第31話 最終話

 台風が過ぎ去ったあとの空は、晴れなのに虹が横たわっており、雲らしい雲が一つも見当たらなかった。


 湿気をたっぷり含んだ風が吹いており、夏の本番が近いことを教えてくれる。


 サエコたちは休日のドライブを楽しんでいた。

 ゆるやかな海岸線を走っており、白い波がウサギのように跳ねている。


 レンタカーの運転席に座っているのはイツキだ。

 サエコもマリンも免許証は持っているのだが、筋金入りのペーパードライバーなので、まともに運転できるのがイツキしかいなかった。


 大学生の頃は免許証を持っていなかったくせに。

 運転するようになった背景をいてみたら、


『前の恋人の要望で、どうしても車に乗りたいと言ってきて、自動車教習所のお金を出してくれるっていうから……』


 とびっくりエピソードを教えてくれた。


 でも、元恋人とやらの気持ちが分からないでもない。

 運転中のイツキは普通に格好いいし、お高いスポーツカーとか似合いそう。


「運転できるなら、もっと早くに教えてよ」


 サエコが素直な感想を口にすると、


「いや、別に隠してはいない」


 イツキは屈託なく笑った。


「今日はお仕事、大丈夫だったのですか?」


 助手席に座っているマリンが振り返りながらいう。


「うん、プロジェクトが順調だから。でも、来週からまた忙しくなるかな」

「だったら、今夜はサエコさんの元気が出るものを食べましょう。おうちで焼肉とかどうですか?」

「やりた〜い!」


 マリンの優しさに触れたサエコは相変わらずデレデレしてしまう。


 あれから『パパ』の身分は返上した。

 お金を貯めるというマリンのミッションも果たされたし、友達以上、恋人未満のような間柄となり、こうして週に1回か2回会っている。


 でも、同棲するようになったら、毎朝顔を合わせるんだよね?

 ほとんど確定している事なのに実感がまったく湧かない。


「けっきょく、サエちんってさ〜」


 イツキが話の腰を折ってくる。


「僕とマリン、どっちが好きなの?」

「バ……バカ! そんなの、決められるわけないでしょう⁉︎」

「だってさ、マリン。今のところ五分五分らしいよ」

「むむむ……聞き捨てなりませんね」


 運転席の姉と助手席の妹のあいだでバチバチと火花が飛びまくる。


「サエコさんは初めてのパパ活の相手に私を選んでくれましたよね。それってつまり、私に一目惚れしたってことですよね?」

「それはそうだけれども……」


 サエコがごにょごにょ言い淀んでいると、バックミラーに映るイツキが怖い目を向けてくる。


「あのさ〜、僕とサエちん、出会って9年目なんだよ。1年くらい同棲した仲なんだよ。新参者のマリンに負けるわけないじゃん。サエちんとは行くところまで行った仲だし〜」

「ちょっと、イツキ! 太陽が出ている時間にそういうことを言わない!」


 当時の恥ずかしい記憶がよみがえってきて、サエコの表面温度は一気に一度くらい上がった。


 昔からベッドの時間のイツキは野獣だった。

 けれども乱雑という感じはなく、サエコを上手にリードしてくれた。


「いくらお姉ちゃんでも、そういうマウントを取られると腹立ちます」

「ケッケッケ……体の関係が最強なんだよ」


 この二人って、わりとケンカするんだよな〜。

 血は争えないってやつかな〜。


 そんな心配も休憩のために立ち寄ったコンビニで吹き飛んでしまう。


 マリンがナンパされたのである。

 サエコとイツキがちょっと目を離した隙に、チャラそうな男が寄ってきて、マリンにしつこく絡み始める。


 イラッとしたサエコの肩に手がかかる。

 明らかにイツキは激怒しており、ヤンキーみたいに首の関節をポキッと鳴らした。


「サエちんはここで待っていて」


 何をするかと思いきや、男に絡まれているマリンを後ろから抱き寄せて、見せつけるようにキスしたのである。


「この子、僕の彼女なのだが……。悪いけれども他を当たってくれない」


 あまりのイケメンっぷりに、サエコは呼吸することを忘れそうになる。

 もちろん、キスされたマリンも真っ赤っかで、本物の彼女みたいにイツキに抱きついた。


「ちっ……レズビアンかよ」


 向こうがあっさり引いたので、ホッと胸をなで下ろす。


 いや、そうじゃない!

