第2話 お泊りしているデリヘル嬢

謙作は自宅に戻る。1DKの古アパートだ。近くには神社、そしてラブホテルが並んでいる。目立たない雑居ビルに数多くの風俗店が間借りしており、ホテルの前にはデリヘル嬢の送り迎えの車がひっきりなしに立ち寄っている。


 謙作は食材を冷蔵庫に収納し、夕食の支度を始める。台所は3畳ほどの狭いスペースだ。6畳一間の部屋には本棚があり、将棋の本が詰まっている。仕事柄もらったりする機会が多いのだ。また奨励会を退会した人間から譲ってもらったものもある。それ以外はTVとエアコン、押入れがある程度のモノがない部屋だ。将棋の盤駒さえプラスチック駒と布製の盤を使っている。駒のペチペチした音がウルサイという苦情がくるからだ。一人暮らしの独身男としては部屋は片付いており、掃除もされている。


部屋に布団が敷いてあり、その中でもぞもぞ動いている30歳前半の女性がいた。


「うーん。謙作ちゃん、帰ったの。」女性はシースルーのランジェリー姿だ。長い脚とくびれたウエストと大きなお尻、そしてなんといっても地球の重力に逆らうかのように上向いた大きな胸が印象的な、スポーツキャスターの女子アナにいそうなルックスをしている。


 この女性、雨宮 咲良あめみや さくらはデリヘルで勤務している風俗嬢である。謙作の部屋に泊まっているのはこの部屋が咲良の勤務しているデリヘルの事務所に近いからである。週末となると6~8人のお客の相手をしないといけない。疲れ切って自宅への送迎もこの部屋にしてもらっているのだ。詰まる所、謙作とは半同棲の事実婚状態である。それを咲良の店も知っている。



 咲良は店では「アメリ」の名前で出勤している。年齢は24歳となっているがもちろんサバ読みで実年齢は31歳だ。プロフフィールもイベントコンパニオンとなっているが昔、少しやったぐらいでしかなく、20歳以降は風俗業界にどっぷり浸かっている。「アメリ」としての人気は数年前までは関西でも屈指の予約困難嬢であった。現在の人気はそれなりであり、ランキングの5位~7位に入るかどうかといったところである。持前のルックスとグラマラスな肢体に加えお客に対するマメなメールのやり取りとサービスで固定客を掴んでいる。


 咲良は布団を押入れにしまい、折り畳みのテーブルを拡げる。謙作が料理を並べた。鶏肉とかぼちゃのチーズ焼きと柚子胡椒入りの味噌汁とごはんが用意された。手早く電子レンジで簡単にできる料理でもあった。


「うん。おいしい。謙作ちゃん、棋士じゃなくて最初から料理人になればよかったのに。」

「いや、こんなもの3分間なんとかでやってたレシピ通りだから」


 咲良は料理は全くできない。不規則な勤務ではどうしてもコンビニ弁当などに頼ることになるがあまり素顔を晒して歩きまわりたくはなかった。こうやって食事を用意して、寝床のある部屋を確保できているのは咲良にとっては都合が良かった。この部屋の合鍵も持っているのだ。


 もともと謙作は咲良の馴染み客であった。謙作は対局で負けた後など、むしゃくしゃした気持ちを鎮めるためにデリヘルを利用することがあり、10年ほど前に咲良と知り合った。それからなのでもう長い付き合いではある。仕事柄目立ちたくはないのと、咲良にも連れ子がいること、謙作の稼ぎがよくないこともあり正式な結婚はしていない。咲良にも自分の家があるが、そちらは高校一年の娘に任せっぱなしである。



 咲良が食事をしている間、謙作は咲良のスマホを手に取る。お客からのLINEがたくさん入っている。謙作は咲良の出勤予定を手帳で確認し、姫予約のプランを紙に書き出している。もう慣れた作業だ。どういうお客なのかも咲良から聞いており、それに合わせたスケジュール管理は謙作が予定を立て咲良が修正することになっている。


「謙作ちゃん。もうそれで送信しちゃってよ。あと構ってちゃんたちへの返信もお願いね。」


「アメリ」としての最大の武器は常連客に対しての恋人ばりのこまめなメール。これを一人づつ丁寧に内容を吟味して送っているのだ。もうそれほど若くもない咲良にとってはこうした営業努力は必須である。5年くらい前までは関西でも屈指の予約困難嬢であったが流石に30歳を過ぎて出勤は減らし気味で常連相手中心の出勤をしている。ほぼ全てがリピート客だ。90分コースで4万円(消費税別)を取っている。いわゆる大衆店よりはワンランク高い店に所属していた。


 このクラスの店となると相当なレベルのルックス審査があり、駆け出しのモデルや高級クラブのホステスなどをやっていた嬢は珍しくない。咲良はその審査を楽々突破できるルックスとダイナマイトボディを兼ね備えていた。10年以上の風俗嬢経験があり、テクニックも抜群である。だが癒しを求めるお客はそれだけでは物足りないのだ。風俗を利用する後ろめたさがなくなるように、お客をあたかも本当の恋人のように接するのがトップ風俗嬢の技術である。


