第27話 高台の上でとんでもない目に合った


4日目6



月明かりに照らし出された高台は木々が途切れ、赤茶けた地面がき出しの空き地になっていた。

振り返ると、中腹に生い茂る木々の隙間を通して、街の灯りが良く見えた。

幸い今の所、あの奇妙な違和感は再燃していない。

今のうちに【殲滅の力】を使ってしまおう。


俺は心の中で念じてみた。


『【殲滅の力】……』



―――ピロン♪



軽快な効果音と共に、ポップアップが立ち上がった。



【【殲滅の力】を使用しますか?】

▷YES

 NO


残り03時間25分58秒……



よし。

▷YESを選択する前に、もう一回、周囲を確認して……

いや、正確には確認しようとしたそのタイミングで、俺の背中をゾクリと何か冷たい感覚が駆け抜けた。


なんだ!?


感覚の源を探ろうとした俺の頭上から、声が浴びせられた。


「お前は何者だ?」


上から?

いぶかしみながら声の方に視線を向けると、そこには空中に静止する一人の男の姿があった。

頭部には短い白髪を貫くように突き出た一対の角。

灰白色の肌に、素材不明な黒と赤を基調とした衣装を身にまとっている。

そして背中には、蝙蝠こうもりのような一対の翼……


ま、まさか!?


昼に聞いたバーバラの言葉が思い出された。



―――とにかくあんたも気を付けなさいよ。もし本当に魔族がからんでいるなら、あいつらが街の外をうろうろしているかもしれないって事だから。



全身の毛穴が開くような恐怖感が襲い掛かって来た。


嘘だろ?

なんで魔族がこんな所にいるんだよ!?


俺は思わず一歩二歩後退あとずさった。

それを目にした上空の魔族が、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「ふっ……やはりただのニンゲンか。もしやと感じたのは気のせいだったか……」


あいつが何か言っているのは聞こえてくるけれど、恐怖で埋め尽くされた俺の頭は、その言葉の意味を理解出来無い。

とにかく逃げないと……


しかし恐怖ですくんでしまったのか、俺の足が俺の言う事を聞いてくれない。


魔族が右手を高々と掲げるのが見えた


「死ね」


魔族がその右手をまさに振り下ろそうとした瞬間、裂帛れっぱくの気合が響き渡った。

同時に、魔族の右のひじから先が、見えない何かに斬り飛ばされ、宙を舞った。


「ギアアアアア!?」


魔族が苦悶の表情を浮かべ、地面に落下してきた。

そして俺は、何者かに後ろから首根っこを掴まれた。


「何をぼさっとしているのですか? 早く逃げるのです!」

「えっ?」


俺は、その何者かが女性である事に気が付いた。

強い意志を感じさせる碧眼と非常に整った顔立ち。

そして金髪を後ろに長くポニーテールに結って垂らして……


「イネスさん!?」


その顔は間違いなく、今朝、俺の事情聴取を行った、帝都から来たという深淵騎士団副団長イネス・ナタリー・ジョゼ・ヴィリエその人であった。


「どうして、ここへ?」

「説明は後です。さあ、早く」


言われるがままに、彼女に続いて走り出そうとした俺達の目の前に、突然土の壁がせり上がった。


「逃がすか!」


振り返ると、あの魔族が俺達に怒りに満ちた視線を向けてきていた。

俺達の退路を阻むかの如くせり上がったこの土壁は、恐らくこいつの仕業だろう。


「深淵騎士団か。下等生物の分際で、よくもやってくれたな?」


魔族の右腕が一瞬輝いた。

と思う間も無く、失われていたはずの右肘から先が再生した。

魔族は二三回、調子を確認するかの如く、自分の右手を開けたり閉じたりした。

そしてニヤリと笑った。

そこには凄まじいまでの悪意が見て取れた。


「簡単に死ねると思うなよ。お前等が自ら殺してくれと懇願して来るまで、なぶってやろう」


イネスが俺をかばうように一歩前に出た。

彼女は全身を銀色の甲冑で覆っていた。

そしてきらめく大剣を両手で構えると、俺に囁いた。


「私があいつの注意を引きつけます。隙を見てこの場を脱出しなさい。街に無事辿り着く事が出来れば、冒険者ギルドのマスター、トムソンにこの事を知らせるのです」


彼女は俺の返事を待たずに裂帛の気合と共に、大剣を振り抜いた。

先程魔族の右腕を斬り飛ばしたのと同じ、不可視の斬撃を放ったのであろうか?

