第5話 異世界人の価値

「そろそろ終わりにするか」


「あぁ……うん。…………そうしてくれると助かる」


 夕方になり辺りも薄暗くなり始めたころ、ようやく稽古は終了した。

 世界の間で暦や季節、気候に変化があるのか定かではないが、今日本は8月である。

 新の肌感覚で同じような日没時間であることを考えれば、かなり長い時間練習をしていたことになる。

 一度も握ったことも無い木剣を振り回し、久しぶりに全力で体を動かし、その上、


「ここ数日何も食ってない気がする」


「お前……早く言えよ。アラタの面倒はうちで見ることになったから行こうぜ」


「そーなんか。お世話になります」


 眼を覚ました家へと戻り、2人は井戸水で体を洗う。

 何となく風呂とかないことを察していた新の落胆ぶりは大したことなかったが、それでも何日間も風呂を見ていないと恋しさが増す。

 部屋は彼が寝かされていた場所をそのまま貸してもらうことになり、ベッドが用意されていた。

 日本と違い土足であり、敷布団という考えはあまりないように見える。

 新はベッドに腰を落ち着け、数分の間ボーっとしていると部屋の外からエイダンに名前を呼ばれた。

 床板を軋ませながら廊下を歩いて行くと、ダイニングに出てエイダン、新、それ以外に3人の男女がいた。


「親父のカーター、お袋がハンナ、妹がレイナだ」


 エイダンとカーターはよく似ていて、特に目元口元なんてそっくりである。

 髭を剃って数十年カーターを若返らせれば、そのまんまエイダンなのだ。


「皆さん、アラタ・チバです。これからしばらくお世話になります」


 エイダンの話では自分の父親はこのレイテ村の村長だから新の事を引き受けると言っていた。

 村長だけあって世話焼きの優しそうな人相をしている。

 新が挨拶をすると、カーターはビールのような飲みものを机に置き、気さくに笑った。


「おう、よろしくな! 自分の家だと思っていいぞ!」


 それから、新は異世界で初めての食事を取った。

 メインはパスタ、カルボナーラのような内容のはずだったが、新は詳しく内容を覚えていない。

 とにかく腹に入れる。

 味なんてのは二の次で、とにかく体の中に栄養素を取り込み続けた。

 落ちた脂肪と筋肉、どちらも大事で人間が生きていくうえで欠かせないものだ。

 それを数日間とは言えほぼ絶食状態で断たれていた彼は一心不乱に飯をかきこむ。

 おいしいかおいしくないかと聞かれれば、多分あまりおいしくは無いのだろう。

 失礼極まりないが、新は飽食美食の国日本生まれ日本育ちだ。

 複数種類の素材から出汁を取り、つやつやの米を毎日口にして、生鮮食品だって何だって簡単に手に入る。

 その上料理も不得手ではないのだから、この世界の料理に対してそんな感想を抱くこともまあ仕方なかった。

 だが、傍から見れば随分と旨そうに食事をしている彼を見て、カーターとハンナは一安心した。

 リーゼから、彼に失礼の無いように接してほしいと念押しされていて、未開拓領域近くのこの村の食事が口に合うか心配だったのだ。


「美味いか?」


「美味いっす。俺、しばらく何にも食べてなくて、本当にありがとうございます」


 そう言いながらサラダをモシャモシャと頬張り、スープを飲み干し、パンにかじりつく彼を見て、失礼の無いようにと言われていたがそこまで高貴な身元ではないのでは? とカーターは気になった。


