地下鉄

 熱田神宮の主神は熱田大神あつたおおかみあめの叢雲剣むらくものつるぎのことである。別名、草薙剣だ。ちなみに天皇家はここ熱田の宮にある本尊より神の気を移した形代剣を有している。

 形代といえでも天叢雲剣の神気はすざましいらしい。

 健司はどちらの剣も実物を見たことはないが、それが人智を越えた『力』の塊だということは容易に想像できる。

 都会のど真ん中にありながら、この宮は静謐で神の気に満ちているのだから。

 神社を一歩外に出ると、灼熱のうだるような太陽を感じた。

「暑いですね」

 美紀はハンカチで額を抑える。白い肌に汗の玉が浮かぶ。健司はつい胸の谷間に流れ落ちていくしずくを目で追ってしまい、慌てて顔をそむけた。

 霊能者といえど暑さはどうにもならないが、理性を飛ばしていいものではない。

「ああ」

 健司はごまかすように空を見上げた。

 夏の濃い青に真っ白な質感のある雲。

「全く、きしめん食うくらい許して欲しかったな」

「そうですね」

 くすりと、美紀が微笑む。

 神宮内にあるきしめん屋のきしめんは健司の好物だ。カツオブシがたっぷりのったきしめんは、シンプルだがうまい。讃岐系のうどんはコシが命だが、きしめんの良さはのど越しの良さである。

 このあたりの出身ではあるが、普段は東京に住んでいる健司にとって、きしめんはふるさとの味だ。

 食べるのに三十分とかからぬであろうに、健司たちは早々に追い出されたのだ。

「各務のおっさん、相変わらず人使いが荒い。そこまで急かすなって感じだよな」

「それだけ、草野さんを信頼しているからですよ」

「どうだか」

 健司は肩をすくめ、地下鉄への階段を下りていく。

 神崎の女である相田早苗あいださなえは、名古屋の繁華街にあるスナックで働いている。

 年齢は二十八歳。かつては大手の会社に勤めていたらしい。霊能力については多少あるらしいけれど、特に特筆すべき能力というわけではない。抜群のプロポ―ションを持ち、話術に長けており、スナック「かがやき」のナンバーワンだという。

 神崎が服役してからも関係が続いているかどうかは謎だ。

「とにかくとてつもなく美人です」

 美紀は神崎を介して彼女と会ったことがある。そのせいか心配そうに健司の顔を見た。まるで、健司が籠絡されるのではないかと思っているかのようだ。

 美紀の気持ちもわからなくはない。

 神崎は彼女に会ったあたりからおかしくなっていったという話だ。

「写真は見た。確かに美人だな」

「顔立ちが綺麗なのはもちろんですけれど、なんというか雰囲気とか話し方とか、相手に合わせて自在に変えるのです。女としての色香も半端じゃなくて」

「まあ、ナンバーワンホステスならそういうこともあるだろうな」

 なんと言っても接客のプロだ。

 健司は首を振った。

「そういう相手は、本心をなかなかさらさない。嘘か本当かを見極めるのも難しい」

「はい。神崎があんなことになった後、彼女はずいぶん取り調べを受けたらしいのですが、結局『白』と判断されました」

「まあ、特にあやしげな集団に入っているわけでも犯罪歴があるわけでもない。神崎自身も、彼女は無関係と証言しているらしいからな」

「……そうですね」

 ちょうど地下鉄が来たので、健司と美紀は話を打ち切った。

 すぐそばにいた男が何かをきっかけに変わったとしたら。その時、一番そばにいた女のせいだと思いたくなるのも無理はない。

 地下鉄の中は微妙な混み具合だったので、ふたりは入り口近くに並んで立った。

 健司はそっと盗み見るように美紀の顔を見る。その美しい横顔から、感情を読み取ることは出来ない。

──彼女は今回のことをどう思っているのだろう。

 今までずっと一人で行動していた健司と美紀がコンビを組んだのは、二年前。

 だが健司が美紀のことを知ったのは、神崎が事件を起こすずっと前だ。

 神崎と健司は一緒に仕事をすることも多かったから、当然、神崎の相棒である美紀とも仕事をした。

 そのころから、健司はひそかに彼女を思っている。決してその感情を表に出すことはないけれど。

 何も見えない暗い車窓に目を向ける。

──やっぱり、神崎に惚れているのかもな。

 神崎は誰が見ても二枚目で、しかも『天才』だった。

 あんな男を間近でずっと見ていた美紀が、霊能力しか取り柄のない健司に興味を持つわけがない。美紀は健司を嫌ってはいないだろう。だが、それは仕事の相手としてだ。

 組んで二年というのに敬語は崩れないし、どこかで線を引かれていると感じている。

──本当は、彼女を外した方がいいのかも。

 冷静に仕事の面で考えれば、神崎に何らかの感情を持っているかもしれない美紀を相棒にするのは、あまり賢い選択ではない。ただそれは各務をはじめとする上層部だって、知っていることだ。

──彼女の『能力』の代えはいないからか……。

 美紀は『符術師』。符を使う術者で、攻守どちらも行ける。いわばオールラウンダーだ。攻撃に特化している健司の相棒として、彼女ほどの相性のいい人間はまずいない。

──ま。いざとなったら、俺が刺されるだけか。

 もちろん、健司が神崎に負けてはいろいろと困るだろう。

 健司としても、死にたいわけではない。だが、美紀に刺されるのであれば、それはそれで本望な気もする。

──アホだな。

 健司の口元に自嘲めいた笑みが浮かぶ。

 女性とろくに付き合うこともなく三十歳をむかえた健司には、募る想いをどう処理したらいいのかわからない。

「いったい何を考えてるんだか」

 健司はぽつりと呟く。

 美紀は健司が何を言ったのか問たげな顔をする。が。健司は答えず、吊り広告を眺めるふりをした。


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