第一一回



 翌日、葛飾北斎が再び山青堂を訪れた。


「おい、行くぞ」


 彼は達郎に顎で指示してさっさと歩き出す。達郎は慌ててその後を追った。三歩下がって師の影を踏まず、絶妙な距離を保って北斎に続いて歩いていく。


「どちらに行くんですか?」


「いいから黙ってついてきな」


 北斎がそう言うのでそれ以上は何も訊かなかった。方角としては西北であり、達郎はその道に見覚えがあった。以前そこまでは一往復半したことがあり、忘れようと思っても忘れられるものではない。


「まさか……」


 達郎の予想は当たっていた。土手沿いの道を歩き、到着するは無数の提灯が吊り下がる大きな門前。不夜城の歓楽街、新吉原だ。

 この町に良い印象を持てない達郎だが伊勢屋の番頭はとっくに死んでいるという話だし、今さら表太郎の件で悶着が起こることもないだろう。意を決した達郎は北斎に続いて門の中に、吉原の中へと足を踏み入れた。


「へー、ほー」


 おのぼりさんよろしく、達郎は物珍しげに町中を見回している。さらには、


「ここが吉原大門ってことは、この辺がガソリンスタンド?」


 タイムスリップ前に訪れた吉原と、今の目の前の光景を重ね合わせようとする。が、それはあまりに遠く、すぐに不可能となった。達郎はそれを諦め、純粋に「今」の吉原の光景を楽しむこととする。ここは初めてではないがそのときはまともに周囲を観察できる状態ではなく、気分的には初めてのようなものだった。ただ、


「なんか寂れているような気が……」


「気のせいじゃねえぜ。吉原風邪で痛手を被った上に、江戸の町も不景気だったからな」


 いつもの春なら色事目当ての客だけでなく観光客が大勢押し寄せ、さらに観光客相手の店も活況を呈していたのだが、今はそのどちらも寒々しい限りである。達郎は以前にニュースで見た、「新型コロナウィルスのために観光客が途絶えた観光地」の映像を思い出した。

 そうして田舎者丸出しで歩いて、やってきたのは周囲と比較してもかなり大きな妓楼の一つ。看板に掲げられた名は「和泉屋」だ。北斎が当たり前のように中へと入っていこうとし、達郎は慌てた。


「ちょっ、ちょっと待ってください。俺、金なんて持ってない――」


「ここで遊ぼうってんじゃねえよ。仕事の話だ」


 それなら、達郎は北斎に続く。二人の姿はその店の中へと消えていった。

 そして今、達郎と北斎はその妓楼の二階、客間の一つにいる。なお、江戸時代には座卓は一般的な存在ではなく、今この場にもない。湯呑で出されたお茶は(受け皿はあるが)畳の上に直置きだ。北斎はだらしなく姿勢を崩して出された茶を飲み、達郎は正座をして背筋を伸ばすが落ち着かない様子だった。そこに音もなく障子が開き、


「ようこそおいでくださいました」


 そう言って深々と頭を下げて室内に入ってきたのは二人の女性だ。一人は五〇過ぎの初老の女性で、それに続くもう一人は一四、五歳の女性。華やかな着物を着て、何本ものかんざしで髪を飾るその姿はまさに絵に描いたような花魁のそれである。その顔立ちも、まだ幼さは残っているが整っていて非常に美しく、TVに出てくるアイドル並だ。達郎はその少女にぼけっと見とれたようになり、彼女はちょっと不快そうに扇子で顔を隠した。


「こっちは和泉屋平左衛門さんのご内儀。そっちは引込新造のおたきちゃんだ」


 北斎の紹介に二人はまた深々と頭を下げる。


「外神田の地本問屋、山青堂山崎屋平八です。裏太郎とお呼びください」


 その自己紹介に「そんな名前だったのか」と北斎が笑い、達郎はちょっと困った顔をした。

 初老の女性はこの妓楼の店主の奥さんで、共同経営者。そして「引込新造」のおたきは、この妓楼の将来のエースとして、あるいは幹部候補生として嘱望され、今は英才教育を受けているところ……のはずである。


「この方の絵を描くんですか?」


 まあな、と頷く北斎。一方のおたきは無表情のままだがかなり不満そうな気配を漂わせている。


「おたきは実の娘のように育ててきました。本当ならもう何年かは引込のままのはずだったのですがそうも言っていられなくなり、近いうちに水揚げをさせます。親としてはできるだけのことをして祝ってやりたい。いつもなら華々しく錦絵を刷って売り出すところなのですが……」


