第3話 模範的いい人生

「よし、今日の練習はこんなもんかな。お疲れ~」

「おつかれさまです!」

「うん。お疲れー」

「お疲れー、ジュース買いに行かない?」

「「「さんせー」」」

 時刻は午後4時。バンド練習が終わり、体はもうくたくた。

 昇降口を出ると、頭上には茜色の空が広がっていた。

 4人を西陽がオレンジ色に照らす。

 昇降口をでて、剣道場の裏には自動販売機とベンチが2づつ並んでおり、そこで練習終わりに、缶ジュースを飲むのが日課となっていた。


 各々が好きな缶ジュースを買い、ベンチに腰掛けると目の前に広がるのは見下ろす形で見える閑静な住宅街。


 夕暮れのゆったりとした時間を初夏の風が数える。


 アイスクリームがじんわりと溶けていくように過ぎていく時間。

 私たちがいるところだけ静寂が辺りを包み込み、世界のどこよりも静謐とした空間。

 いつもよりゆっくりと時間が過ぎていくような感覚。

 地球という惑星にぽっかりと穴があき、私たちだけが日常から切り離されたしまったようにも感じられた。


 ぷしゅ、と間抜けな音が4人の間を通り過ぎていく。


 缶に口をつけると、ひんやりとした金属の感触が唇に伝わってくる。

 やがて、きんきんに冷えたカルピスソーダが口内に甘い香りを教えてくれる。

 体内のどこを通って行ったかがわかるくらいに清涼感で体がいっぱいだった。

 やっぱり練習終わりのジュースは至高ですな。


「わたし、最近悩み事がありましてですね~」


 最初に口をひらいたのは琴子だった。


「ズバリ申し上げますと、私、将来何になろうかなって話でして……」


 ぎくっ、とした。

 私の考えていることそのままだったから。


「おぉ青春だねぇ~」

「それいったら、なんでもいいと思ってるでしょ!」

「あ。ばれた?」


 波瑠のつっこみに舌をペロリとだし、小悪魔みたいに笑う涼香ちゃん。

 こんな顔も似合うんだぁ。涼香ちゃんってやっぱりすごい。と1人だけ場違いなことを考えている間に話は進んでいく。


「話を戻しますとですね、私将来アニメーターになりたいのです。やっぱり不安定な職種ですし、親からもあまりよくは思われてないのですがそれでもやっぱりアニメを描くのは好きで……。好きなものを職業にできたらなと思うわけですが、それってよく考えるとつらいことなのかもしれないという気もして。好きなものがなるのってなんだか嫌じゃないですか。でも好きなものを仕事にしたことのない私にとってそのなんだかはいつまで経ってもなんだかのままで……。」


 それは琴音ちゃんの中でもなんども考えられたことなのであろう、思考の道筋を指でなぞるようにするすると話は彼女の口で紡がれていく。


『好きなものがなるのってなんだか嫌じゃないですか』

 言われてはっとする。そういう考えかたもあったのかと。


「続けると、そもそも論、趣味程度にしかアニメなんて書いてこなかった私にとって本気で続けられる覚悟はあるのかとかいろいろ思うところはありまして。業界の適正だとかそれこそいった決意だとかが欠けているような気もしまして、それだったら親だったり学校から期待されているとおりいい大学通って、有名企業に就職したほうがいいのかなと思うわけです。でもそれは本当に自分のしたいことなのかというと答えは明らかでして。なんだか人生って難しいですな」


 ここまでで話は終わりのようだ。

 再び4人の間に静寂が流れる。


「私は、将来大学に行く気なんてないね」


 一瞬時が止まる。

 え、いまなんて……?


「「「ええぇ!あの涼香ちゃんが!!」」」


 3人の間で衝撃が走る。

「涼香ちゃん、成績優秀だし、それはもったいないって」

 私は必死に食って掛かる。



「そのさ、『大学に通う』っていうのってさ、自分で決めたことなの?」



 言われた通り、自分の中で答えを探してみる。

 ……あれ?なんか答えがでてこない?

「自分でそういう根本的なこといままで考えたことなかったかも……」


「人生一度きり。『いい人生』を送るためにはさ、自分で人生を決めたんだっていう納得感が必要不可欠なんだと思う。例えば、とりあえずいい大学に入って、とりあえず大企業に入社して、そこそこ成功したとしてもさ、『ほんとにいい人生だった!』って言い切れない何かが残るのかもしれない。やっぱりそれって、で決めたからだと思う。つまりその決断には個人の意思はあまり関わってないってことに繋がってくる。」

「じゃあ、家族の期待に応えるため。って自分で決めた場合はどうなるんでしょうか?」

「それもね、本質的には自分で決めたことにはならないと思う。ちゃんと考えて考えて納得した場合は別だけど。そういう呪文みたいな言葉、たとえば「学校のため」とか「親のため」という言葉は唱えると、いとも簡単に思考停止に逃げ込めちゃうっていうのもまた事実なんじゃないかな?」


「思考停止ですか?」


「うん。思考停止を正当化できる呪文。唱えておけばそれ以上はなにも考えなくていい。簡単に楽になれる。でもそうやって大事な場面で思考停止に逃げちゃうと、いつまで経っても本当の自分とは向き合えない。もちろん家族は大切。絶対に大事にしたほうがいい。だからって自分は本当は何をして生きていきたいのか、それをうやむやにしては『いい人生』は歩めないんじゃないかな?。何十年か経って自分の本当の思いに気づけたとしても、すでに手遅れだったりする。だから、自分が思う道に進むの私は賛成」


 

 その言葉を聞き、私ははっとする。

 今まで私は無意識のうちに正解を探していたのかもしれないと。

 そういった『模範解答』っていうわかりやすい『答え』にばっか縋って、頼って、信頼して、それ以外のことから目を背けていた弱い自分に気づいた。


「つまり、難しいことを考えずに自分が思う好きなことをすればいい。これが『いい人生』を歩むための大前提なんじゃない?」


 その言葉にはどこか自分にも言い聞かせているような気が気のせいかもしれないがした。


 涼香ちゃんはサイダー缶に口をつけ、もう一度、言葉を落とす。


「人には人の幸せっていうのがあるからね。

『いい大学でて、いい企業に入れたからいい人生』とか、模範的いい人生と自分の人生を比較して、自分の幸せを決めるとかそういうの私は嫌だね」


 涼香ちゃんの言葉ひとつひとつが私の価値観が、ばらばらと音を立てて壊していくのを感じる。


「なるほど…。涼香ちゃんがいうとなんかすごく説得力がありますね。私もう少し頑張ってみようと思えました」


「それはよかった」


 今度は優しいお姉さんが見せるような優艶な笑顔を見せた。

 さすが涼香ちゃん。やっぱりかわいい。


「ちなみになんですけど涼香ちゃんは高校卒業後どうする予定なんですか?」

「確かに、それ気になる!」

 私がさっきから抱いていた疑問だ。


「うーんとね、私は家業の楽器店を継ごうと思ってるよ」

 それに対し、ここまでの話を聞いて私は一つ疑問に思ったことがあった。


「それって、自分で決めたこと?」


 にへらと笑って涼香ちゃんはこう答えた。


「わかんない」


 どうやら涼香ちゃんにも分からないことはあるらしい。




















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