「どんどん食べていいぞ。それより何でアラタはこんな何もない村に来たんだ? あのお2人と違って冒険者ってわけでもないだろう」


 彼の質問に、新の食事の手が一瞬止まった。

 しかしすぐにパンを手に取り、彼らと同じようにスープに浸して口元へと運ぶ。

 普段の彼なら話してもいいのか迷う質問だが、今彼は喉から手が出るほど渇望した食事の真っ最中だ。

 満ち足りた精神状態の中、新の口からはすらすらと答えが出てきた。


「ああ、それはですね」


 彼は全てを話した。

 急にこの世界にやってきたこと。

 スライムに食料を奪われたこと。

 山賊に襲われた? こと。

 ここに来ていきなり訓練しろと言われたこと。


「アラタ……じゃ、じゃあお前は異世界人っていうやつなのか⁉」


「そうみたいっすね」


 パンを食べ終え、両手を前で合わせる。

 『ご馳走様でした』と言い終えると、新はさっきよりも空気が重くなったことに気が付いた。

 カーターは何か難しい顔をしていて、ハンナは困ったような顔をしている。

 新は、やっぱり言うべきではなかったのか、今はそう思っている。


「アラタさんは元の世界で何をやっていたの?」


 少し軽率だったかと後悔したその時、彼の向かいから無邪気な明るい声が飛んできた。

 エイダンの妹のレイナだ。

 細く柔らかい髪を両側で結び、育ちかけのツインテールがこの子のチャームポイントだ。

 心の中で助け舟を出してくれた幼稚園児くらいの少女に新は感謝する。


「えっとね、俺は元の世界で大学生、学生だったんだよ」


「ガクセイ! じゃあとっても頭がいいんだ!」


 この世界では誰もが学校に通う訳ではないのか、レイナが新を見る目が変わった。

 今までは珍しい動物を見ているような眼差しだったが、今は憧れの職業を生で見ている小学生みたいなキラキラした目をしている。

 ただ、その目は新には少しきつい。


「う~ん、まぁ……そこそこかなぁ~?」


 ごめんレイナちゃん。

 俺本当は全然勉強できないんです。

 数学なんて数Ⅰ・Aに入ったところで教科書開くの辞めました。


「レイナ、そろそろ寝なさい。母さん」


 子供のスイッチが入ってしまったことを察したのか、カーターはレイナに寝るように促す。

 それに合わせてハンナが席を立ち、まだ新と話をしていたそうなレイナの手を取る。


「おいで、お母さんと一緒に寝ましょうね」


「はーい、おやすみ。アラタさんもおやすみ!」


「おやすみレイナちゃん」


 ハンナとレイナが出ていったところで、新も素振りをすると言って外に出た。

 気まずい空気感に取り残されるのは嫌だからだ。

 一度部屋に戻ると、昼間使っていた木剣ではなく神から渡された刀を手に外に出た。

 先ほどまでの重苦しい雰囲気を振り払うように刀を振る。

 夏の暖かい空気がまとわりつき、振り払っても振り払ってもねっとりとした重い空気は消えてくれない。


 今日一日エイダンに教えてもらったけど、全く上達しなかった。

 仕方ない、まだ初日だ。

 仕方ないけど……練習できる時間はあとどれくらい残ってんのか。

 もしかしたらすぐ、今夜にでも敵は襲ってくるのかもしれない。

 そう思うと堪らなく不安になる。


 新は刀を振り続けた。

 日中の稽古では全く上達しなかったが、刀の振り方だけは大分ましになってきた自覚が彼にはある。


 今なら分かる。

 どうやって振ればより正しく力が乗るのか。

 どうやって振ればより速く振れるのか。

 あー、上手くなっている感覚が気持ちいい。

 レベル上げするのは何時だって楽しい。


 少しの喜びを胸に、新はまた無心になって刀を振る。

 辺りはとっくに真っ暗になっていて、空には満天の星が輝いていた。

 でもそんな光景も今の新には届かない。

 今いいところで、今何かが掴めそうなところ。

 そんな時に彼の中にある感情はただ一つ、『楽しい』だ。


「アラタ、ちょっといいか」


 真上から地面すれすれまで刀を振ると、新は振り返った。


「どした? エイダンもやる?」


「いや、いい。ちょっと休憩しないか」


 今いい感じだったんだけどな。

 ……一回リセットするか。


「うん、丁度疲れてきたとこだったんだ」


 刀を鞘に納め、玄関に立てかける。

 そして2人は家の前に腰掛けた。

 街灯は無く、玄関にも灯りは無い。

 あるのは家の中から漏れる光だけで、それもそんなに強い光ではない。


「なあアラタ」


「んー?」


「お前さ、異世界人なんだろ? 向こうの世界ではどんな暮らしをしていたんだ?」


「どんなって言われても。普通に学校に行って、遊んで、バイトして、そんな感じかな。剣を握ることなんてなかったよ」


「平和な世界だな。こことはだいぶ違う」


 その言葉が、エイダンの偽らざる本心だったのかもしれない。

 新は日本ひいては元の世界に思いを馳せた。


 日本単体では確かにそうかもしれない。

 けど、世界規模で見たら地球だってかなり危ない場所も多い。

 でもまあ、日本で山賊に襲われることなんて想像もしなかったな。

 そう考えたら、俺の周りは平和だったのかも、あの時までは。


「確かになぁ。エイダンはここで何してんの?」


「俺は……分かるだろ。村の仕事の手伝いだよ」


「剣はどこで習った? 俺も素人だしよくわかんねーけど、エイダンは慣れているように見えた」


「俺は親父に習ったんだよ。でも本格的な指導なんて受けたことないから、アラタにちゃんと教えられているか自信は無い」


 エイダンはそう言うと、少しバツが悪そうにニッと笑った。

 今まで先生の真似事をしていたことに後ろめたさでもあったのかもしれない。


「頼むよ、一応命かかってんだから」


「やってるさ。アラタには申し訳ないけど、1人でも戦える人間が増えると心強い。力を貸してくれないか」


