相田早苗 2

 カチャリと空いた扉から顔を出したのは、小柄な女性だった。

 柔らかそうな髪は肩まで伸びている。面会ということで慌てて、眉とルージュだけ引いたのだろう。

 ナンバーワンホステスという話だが、服はゆったりとした部屋着で、着飾った様子は全くない。

 ひょっとしたら寝起きなのかもしれない。

 ほぼすっぴんにもかかわらず、美しい顔立ちをしている。年齢は二十九歳だ。

「お忙しいところすみません」

 健司はできるだけ丁寧に頭を下げた。

 ここで機嫌を損ねられては困る。あくまで任意で令状はないのだから。

「私、保とは、もうずっと会っていないわ。当然でしょ。今さら何を聞きたいの?」

 神崎の脱獄を知らないのか、それとも知っていてとぼけているのか、判断が難しい。

 脱獄を知らないのであれば、この態度は正しい。神崎は服役中で、しかも一般人とは別扱いで、面会も禁止なのだ。唯一の接見は弁護士とのみ。

 人権という面では、一般の囚人よりかなり問題がある。だが、神崎は『退魔課』の中でも飛びぬけた能力者であって、その言葉は立派な凶器になってしまう。彼の力を封じるために処置はされていたが、ほんの少しの隙に彼が脱獄したことからみても、それでもけっして十分ではなかったということだろう。

「お手紙のやりとりをしていたそうですね」

 人権的に問題はあるだろうが、神崎への手紙は検閲が入っている。霊符一枚で神崎を閉じ込めた結界は破られる可能性があるのだ。

 二人の間の手紙のやりとりはコピーされ記録に残っている。差し入れられた本もいくつかあった。

 本はほとんどが歴史小説だったが、日本書紀や古事記、風土記などもあったとのことだ。

「ええ。そりゃあね。一応恋人だったもの」

 彼女とのやりとりは、濃密な愛の言葉ではなく、淡々とした挨拶のようなものだったらしい。

?」

「だって彼のせいで失礼なことも随分と聞かれたわ。手紙はくれるけれど愛の言葉なんてありはしない。そんなそっけない手紙が二年もよ? のぼせてたのは私だけだったみたい」

 悲し気に目を伏せる。自分は利用されたのだ、遊ばれたのだと言いたいのかもしれない。

「今さらの質問ですが、神崎とはどのようなところで?」

「スナックのあるビルのエレベーターで事故が起きて、そちらのかたと一緒に調べに来たのがきっかけです」

 ずっと健司だけを見ていたかのようで、しっかり後ろの美紀の姿も見えていたらしい。

「そのビルのエレベーターで足を引っ張られて転倒する事故が多発したの。私もやられたわ。黒い影が足をつかんではなさいなんて、なかなか誰も信じてくれなかったけれど」

 健司の視線を感じたのだろう。美紀は静かに頷いた。

「彼曰く、私は憑かれやすいんですって。彼と会って、付き合うようになってから身体が嘘のように楽になったわ」

「なるほど」

「親切にされて、優しくされれば好きになるじゃない?」

「まあ、そうでしょうね。彼は二枚目ですし」

「刑事さんも素敵だけどね」

 にこりと相田が笑う。実に魅力的な笑みだ、と健司は思った。

 しかし目の前の相田みたいなタイプの女性は神崎の好みとは違うように思える。化粧っけのない女性より、色香のある女性を好んでいた。むろん、彼女が化粧をしていないのは、単純にまだ仕事の時間ではないだけだろう。だが、しなを作ったりする様子は全くない。金にならない相手だからというのもあろうが。

──なるほど。美紀の言うとおり、相手に合わせているのかもしれない。

 健司のタイプというより、警察官を相手にするときは、このほうが好印象なのは計算済みということなのだろう。

「神崎の弁護人はあなたが選んだそうですね」

 健司は話を切り替える。

「はい。私の仕事のお得意さまのかたです。だって、私は保の恋人だから」

 弁護士の名前は、沢口倫太郎さわぐちりんたろう。年齢は四十歳。やり手ではあるが、少し悪い噂もある男だ。

 沢口との接見の隙に神崎は逃げた。沢口も負傷をしたとの報告がある。

「最近は、弁護士のかたとお話はされていらっしゃいますか?」

「そういえば最近お見えにならないわ」

 どうやら報告などは、店に客として訪れた時に行っていたらしい。

 個人的に電話などはやり取りしないのかと健司が問うと、沢口という男は相田に気があるそぶりをするため、避けているそうだ。

 裏を取るために、携帯の電話番号の履歴やSNSについて調べたいところだが残念ながら、令状はない。

 沢口と連絡を取り合っていれば、当然、神崎が脱走したことは知っているだろう。

 いや、他のことはともかく、今回は連絡するはずだ。沢口は騒ぎで軽傷を負ったようだが、電話を入れることは出来るだろう。もししていないとすれば職務怠慢だ。

「沢口弁護士と、神崎は、昔からの知り合いですか?」

「ええっと。会ったことはあるはずよ。お店で」

 相田は慎重に答える。

 どう答えたら正解なのかを探っているかのようだ。

「神崎はよくお店に行っていたのですか?」

「ええ、まあ。付き合う前は頻繁にね」

「その時は、常にあなたと二人きりで?」

「二人の時が多かったけれど、他の女の子が入ることもあったわ。保の占いが当たるって評判で、他のお客を占ったりもしていたし」

「占いねえ」

 健司は苦笑する。神崎がスナックで占いをしていたというのは資料にもあった。

 ただ神崎は先見の能力は保有していなかったはずで、占いはあくまでも趣味の範囲だろう。

 占いをするとなれば、ある程度人と話すから、そうやって広げた人脈も持っているのかもしれない。

 ただ服役中に神崎が手紙をやりとりしていたのは、相田以外にいない。そして実際に会っていたのは沢口一人だけだ。

「あの」

 遠慮がちに美紀が口をはさむ。

 聞き込み中だ。間に入ってくるなんて、めったにないことだ。何か考えがあるのだろうと、健司は頷いた。

「前に、魔除けの符をお渡ししましたよね? 前の符はかなり古くなってしまったので、よければ新しい符を受け取ってほしいのですが」

「でも」

「お金はいりません。私の符の後にも神崎が作ったかもしれませんが、それにしたって、二年は立っているはず。古い符は、変じて、悪しきものを呼びかねません。何でしたら古いものは回収いたします」

「わかりました。少しお待ちください」

 相田は納得したらしい。部屋の中に引っ込んでいった。

 美紀はカバンの中から、まっさらな紙をとりだし、さらさらと符をかいた。そしてそれを額に当て、念を込める。

 ちょうどそれが終わる頃に、相田が戻ってきた。

 黄ばんだ古い符と新しい符を交換すると、美紀は古い符をカバンの中にしまう。

「それでは、何かあったらこちらにご連絡下さいね」

「どうも」

 連絡先を渡しても相田はあまり興味なさそうだった。警察官の連絡先など欲しくないのだろう。

 美紀ではなく、健司が渡したのであれば態度が違うのかもしれないけれど。

「相田さん」

 健司は扉を閉めようとする相田を呼び止めた。

「もし、必ず通報してくださいね。そうしないとあなた、つかまりますから」

 ニコリと健司が笑みを浮かべると、相田の目が一瞬鋭く光ったかのように見えた。

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