どこか冷めていてけれど燻っているアラサー女子の語りの温度

大学を出て5年。愛器のギター、ジャガーをクローゼットに仕舞いこんで、コールセンターで働くあたしは、30代を前にして、このままじゃダメだと判りつつも変えられない息苦しさを抱えていた。
そんなある日、行きつけのバーで友人の絵里に不意に知らされる。かつてのバンド仲間ゲバラがライブハウスのステージに立つことを。
そして、追い打ちをかけるように、職場のマネージャー八木さんから社員登用へと繋がる話を持ちかけられる。
過去への未練とも言えぬ未練と、現実的な未来と。
モヤモヤとしたままあたしは、学生自宅に入り浸っていたライブハウスへと足を運ぶ。
アルコールで頭を痺れさせたくなるような、煙草の煙で霞ませたくなるような鬱屈を、ファズの轟音は吹き飛ばしてくれた。
そして、ゲバラからバンドに誘われる。
けれど、あたしはそれに応えられない。

この「けれど」の部分の説得力たるや。
そして、それは大仰にならなら/なれない一人称の語りにしっかりと血の通っていたからこそだ。語り手のキャラクターが個人として立ち上がっていたからそれが自然に感じられる。
語りが物語を規定するのか、物語が語りを規定するのかはわからないけれども、それが不可分であると思わせてくれるほどにそれらはマッチしていた。

答えはほとんど最初に示されていて、そのあとの展開は大筋として読者の予想を大きく裏切りはしない。
それでも、読者の心に響くのは、他でもない「あたし」の物語となっているから。だからこそその温度に共感できる。

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