 姉妹なのにキスした!


 その件で問い詰めると、


「僕とマリンはね〜、そこら辺の姉妹より仲良しなんだよね〜。もしかしてサエちん、僕らに嫉妬した?」


 イツキが勝ち誇ったように笑うから、むっか〜! が止まらなくなるサエコであった。


        ◆        ◆


 レンタカーで遠路はるばるやってきたのは、殺風景なお寺にある墓地だった。

 ここにイツキとマリンの父親が眠っているらしい。


 元々、肝臓に爆弾を抱えていた。

 2年前、病院のベッドで呆気あっけなく死んだ。

 イツキが淡々と語るのをマリンは複雑そうな表情で聞いていた。


「本当にいいの? 引き返すなら今のうちだよ」

「お父さんのこと、とても許す気になれませんが……」


 お花を握るマリンの手に力が入る。


「私なりのケジメだと思っています。死んだ人のことを憎んでも仕方ありませんから」

「そっか。マリンは素直だな。いい子、いい子」


 イツキ、マリン、サエコの順で墓地へと入っていった。

 あまり資産を残さずに死んだせいか、イツキに教えられた墓石は周りのお墓より一回り小さい。


 夏にしては涼しい風が三人のあいだを吹き抜ける。

 サエコが湿っぽい表情をしているとイツキに笑われた。


「なんでサエちんがセンチになってんの?」

「だって仕方ないでしょう」


 クズ男。

 父親失格。

 なのに一人前に墓石があって、こうして娘たちが墓参りに来ている。


 この男のせいでイツキとマリンは離れ離れになったのに……。

 毒親だろうが、DV男だろうが、死んだら許されるみたいでに落ちない。


「サエちんの考えていることは分かるよ。でもね、こいつの手元から逃げたくて僕は大学受験を頑張ったんだ」


 そうしたら進学先で二人は出会った。

 楽しかった。たくさん笑った。充実していた。

 生きてて良かった、とイツキは思えた。


「さんざん迷惑かけちゃったけれども、心の底から楽しかったのは本当なんだ。僕が人生をやり直せるとしたら、またこの男の娘に生まれて、もう一度サエちんに会いにいくよ」

「あんたってやつは、どこまでも口達者なんだから」


 何を考えているか分からないイツキの頬っぺたを左右にぐぃ〜と引っ張っておく。


「痛い、痛い、痛いって……」

「イツキって感情を表に出した時は可愛いのよね〜」

「あのね……」


 手を離したとき、水汲み場のところから叫ぶマリンの声が聞こえた。


「掃除しますから! 二人も手伝ってください!」

「は〜い!」


 全員で掃除するとあっという間に終わった。

 花を挿してから持ってきた線香を供えておく。


 強い風が吹く。

 サエコは手で顔をガードする。


 この2ヶ月くらい、たくさんの出来事があった。

 マリンと出会って、イツキと再会して、新プロジェクトのメンバーに抜擢ばってきされて。

 小さいことまで数えるとキリがない。


 楽しかったな。

 素直にそう思える。

 来週も頑張ってみようかな、と。


 でも、ちょっと怖い。

 5年後、10年後、この二人はサエコの側にいるだろうか。

 大切な人ができるってことは、失いたくないものが増えるのと同じだから。


「サエコさん、どうしたのですか、浮かない顔をしちゃって」


 マリンがデート中みたいに甘えてくる。


「あ〜、ずるいぞ〜。サエちんは僕の相方なのに」


 留守になっていた腕をイツキにつかまれる。


「ちょっと……歩きにくいじゃない!」


 文句をいうサエコの視界の隅で鮮やかなものが揺れた。

 太陽の光を嬉しそうに浴びる、とてもとても真っ赤な花弁だった。




《作者コメント:2021/09/18》

読了感謝です!

ちょっと休憩したのちSSを何個か書く予定です。

本編はいったん完結。また来週!

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