鏡の水、雨の中 捌

 そして今、雛子は賽子を手のひらに転がしながら、ぼんやりと庭を眺めている。


 僕がこの家に着く少し前からさらさらと降り始めた雨は、雲が晴れてきたのになかなか止まない。天気雨は不吉だと誰かに聞いた。吉兆と言う人もいたような気がする。

 昨日のセーラー服の様子を雛子に聞かれた。

 雛子の家を出て一緒に歩いたこと、少しだけ話をしたこと、賽子の出目を当てた様子、触れただけでへこんだ背中のことを話した。彼女は生真面目に耳を傾け、セーラー服が頭を掻きむしりながら歩き去るところでは、かわいそうにね、と鈴を振るような声で呟いた。

 寂しいですか、と僕は聞いた。

「寂しいよ。お友達だったもの。百合の花、きれいだった。もう一度くらい遊びに来てくれればよかったのに。賽子当てるの、見せてほしかったな」

「見事でしたよ。僕の手のひらで転がしたのも当てましたよ」

 雛子は真っ黒な目をしばたいて、いいなあ、と心底羨ましそうに言う。僕を見つめるあどけない白い顔が、セーラー服に寄り添って百合の花を折る手元を見つめていた姿に重なった。


 セーラー服が気に食わなかったのは、僕の立場をおびやかしたからだ。


 歳は雛子よりは少し上、並んだときの釣り合いが良かった。物腰には名門校で躾けられたらしい品があり、付け焼刃の礼儀作法しかない僕とは一線を隔すように思われた。この家に来た客は今までにもいたが、雛子と目を合わせるのすら恐ろしがって、大抵は床を見つめて縮こまってばかりいた。

 遊び相手となって、すぐそばで笑顔を見つめ、歓心を買いたいと望んだのは、僕が知る限りでは彼女だけだ。

「僕も、飲んでみようかなあ」

 雛子は意味がわからないふうに小首をかしげた。

「お茶のお代わりを召し上がる?」

「違いますよ、ほら、彼女が飲んだあの水。少しくらいは残っているでしょう。僕も賽子が当てられるようになるかも、」


 ――駄目、と雛子が強い声で言った。


 言葉を遮られたのは初めてだった。痩せた小さな白い両手が、僕の手のひらを強く掴む。ぎゅうと力を込めて握る。

「そんなのは駄目。ユキちゃんは駄目」

 血の巡りが悪いのか、その肌は冷たい。死体よりは温かい気はするが、生きているものとも思えない。

「ユキちゃんには絶対にあげないよ。そんなことを言うのも聞きたくない。どうしてそんなことを言うの? そんなことを言うユキちゃんは嫌い」

「――わかりました。ごめんね、雛ちゃん」

 目の前の黒髪をそっと撫でると、薄赤い唇を引き結んだ怒り顔がじっとりと僕の顔を見た。じきに笑ってくれればいい。


 セーラー服の彼女には、勝った、と思った。

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