「吉原風邪ですか」


 その確認に内儀が頷いた。

 「水揚げ」とは遊女が初めて客を取ることである。和泉屋の遊女の中にも吉原風邪の犠牲者が多数出ており、予定を大幅に繰り上げておたきにも客を取らせなければならなくなったのだろう。また、大店のお大尽をスポンサーとして、妓楼や遊女を宣伝する目的で刊行される錦絵を「入銀物」と呼ぶが、二一世紀まで残っている吉原の遊女を描いた錦絵の中にもこの入銀物が多数含まれている。吉原風邪のせいでこのスポンサーが集まらないのは、容易に想像できることだった。


「英泉先生にこの潤筆料でお願いするのは心苦しく、若くて無名でも腕の立つ絵師がおられればその方にお願いしたいと思いまして」


「うちの門下にそういう奴がいないかと英泉に訊かれて、適当な奴を見繕っていたところにおめえがひょっこり現れてな」


 おめえ描いてみろよ、と北斎は面白そうに言う。達郎は「なるほど」と得心した。なお「英泉先生」とは渓斎英泉のことに違いなかった。彼は北斎門下ではないが北斎に私淑し、そのつながりは深い。また、渓斎英泉は八犬伝の第五輯から(ちょうど今書かれている分だ)挿絵に加わっており、達郎とも無関係ではなかった。