 デリヘル嬢のお客は店舗に予約を伝えるわけだが、中にはデリヘル嬢本人に決まった日時に予約を入れてくる場合があり、これを「姫予約」という。当然、咲良の個人の連絡先を教えるわけだが当然このスマホは「営業用」である。だがお客にしてみたら「特別感」があり、嬢の連絡先を知っていることはステータスとも戦利品ともなるのだ。そのため、予約以外のつまらない日常メールもひっきりなしにくるし、愛しているだの、君だけだよ、浮気しないからね、といったアピール合戦が続く。それを一つ一つ、返信していくのは顧客管理において大事であるわけだ。


「〇〇さんは店外ばかり言ってくるからそれはお店にバレたらダメってことで謝っておいて」

「〇×さんは本〇強要してくるから本〇はできないことも送って。あの人はもう切っていいし。」


咲良は食べながらそうした修正点を謙作に伝えている。手慣れたもので謙作も女性らしい文体でそれらの返信文を作成して送信していた。


 それが終わると咲良は化粧を始める。今日は既に予約が2件入っている。どちらも90分コースで常連客だ。出勤前には日常を伺いしれるような写メ日記を店舗のサイトにアップすることが多い。こまめな更新は新規客へのアピールともなる。出勤してます。お待ちしています、終わりではなく、お休みでジムに行って身体を引き締めたとか、化粧品の話を投稿するのであるが、一番喜ばれるのが一人づつへのお客のプレイの感想とお礼を書くことだ。これは常連の囲い込みだけではなく、新規客がデリヘル嬢をリサーチする上で大きなポイントになるのである。そしてそれも咲良から大体の話を聞いて謙作が写メ日記を仕上げることがほとんどであった。


「謙作ちゃん、それじゃいくわね。」


 咲良は部屋から出る前にテーブルに5万円を置いていった。昨日のあがりの一部だ。謙作は既にプロ棋士としての対局料では生活できない。既に順位戦からも弾かれており負けこんでいるので対局も少ない。咲良からお小遣いをもらって凌いでいる状態であり、いわばヒモ状態ともいえる。咲良は迎えにきてるデリヘルドライバーの車に乗り込んで出勤した。もっとも事務所まで5分もかからない。咲良は出勤が安定しており、ランキング入りもしてるので送迎が付いてるのだ。


謙作と咲良はもう長い付き合いだし、プライベートでも身体の関係があるにはあるが仕事で疲れている咲良は謙作の部屋に入るとすぐ寝てしまって起きたら謙作が用意したごはんを食べて出勤することがほとんどだ。一般的に風俗嬢がプライベートでそういうのを好まないのを謙作も解っており、強いて求めることもない。咲良がその気になったときだけである。


昔はお金を払って相手をしてもらっていたが、今は半同棲の事実婚状態である。なので事情を知らない人からみたらうらやましいと思われるかもしれないが実際はそういう事とは距離ができることが多い。ただ、咲良は仕事以外で他の男性と会うことはしないし、謙作以外に体を許したりもしない。咲良は謙作が大好きだし10年続いた夫婦としては結構な頻度でしているほうではある。


謙作は後片付けをして、煙草とライターをもって近くの公園に行く。吸殻を入れる入れ物も持って行っている。この時間なら子供たちもいない。またポイ捨てを咎められて通報されかねない。


 既に夜の19時。公園に人はいない。謙作はベンチに座って煙草を吸っていた。


「もしもし。ここで何をしているんですか。」

 謙作に声をかけてきたのは2名の警官だ。


「何って煙草を吸っていただけですよ。ポイ捨てはしてません。」

 謙作は吸殻入れを示した。


「実は通報がありましてね。公園で煙草をポイ捨てしてる人がいるってことで。本当に煙草を捨てていないのですか?」


「してませんよ。公園で煙草を吸ってはダメって法律はないでしょうよ。」


「ハイ。ただ受動喫煙の被害も言われておりましてね。」


 公園には誰もいない。


「ちなみにお名前を伺っても?」


「永井謙作。これが免許証。」

謙作は運転免許証を差し出した。ゴールド免許だが車は手放したので現在はぺーバードライバーだ。


警官は免許証の番号で署に照会をかける。前科がないか確認したのだ。


「ハイ。結構です。あまり深夜に出歩かないでくださいね。」

 警官としてもそれ以上は強く言えない。ただ、ポリティカル・コレクトというか、市民の「自警団」というか「通報警察」というのにも対処しないとさらに多大な時間を使うことになるのだ。


「これを吸ったら帰りますよ。」


 謙作としては咲良が泊まる部屋で煙草を吸いたくなかった。咲良は煙草を吸わないからだ。咲良本人は仕事柄、お客のたばこには慣れているがお客らはデリヘル嬢の煙草には好意的ではないことがほとんどだからだ。咲良の服やカバンに煙草の匂いを染みつかせるわけにはいかない。


 警官たちは公園を立ち去った。謙作も煙草の吸殻を入れ物に入れて部屋に戻った。


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