第20話 束の間の自由

 ゆらゆらと地面が揺れていた。

 まるでハンモックに揺られているようで心地がいい。

 どこからか波の音と潮の匂いまでしてくる気がして、意識が一気に覚醒した。


 飛び起きようと身動ぎをして、両手足を鎖で繋がれていることに気がつく。

 ズキズキとこめかみが痛んだ。


「っ……ここは……」


 そこは薄暗い一室だった。

 すぐ傍らにはアイリスが同じように両手足を黒い鎖で繋がれてしまっている。

 ……少しずつ意識を失う直前の記憶が蘇ってきた。


 私とアイリスは宿を襲った奴隷商人ガイウスに捕まってしまったのだ。


「アイリス、アイリス。目を覚まして」

「んん……何よぅ。まだ起きるには早いでしょぉ……」

「アイリス。寝ぼけている場合じゃないよ、どうやら私たちは奴隷商人に捕まってるんだから」

「ッ!!」


 アイリスが一気に目を見開いて目を覚ました。

 同じように身動ぎをしようとして、鎖に阻まれている。

 暗く狭い一室にガシャガシャと嫌な音が響いた。


「ど、どうしよっ!? アタシたちどうなっちゃうのッ!?」


 アイリスの紫の瞳が涙で揺れる。

 気持ちは分からないでもないけれど、完全にパニックになってしまっているアイリスへ頭突きを食らわす。

 がつん!

 私も額に適度な衝撃があった。


「何すんのよ! バカ!」

「アイリス。し、だよ。まずは落ち着いて深呼吸でもしてごらん」


 下手に騒げば誰かが来るかもしれない、とアイリスに囁く。

 唇を尖らせ、不満そうに私を睨みながらもアイリスは言った通りに深呼吸をしてくれた。


「落ち着いたけど、どうする気よ。この船……もう出航しちゃってるみたいよ……?」


 部屋に唯一あった丸窓から外を覗けば、そこには一面の黒い海。

 拉致からどれほど時間が経ったのか、すでに日は沈んでしまっている。

 しかしよくよく目を凝らせば黒い海の向こうに光の粒が微かに見えた。

 まだ街の光を目視できる程度の距離しか離れていないのだ。


「アイリスは浮遊魔術は使える?」

「一応、使えはするけど……わかってるでしょ? アンタほどしっかりとは浮かべないのよ。……それに、この鎖。魔封じが付与されてるみたいだし……ッ、アタシたち……もう」


 ジャラリと確認のために持ち上げられた手首をつなぐ鎖が鳴った。

 アイリスは声もなく肩を震わせ始める。

 魔封じ。

 懐かしい響きだ。


 魔術を使おうと試みるも、鎖に嵌め込まれた封じの魔晶石によって全て弾かれてしまう。

 ああ、ほんとうに。懐かしくて懐かしくて私も涙が出そうだ。


「貴女はまず、この鎖を壊しなさい。攻撃魔術ならばなんでもいいのよ」

「な、何言ってんのよ。これは魔封じなんだって……」

「いいから、わたくしを信じて? 貴女はとても優れた魔術師ですもの、貴女なら出来るはずですよ」

「な、なによ、その貴族みたいな喋り方は。調子狂うわね……もう、何が起きても知らないんだからね」


 アイリスの魔力が心臓から腕へと流れていく。私もまた意識を集中させて、血統魔術を行使する。


『増幅』


 すなわち私の周囲で行われるあらゆる魔術は効果を増すのだ。


 ぱきり、とアイリスの腕を繋いでいた鎖が綺麗に割れる。


「わっ! やったわ!」

「お見事。さあ、同じように次は足の鎖を──出来るわね?」

「もちろんよ!」


 足の鎖も割って、それまでと一転してアイリスが顔を綻ばせる。

 そして私を振り返り、


「ほら、アンタも! 早く」


 私を縛る鎖に手を伸ばす。

 いい子なんだな、と苦笑して首を横に振った。


「私は無理なの。……そういう血統魔術でね、触れている魔術は良くも悪くも効果を増しちゃうから」

「な、なんでよ……やだ、ホントに何もならない……アタシのは出来たのに……!」


 私の血統魔術は近ければ近いだけ強く作用してしまうのだ。

 だからこそ私はかつて逃げることも叶わずにただ処刑を待っていた。

 皮膚に直接触れる魔封じは、私と相性が最悪なのだった。


「だからアイリス。ここから逃げて、助けを呼んできて欲しいんだ。お前だけならともかく、私はここから自力で逃げられないから、ね? 頼める?」

「でも、アタシ……浮遊魔術が……」


 泣きそうに顔を歪めていたアイリスは自信がなさそうに言う。

 これまで一度も使っていなかったのだから、よほど自分の浮遊魔術に自信がないのだろう。


「絶対に大丈夫。貴女が陸まで飛んでいけるように、わたくしが手助けをします。貴女は優秀な魔術師です、貴女なら必ず出来ます。違って?」

「……そんなの、当たり前でしょ! アタシは優秀なんだから! 陸までだって、どこまでだって飛んでやるわよ!」


 ついつい皇后モードで励ましていた。

 見慣れない私の様子にも、戸惑ったふうもなくアイリスは持ち直してくれた。

 胸を張って宣言したアイリスに私も心強くなる。


 丸い窓を外して、アイリスが体を通り抜けさせる。

 どこかで読んだ内容だけど、船の窓は全て人がギリギリ通り抜けられるサイズになっているらしい。

 大の男でもそうならば、まだまだ少女であるアイリスには余裕の大きさだった。


 ふわふわと、不安定そうに浮かぶアイリスへ渾身の『増幅』を行う。

 距離が近ければ近いほど、効果は強まる。触れられるのなら尚良しということで、アイリスの頰にキスをした。


「ッ、」

「アイリス。わたくしを助けられるのは貴女だけ、だからどうかお願いします」

「任せなさい! 絶対に、絶対に! 助けを呼んでくるわ!」


 そうして遠ざかるアイリスの背中を見送った。


 途端に気が緩み、足の力が抜けてしまう。その場に座り込めば魔力欠乏の不調が次々と襲ってくる。

 頭痛に吐き気に悪寒。

 それらに耐えながら体を丸める。


『増幅』なんてチートのような血統魔術を持っていても、すぐに魔力欠乏を起こしてしまう。

 私の持っている魔力は貴族の娘にしては、むしろ少ない方だった。

 魔力を使い過ぎれば体が蝕まれる。

 だからこそ魔力の多さは王族や貴族にとって死活問題で、家柄以外に何の取り柄もない私が皇太子の婚約者や、皇后までなれたのはひとえにお祖母様から受け継いだ血統魔術が希少なものだったからに他ならない。


 鎖に繋がれていると、どうしてもあのまだ起きてもいない私の未来を思い出してしまう。

 本来あそこで私はなす術なく処刑されて、今いるここはボーナスステージみたいなものだ。

 束の間であれど、誰でもないジョーとして自由に振る舞うのは本当に、本当に楽しかった。

 それを与えてくれたのは、なんだかんだカツラギとプリムラと、アイリスだった。


 きっと1人で居続けていたら、私は今ほどの満足を得られなかったと思う。

 あの3人がいたから、私はただのジョーになれたのだ。

 だからそんな日々を与えてくれたアイリスたちには自由に生きて欲しいと感じた。

 鎖に繋がれた手をどうにか動かして指を組む。



 ──だから神様、どうかアイリスだけは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る