「他ならぬあの葛飾北斎先生のご指名です、俺でよければ描きましょう――ただし」


 と達郎は立てた人差し指を和泉屋の二人に示した。


「うちは本屋です。その錦絵を山青堂から刊行することが条件です。諸費用は負担してもらいますが、潤筆料は要りません」


 ありがとうございます、という一言に内儀は安堵と感謝を込めた。が、おたきの方は無言のままだ。ほら、と内儀に肘で突かれ、


「……まともな絵が描けるんですか?」


 ようやく発せられたのは深い疑念だった。内儀は慌てるがおたきは憤懣をぶつけるように、


「素人の手遊てすさびみたいな錦絵を出すなんて、そちらの方がよほど惨めじゃないですか」


「ご懸念はごもっともです」


 達郎は怒りもせずに「うんうん」と頷き、おたきは拍子抜けしたような顔となった。


「明日には絵を持ってきます。それが気に食わなければこの話はなかったことにしてもらって結構です」


「明日ですか?」


 その驚きの問いに達郎は「明日には」と強く頷いた。


「細かい着物の柄とかはともかく、それ以外は一晩あれば充分です」


 満腔の自信を示す達郎に対し、おたきの疑念はかえって深まったかのような顔である。が、そこに浮かんでいるのは不満や不審だけではなかった。


「さあ、面白くなってきやがったな」


 とはしゃぐ北斎は、まるで見世物見物をしているかのようだ。

 約束通り明日までに絵を仕上げるため、達郎は話が終わるとすぐに和泉屋を出て帰路に就いた。そして山青堂に戻って左近の部屋にお邪魔し、一気呵成に描き上げる。


「よし、なかなか良い感じ」


 とその出来栄えに満足する。作業時間は正味一時間足らず、夕食前には全ての作業が終わってしまっていた。

 そして翌日。


「へえ、ここが吉原ですか」


「来たことなかったんですか?」


「来ることなんてありませんよ、こんなところ」


 その日の昼過ぎ、達郎は再び吉原を訪れていた。今回の同行者は北斎ではなくお内である。お内もまた吉原にいい思い出がないが、それでも物珍しそうに周囲を見回している。


「よお、裏太郎」


 そこに姿を現したのは北斎だ。達郎は姿勢を正して挨拶をした。


「先生もいらっしゃったんですね」


「まあ、こいつが変な絵を描いたなら俺が責任を取らんといかんしな。それに」


 と北斎はにやりと笑った。


「こいつがどんな絵を描いてきたのか、楽しみでしょうがなかった」


 物見遊山気分の北斎に対して達郎は「恐縮です」と言う。恐縮など欠片もしていなかったが。

 そして達郎達三人は和泉屋を訪問、二階の客間へと通される。内儀とおたきもそこに現れ、メンバーは昨日の四人と追加のお内。これで勢ぞろいだ。


「こちらは妹のお内です。刊行が決まれば商売の話となりますが、そちらは俺は不得手なもので」


「妹任せかよ」


 北斎の突っ込みに「はい」と素で返答する達郎。商人でありながら「商売の話は不得手」と堂々と言い放ち、悪びれもしない達郎におたきは目を丸くした。


「商売の話ができればいいんですけどね。ここまで来て無駄足になんてことに……」


 お内が嫌味っぽく言うが達郎には暖簾に腕押しだ。


「さあ、気に入ってくれるといいんだけど」


 韜晦はするが口先だけで、絶対の自信を持っていることが傍目にもよく判る。お内はこっそりとため息をついた。


「前置きはもういいだろう」


「そうですね。それじゃ見ていただきましょう」


 北斎に促されて達郎は風呂敷包みを解いて用意していた絵を取り出した。桐箱の中のそれを畳の上に広げ、一同が四方からそれを覗き込み、


「これは……」


 それが誰の口から漏れ出たものだったのかは判らない。誰の言葉でも不思議はなかった。北斎も、おたきも、お内も、ただ言葉をなくして呆然とするだけだ。

 描かれているのはおたきの大首絵。大首絵は役者や遊女の上半身をアップで描いたブロマイドとしての浮世絵だが、達郎の描いたそれはさらに人物に接写している。描かれているのは鎖骨より上、額より下の範囲だ。浮世絵の約束事なんか頭から無視した、現実のおたきそのままの輪郭と鼻筋。目は扇子で隠し、敢えて省略している。そして一番緻密なのは唇の描写だった。まるで口紅を塗って紙にキスしたかのようなそれが紅で描かれている。黒一色の線画の中で色が塗られているのはそこだけだった。

 その口元はわずかに吊り上がり、かすかに笑っている――悪戯っぽく、男を誘うように、男を惑わすように。まるで小悪魔のように――

 もし二一世紀の人間が達郎のその絵を見たなら、アンディ・ウォーホルのポップアートを連想したかもしれない。まさしくその絵はそこから着想を得たものである。木版画にすることを前提とし、少ない線と色で印象を与えるために、これ以上の手法は考えられないだろう。


「……てめえ」


 怒りにも似た衝動に駆られた北斎が鋭い眼光を達郎に向ける。が、彼は得意げな顔で笑っているだけだ。そのあまりの能天気さ加減に北斎は毒気を抜かれたようになった。


「しかしこれまた、とんでもねえ絵だな。なんだこりゃ」


「なんだと言われても、見たままを描いただけなんですけど」


 達郎の間抜けな答えに北斎は「違いない」と大笑いした。


「確かにまあ、見たままを描きゃあこうなるかもしれねえな。なんで俺達は人の顔をわざわざ不細工に描いて喜んでいたんだか」


 この時代の絵師が人物をわざわざ不細工に描いていたわけではない。ただ、北斎をはじめとする彼等は浮世絵の伝統と約束事から自由ではなかっただけである。それは二一世紀で漫画絵・萌え絵を描く者も同様だ。同じ文化を共有しているからそれらの絵を「可愛い」と思うのであって、そうでなければ「目が大きすぎて気持ち悪い」となるだろうし、実際そう感じる者は少なくはない。

 葛飾北斎、渓斎英泉、その他数多の絵師達は浮世絵の伝統と文化と約束事の枠の中で、人物の美しさを、格好良さを、勇壮さを追求してきたのだ。ただ達郎はその文化を未だ共有するに至らず、その枠の外の絵しか描けなかった。そしてそれに接した北斎もまた既存文化という枠の外へと、今飛び出したのである。


「……えーっとですね。俺は大人よりも子供を描く方が得意なんです」


 達郎はフォローになるのかならないのかよく判らないことを言う。二一世紀の絵柄、達郎の好きな「萌え絵」の特徴は「顔は丸く、目は大きく、鼻は小さく」――すなわちそれは未成熟な子供の容貌そのものだ。萌え絵とは女の子の中の未成熟な部分を誇張することで可愛らしさを描き出す手法と言えるだろう。そしてそれは「顔は面長に、目は小さく、鼻筋ははっきり通す」という浮世絵の絵柄のまさに対極の存在だった。


「おたきさんは顔立ちにまだ子供っぽさが残っていて、その分良い絵が描けました」


 はっきり言われたおたきはやや不満そうな顔するが何も言わなかった。北斎は今一度その絵を手に取り、


「うーん。どうせならちゃんと目も描いた絵も見たかったんだがな」


「今回はこういう絵が描きたかったんです。目を入れた絵はまた今度に」


 目を隠したのは最初に対面したときにそうしていたおたきの印象が強かったからであり、またこの方が彼女のコケティッシュなところをより表現できると思ったからだ。また、版画の作成に当たって彫師をはじめとした各方面の負担を少なくするという経営的判断もある。さらにまた、


