーの店員やコンパニオンの仕事をしていた。20歳過ぎに風俗業界に飛び込み、色々な店を渡り歩いて現在はデリヘル嬢である。



「ほったらかしの割にはまともに育ってると思う。ぐれたりしないで将棋をやりだしたし。だからそれは尊重してあげたいのね。」


「そうか。わかった。俺は暇だしいつでも連絡をくれ。将棋のことなら見るぐらいはできる。」


謙作と咲良はそのあと焼酎で晩酌をして寝てしまった。


 夜中に目が冴えて謙作は布団から這い出る。咲良はとなりでぐっすりだ。謙作は台所に移ってそこでスマホを見る。王座戦の中継サイトにアクセスして結果と棋譜を確認したくなったのだ。結果は大川名人の勝ち。これで大川は六冠王となった。


 謙作は棋譜を辿る。相振り飛車の攻防で、井藤が角で飛車金取りをかけた。謙作は怪訝な顔をした。うん?これじゃあ先手が潰れてるようだが、仕方ないから飛車を走って、金を取る。横歩を取って王手。井藤が歩を合い駒して王手を防ぐ。これで手がないはずだが、その次の手に謙作はびっくりした。


(▲7三飛車成りだと?そんな無茶な。)


 その手は合い駒の歩を飛車で取って歩と飛車を交換する手であった。しかしその後の進行をみてみると


その手以降、後手の玉には詰めろ(次に詰みがある手)が続き、それを井藤は振りほどけなかった。結局、大川がそのまま押し切っての勝利となったのだ。


多くの棋士がこの▲7三飛成を絶賛している。ちなみに最強の将棋ソフトもこの手を発見できていなかった。歩の合い駒の時点で評価値は後手優勢に触れていたのだ。それが▲7三飛成が指されると途端に先手勝勢に振り切れていた。ソフトがもっと長い時間読めば発見できていたのだろうが、そもそもこの局面の10数手前からこの局面で▲7三飛成で勝ち、との読みの裏付けがないとありえない勝利である。


(また一つ大川名人の絶妙手が残ったってことか。)


 謙作はスマホを切り、眠っている咲良の方を見た。もう長い付き合いになり、こうして半同棲の事実婚状態になっているが実のところ咲良の自宅は知らない。ある日、酔っぱらった咲良から電話が来て迎えに行ったら近所の道端で酔いつぶれていた。しかたなく自宅に連れて帰ったのが咲良が出入りするようになったきっかけである。その後、謙作の部屋が事務所から近いので咲良はセカンドハウスとして利用するようになったのだ。


 謙作は咲良の身の上についてはかいつまんでしか聞いていない。それもどこまで本当かどうかはわからない。だけど子供も含めて家族になってもいいと思っていた。だけど自分は咲良とその娘を養っていくことはできない。


20歳から今まで風俗業界にどっぷり漬かっている咲良であるが、できればそろそろ終わりにさせたい。だけどそうするだけの甲斐性は謙作にはなかった。


(俺が大川名人のような手が指せる棋士なら咲良にもラクをさせられたのかなあ。)


 もう謙作には公式戦を指す機会はない。もはや年度末での引退を待つだけの身である。


(職安でもいって仕事を探すか)


 謙作は布団に戻って再び眠ろうとした。だが大川の名手、▲7三飛成とそれに至るまでの一連の手順の美しさが頭に残った。頭に盤面が何度も浮かんでなかなか寝付けなかった。




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