しかしそれを、魔族は文字通り羽虫を払うかの如く、手で跳ねのけた。


「うそ……」


イネスが呆然とつぶやくのが聞こえてきた。

しかしすぐに彼女は気を取り直したらしく、何かの詠唱を開始した。

彼女の前面に美しい魔法陣が幾重にも紡ぎ出されて行く。

それを魔族はなぜか余裕の表情で黙って眺めている。


とにかく逃げないと……


ようやく恐怖心と言う呪縛から少し逃れる事が出来た俺が、イネスと魔族とに背を向け、駈け出そうとした瞬間、背後で嫌な音がした。



―――ごきぃぃ……



振り返ると、イネスが血飛沫ちしぶきを巻き散らしながら宙を舞っていた。

彼女は赤い綺麗な放物線を描きながら、背中から地面に盛大に叩きつけられた。


「が……はぁ……」


そのまま彼女は動かなくなった。


「イネスさん!?」


俺は思わず彼女に駆け寄ってしまっていた。

血まみれの彼女はピクリとも動かない。

魔族が残忍な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近付いてくる。


「大分手加減したつもりだったのに、ニンゲンはやはり脆い……」


どうする、どうする、どうす……はっ!?


パニックになる寸前で、俺は目の前に立ち上がっているポップアップに、今更ながら気が付いた。



【【殲滅の力】を使用しますか?】

▷YES

 NO


残り03時間13分34秒……



俺は近付いてくる魔族を睨みつけながら、祈るような気持ちで▷YESを選択した。

閃光が周囲を白一色に染め上げた。


そして……



―――ゴオオオオォォォ……



凄まじい音圧が周囲の全てを圧倒した。



―――ピロン♪



『フラウロスを斃しました』

『経験値41,947を獲得しました』

『フラウロスの指輪が1個ドロップしました』

『レベルが上がりました』

『Lv. 312 ⇒ Lv. 313』



十数秒後、俺の視界が回復した時、月明かりの下、高台の様相は一変していた。

ただの空き地だった場所は、丁度俺とイネスがいる場所を中心として、半径100m程にわたって、丸くえぐり取られたようになっていた。

開けた視界の中、あの魔族の姿は消え去っていた。


斃せた……のかな?


俺はのろのろと起き上がると、フラウロスの指輪を拾い、背中のリュックサックマジックボックスに放り込んだ。

そして改めてイネスの状態を確認してみた。


全身血まみれだけど、浅いながらも呼吸している!


しかし、危険な状態である事は変わりないだろう。

ここは急いで街に運ばないと……


俺は彼女の大剣を拾い上げ、背中のリュックサックマジックボックスに収納してから、彼女自身を両手でお姫様抱っこの要領で抱え上げた。

彼女の元々の軽さのせいか、レベル313の腕力のお陰か、幸い、そんなに重さを感じない。

俺はそのまま小走りで、来た道を街に向けて駆け降りて行った。



麓に近い所まで降りてきた所で、俺はまたもあの妙な違和感に襲われた。

忙しいのに、またあの『ござる』野郎が現れたのであろうか?

と思う間も無く、いきなり木陰から何者かが飛び出してきた。


「お、お嬢様!?」


え?


それはまがう事無く『ござる』野郎であった。

しかし……お嬢様?


『ござる』野郎が、星形の投擲武器のような物を手にしながら、俺の前に立ち塞がった。


「お嬢様に何をしたでござる!?」

「お嬢様って……イネスさんの事か? お前は何者だ?」

「拙者は闇に生き、闇に死せる者。身命を賭してでも、お嬢様をお守りするのが拙者の使命!」


って事はこいつ、まさかイネスさんの関係者か?

いや、しかしこいつ、闇がどうたらとか口にしていたな。

混乱に乗じて、イネスさんの命を狙っていないとも限らないし……


「とにかくそこをどけ! 一刻を争うんだ」

「お前こそ、お嬢様を解放してすみやかに去るでござる。さもなければっ!」


俺は有無を言わせず、イネスさんを抱えたまま、そいつに思いっ切り体当たりをかましてやった。


「はうっ!?」


不意打ちの形になったからであろう。

『ござる』野郎が盛大に吹き飛んだ。


そのまま俺は街の入り口目指して全速力で駈け出した。



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