 彼の声のトーンは低く、本気だ。


 こんなズブの素人に頼みごとをするなんてどうかしている、そう新は思った。

 よほど追い込まれているに違いないと。

 ただ、戦うことなんて想像がつかないし、そもそも武器を振り回して戦うなんて頭おかしいんじゃないのかとすら思う。

 斬られたらケガじゃ済まない。


「ふぅー…………」


 けどまぁ、断れないか。

 ここまで深く関わっておいて、助けてもらって、飯を食わせてもらって、俺だけみんなを見捨てて逃げるなんて後味が悪すぎる。


 新はこの状況に既視感を感じていた。

 まるでテスト前に勉強するか迷う時のあれ。

 勉強をする意味や意義、そんな普段考えもしないことに思いを馳せ、ぐるぐると何度も何度も同じことを考え、そして既に決まった答えに辿り着く。

 それと同じ感覚が彼の中で渦巻いていた。


 降参だ。


「分かったよ。俺だって……出来る限り頑張るよ」


 素人1人加えたところで大勢に影響があるとは思えないが、エイダンの考えは違うみたいだった。

 新の決意を聞いた彼の顔は花が咲いたように明るくなったのだ。


「そうか! ありがとう! ほんっとうにありがとう!」


「いいんだ、貸し借りは無しにしよう。でもさ……」


「なんだ?」


「リーゼとかいう奴、あいつはマジでムカつく」


 少し距離が縮まった分、彼の嫌なところも見えるようになる。


「助けてくれたことには感謝してるけど、こんなことに巻き込んでさ。何よりデケー態度。俺はああいう偉そうなやつが一番嫌いなんだ」


 新の脳内には有無を言わせず訓練を強制し、戦うことを強いる性格の悪い女の顔が張り付いていた。

 しかし、エイダンは違うことにはノーとはっきり言える男の子。


「まあそう言うなよ。それにリーゼ様だってお前を一般人として扱っているからこそのあの対応なんじゃないのか?」


「いや、エイダンも部屋の外で話聞いてたろ? あいつ、確かに命の恩人だけどメッチャ態度でかいからな!? それに俺が一般人だろ、普通だろ」


 僕は普通の人なんです、どこもおかしくはないんですと主張する異世界人を見て、エイダンは小さくため息をついた。

 少し哀れなものを見るような眼で、諭すように話し始める。


「はぁ。アラタ、お前は少しバカだ」


「バカって言うな」


「いーやお前はバカだ。まず訂正するけど、お前は一般人ではない。アラタの世界で異世界から来た人間らしき何かは一般人か?」


「……違うな」


「じゃあ異世界人に今まで会ったことはあるか?」


「……ないな」


 彼の問いに対する回答で、ようやく自分の立場を擦り合わせて理解し始めたアラタは、段々と元気がなくなっていく。

 自分が少しおかしいのだと、今更ながら気付いたみたいだ。


「向こうに異世界人がいるかは知らないけどな、それほど貴重な存在なんだよ。異世界人ってのは、国同士のパワーバランスを崩壊させるほどの力や技術、知識を持っている時がある。そんな人間を放っておくわけないだろ」


 必要なことを全て言われてようやく渋々、何となく、そんな様子で頷く彼は本当に自らの境遇を理解しているのだろうか。


「まあ確かに? そんな気はしてた」


 この曖昧な表現が、事実を認識しつつもそれを認めるのが少し癪に障るという彼の想いをこれでもかと表していた。

 彼は意外と感情が表に出やすい人間のようだ。


「リーゼ様達は、そんな怪しいお前を介抱した上で囲い込む訳でもなく、拘束するわけでもなく、ただ生き残らせるために訓練を受けさせるように俺に頼んだわけよ。あとは分かるだろ?」


 カッとしやすく、冷めやすい。

 それが彼の性格の一部分。

 新は彼女たちと、エイダンとも初対面で、そもそも彼らが自分と同じ人間なのかすら分からなくて、それで目まぐるしく状況が変われば許容量を超えることだってある。

 切羽詰まりすぎて少し余裕がなくなっていたなと反省した所で、新はそれでも不服な点を本人ではなくエイダンにぶつけた。


「それは分かったけどさ。じゃあなんであんな言い方したんだよ。普通に頼むだけでよかったくね?」


「それは勿論お前が頭悪そうに見えたからだろ。そこに憤るのは図星だからだ」


「おい! あまり人を馬鹿扱いしてるとな、追い抜かれた時あれだ……悲しくなるんだぞ!」


「あはは、アラタの語彙力の無さが悲しいな」


 ぐうの音も出ない。

 日本で新の頭が残念な部類に入るのは事実で、それは本人もよく理解していたから。


「でもさでもさ、リーゼ様って呼ぶけどそんなに偉いの?」


「あ、あぁ。俺は農民だから。あの2人は俺たちの村を守りに来てくれている冒険者様だ、当たり前だろ?」


「うーん、そうかなぁ? そうかも?」


 彼にとって人を様付けで呼ぶ機会など生まれて一度もない。

 どこかむず痒い気持ちになったが、これが異世界というやつなのか、そう言うことにしておこうと納得することにした。

 確かに考えてみれば人間より宇宙人みたいな扱いの方が普通なのかもしれない。

 それを2人や村の人は快く? かどうかは討つ側しいが現状受け入れてくれている。

 新はエイダンの言葉を信じることにした。

 2人はいい人だと。

 2人の人間性に対して懐疑的だった時の新も完全に外しているという訳ではない。

 リーゼ、ノエルの彼に対する対応が、純度100%の善意で出来ているかと問われたらそれは違うと断言できるから。

 そんな2人に加担しているエイダンの言葉を鵜呑みにしている時点で、新はリーゼの思惑にある程度嵌っているのだ。

 だが、


 まあいっか! 良い人たちで良かった!


 アラタがそんな深いところまで考えるはずもなかった。

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