「でもこんな……こんな絵、浮世絵じゃありません」


 とお内。新奇なものに対してまず否定から入るのは決して彼女だけではない。目を隠したこの絵ですらお内の反応がこうなのだから、目をはっきり描いた場合の拒絶反応がどんなものとなるか想像も及ばない。目を隠したこの絵は、言わば観測気球だった。まずはこの絵で世間の反応をうかがい、目を描いた絵を出すのはその後だった。


「妹さん、そこはどうでもいいんじゃないんですか?」


 そう笑いかける達郎にお内が首を傾げる。達郎は立てた人差し指を示し、続けた。


「大事なのは、売れるかどうか――違いますか?」


 その一言が脳裏に浸透し、お内は「その通りです」と大きく頷く。


「この絵は売れます。儲かります。ええ、それ以上に大事なことなんか何もありません」


「妹さんが太鼓判を押すなら一安心です。あとは和泉屋さんがこれでよしとするかどうかですが」


「よしも何もないでしょう」


 とおたきは呆れたように言う。


「こんなお話、見逃すとお思いですか? 泥棒をしてでも入銀は用意します。この絵を刊行します」


「話は決まりですね」


 とお内は満面の笑みで和泉屋の内儀と向き合った。内儀はやや渋い顔でお内に応対する。二人が商売の話をする横で、おたきが達郎に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。それに、あなたを見くびって失礼なことを……どうかお許しを」


「お気になさらず」


 と軽く手を振る達郎に、おたきはむしろ不満そうだ。


「それではわたしの気が……いっそ、水揚げの客となってくださいますか?」


「ぃいえぇ?!」


 と素っ頓狂な声を出す達郎が一同の注目を集める。達郎は慌てて手を振り、


「いえ、あの、とんでもない。また今度の機会に」


「水揚げに『また今度』はねえだろうが」


 と北斎が笑い、おたきもまた口元を隠して笑う。それはまさに小悪魔そのものだった。

 ――それから何日か後のこと。北斎の勧請錦絵と達郎の大首絵、その両方の刊行準備にお内は大忙しだったが、達郎はそこまでではない。着物に柄を入れたり、色指定を考えたりするくらいである。


「兄さん、絵師名はどうしますか?」


「絵師名?」


 と首を傾げる達郎にお内が呆れたような目をする。


「山崎屋平八の名でこの絵を出すんですか? それとも裏太郎?」


 「ああ、そういうことか」と理解はするが、すぐにはペンネームを思い浮かばない。お内に急かされた達郎は苦し紛れに、


「ええと、それじゃ『草生くさはえもえ』で」


 そのあまりに適当な名前に左近やお内は、


「なかなか雅な名前ですね」


「変わっていますけど、悪くないと思います」


 と好感触であり、達郎はびっくりしてしまった。だがそれが二一世紀のネットスラングであると、その意味を知らなければ特別不思議ではないかもしれない。


「よう、邪魔するよ」


 そこにいきなり姿を現したのは葛飾北斎だ。立ち上がって挨拶をするも、


「今日はどうしたんですか?」


 特に予定や約束はなかったはず、と首を傾げる。その達郎に北斎は不敵な笑みを見せた。


「何、大した用事じゃねえが……」


 北斎はそう言いながら風呂敷包みを解いて桐箱を取り出す。その中から取り出したそれを、


「見ろや」


 と達郎に広げて示した。


「これは……」


 それが葛飾北斎の手による描いた絵だと、確認するまでもなかった。問題はその題材だ。鎮火後の火事の現場で、がれきの山に腰かけてくつろいでいる火消しの男達――「火消一服」。達郎の描いた題材に北斎が挑戦したものである。

 二つの絵はよく似ているが決定的な差異は人物の描写だ。可能な限り「リアル」を追求した達郎に対し、北斎はその影響を受けてリアルに寄せつつもデフォルメを利かせ、のびのびとした魅力的な絵柄となっている。それは「単に手先の技術だけで描いた絵」と、「技術や手法を消化しつつもそこから先を追い求めた絵」の違いであり、そこには千里の差が、越えられない壁があった。


「どうでい、俺にだってこれくらいは描けるんだぜ」


 と偉そうに胸を張る北斎に対し、達郎は苦笑して脱帽するしかない。


「いや、敵いませんよ。先生には」


 なお、北斎の「火消一服」はお内の目に留まり、勧請錦絵の一つとして刷られることとなる。文政五年四月、山青堂は北斎の勧請錦絵を刊行。続けておたきの大首絵が刊行され、江戸中を席巻した。



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