幕間 03


(飛べ、飛べ、もっと速く、もっと遠くに。)


 そう願うのに元々不得手であるアイリスの浮遊魔術は、今も効果が続いているのが不思議なほど不安定だった。

 二人で奴隷商人に拐われて、アイリスはただ一人逃げ出した。


 あの場ではそうするしかなかったとはいえ、インクを貯め込んだように真っ黒な海の上を飛びながらアイリスは心をズキズキと痛ませる。


 最初はなんて嫌な奴だろうと思ったのだ。

 女に目がなくて、手の早い最低な奴だと。

 でも本当は女の子で、ならばあの夜の誘いも自分の身を守るための演技だったのかしらなんて…展開だ考えた。

 話してみたら案外話せる相手で、産まれた境遇が違えど同じ魔術師だからか打ち解けることが出来たのだと密かに喜んでいた。


 ジョーの知る魔術はアイリスの独学で学んだものとは違ってきちんと体系化したもので、どこか専門の教育機関で学んだものなのだとすぐに分かった。

 さらにはオズの国に祖母がいるというのだから、それを羨ましく、妬んだこともあった。


 別れ際の頰へのキスは、夜風の冷たさですでに消えてしまった。

 それなのに血統魔術の効果だけはアイリスの魔術の効果を増し続けている。

 全身の血管を煮立ったように魔力が走り続けていた。




 わずかに船で見たときよりも大きくなった街の光が涙で滲む。


(街に着いたらまず、マサキとプリムラを探して……二人と一緒にジョーを助けに……)


 しかし、ようやくたどり着いた街並みは初めて見るものだった。


 石畳に足をついたとき、堪らずアイリスはその場に座り込んでしまう。

 魔術の長時間行使でアイリスの体は限界だった。



「おい、お嬢さん。こんなところで何をしてんだい? 一人で座り込むにはこの島はちっとばかし危険だぜ?」


 赤いコートを着た人物がアイリスを見下ろしていた。

 アイリスは力を振り絞って、そのコートを握る。



「た、助けて……友達が、奴隷商人に捕まっちゃって……お、お願いします……ッ!!」


 言葉を紡げば紡ぐほどアイリスの目から涙が溢れる。

 そうだ、友達だ。

 ジョーは友達だったのに、とアイリスは唇を噛んだ。


 逃げることしか出来なかった自分が恥ずかしく悔しい。


「フゥン……奴隷ねぇ……。まあいいや! その願い聞き届けてやらぁ! 任せな、お嬢さん」


 前半の小さな呟きはアイリスの耳には聞き取れなかった。

 赤いコートの人物がアイリスの目の前で同じように座り込み、アイリスの肩を叩いた。

 ようやく見えたその人物の全貌にアイリスはまた絶望を深めるしかなかった。


 黒い三角帽子に、同じ色の眼帯。白いまつ毛に真っ青な目。

 あどけなさを残す相貌ながら、その正体がどんなものかをアイリスは知っていた。

 育った街で度々、手配書が配られていた犯罪者だ。


「海賊ディヴィス・コックス……!!」

「おっと知ってたか。俺も有名になったもんだねぇ」


 しみじみといいながらディヴィスは立ち上がり、海の方へと歩き出す。

 その背中にアイリスは朦朧としながら手を伸ばす。



「待って、やめて、アタシの友達に何もしないで……」

「ハン、安心しなよ。悪いこたぁ何もねえ、そこで寝てなお嬢さん」


 帽子を被り直して、ディヴィスがニヤリと笑いながらアイリスを振り返る。

 真っ青な目が闇の中で妖しく光り、アイリスの意識を刈り取った。







「アイリス! アイリス! 大丈夫か!?」


 目が覚めると、すぐ目の前にマサキの顔が。

 そこは見覚えのあるエル・デルスター王国の港だった。

 マサキの隣でプリムラが眉を下げてアイリスを見つめている。


「アイリス、ジョーさんは……」

「ジョー! マサキ! 急いで! 早くアイツのことを助けに行かなきゃ!!」

「落ち着いて、アイリス。まずは何があったのか、を教えてくれ」


 パニックを起こしかけていたアイリスは落ち着いたマサキの様子に僅かに冷静さを取り戻す。

 初めから順にアイリスとジョーに起きたことを、宿で拐われてジョーに助けてもらったことをアイリスは二人に話した。



「……何か怪しいと思ったら、奴隷商人だったのか……」

「ですが海の上ということですし、今からジョーさんを追って間に合うかしら……」

「ビラーディの者だって言っていたわ、もしかしたらビラーディにいるかも……ビラーディなら陸路でも行けたはずよ!」

「けれど本当にいるかもわかりませんし……」



 あまりに想像しなかった緊急事態にどう動いたらいいのか、三人とも分からなくなっていた。

 アイリスはアイリスでとにかくジョーを助けなければという気持ちばかりが積もっていくのだ。


「失礼、君らの話がたまたま聞こえてしまったのだが、奴隷商人の被害にあったのか?」

「……えっ、と……どちら様で?」


 声をかけてきたのは、赤毛の短髪に黒い鎧を着込んだ中年の男性だった。

 鎧には帝国の紋章が刻まれている。


「俺はルーカス・ドラモンド。ゼノ帝国で騎士をしている者だ。今の話を聞かせて欲しい」



「奴隷の売買は大陸では恥ずべき大罪だからな」とニッと歯を見せて笑うドラモンドという騎士の姿に帝国は奴隷制を禁止しているとジョーが言っていたことをマサキは思い出した。


「船か。こちらもすぐに手配しよう」

「あ、の……ドラモンドさん、ここはエル・デルスター王国ですよね。ゼノ帝国の騎士がどうしてこの国にいるんですか?」

「とある方を追っている。つい先日に帝国から姿を消した貴族のご息女だ。

 数日かかったが、皇帝陛下の勅令もあって今や大陸全土に帝国の騎士が彷徨いている。……ふん、その奴隷商人は運が悪いな。このタイミングで人攫いとは」


 アイリスから奴隷商人にと、残してきてしまったジョーの話を聞いてドラモンドはすでに勝ち誇ったように笑っていた。

 大陸全土……なんて規模での捜索なのか。皇帝の勅令が出るほどならば、よほど身分の高い人なのだろう、と察してあまりあった。

 アイリスは目を丸くして、ふと思うところがありドラモンドは問いかける。



「その、探している人の姿は見れる?」

「これだ」


 ドラモンドが懐から差し出した手のひらサイズの小さな絵にアイリスを始め、マサキもプリムラも言葉をなくした。


 腰までの空色の髪に淡い灰色の瞳。口元と目元に特徴的なホクロがあって、装飾は少ないながらも可憐なドレスに身を包んでいる。

 しかし表情は硬く神経質そうに唇を噤んでいる少女の絵だった。

 髪の長さや纏う雰囲気が違えど、その姿を三人は知っていた。



「ジョーだ!!」

「知っているのか!?」

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