第10話 辰巳公園で

 大宮通りにあるお店から、智恵光院通りに面した辰巳たつみ公園へやってきた。ここは、祖父がよく葵くんをつれてくる公園。私も子どもの頃、ここで游んだ記憶がある。


 雨上がりの公園に、土曜日だけれど遊んでいる子どもの姿はなかった。

 石でできた幅のひろいすべり台に砂場、ブランコがある。


 しろくんはブランコに腰をおろし、ゆらゆらとゆれはじめる。私をみあげ、座りませんかとうながした。


 ブランコなんて何年ぶりだろう。私もそっとブランコに座った。


「もう、いろいろかくしておくのやめます」


 しろくんはブランコのゆれをとめ、大きな瞳で私を見る。


「ぼく、まこさんが好きです。こんなタイミングでいうの、最悪ですけど」


 ……純にいちゃんが好きだったんじゃないの? ちがう、それは妄想の中のはなし。


 本当は、しろくんの気持ちに気づいてたんじゃないの? 

 妄想でふたをして、その気持ちから逃げていたんじゃないの?

 でも、私に対するその好きはきっとちがう。


「それは、猫の時の記憶にひきずられてるだけで――」


 私はまだ、しろくんの気持ちから逃げようとする。


「ちがいます」


 きっぱりと否定する、私の弱さを見透かすような焦げ茶色の瞳。


「僕は小さい頃から不思議な夢をみてて、なんとなく自分の前世が猫だったんじゃないかって思ってたんです。飼い主に会いたいとも思ってたんですけど、それはただなつかしいって感情だけでした。でも――」


 そこで、しろくんはいいよどむ。気持ちのゆれが、体をゆらすのかふたたびぶらんこをこぎだした。


「飼い主、糸子さんの死は僕が原因だったって、だんだんわかってきて。その罪悪感から、僕は必死であなたを探しました。生まれ変わっているかもわからないのに」


「ちょっと、まって。どうして猫のしろが、糸子さんの死に関係するの。意味がわからない」


 しろくんは、立ち上がり左手に歩いていく。フェンスのすぐそばにある、腰くらいの高さの長方形の石碑前で立ちどまった。

 ここに、石碑が立っているのは知っていたけれど、なんの石碑か興味をもったことはなかった。

 私も横に立ちのぞきこむと、石碑表面に文字と図がほられていて、その一番右側に『空爆被災を記録する碑』と刻まれていた。


「えっ、空爆って。これなんの記録なの?」


 石碑には右半分に文章。左半分には、この西陣付近の地図。通りの名前といっしょに赤丸が数個ついていた。


「これは、西陣空襲の記録です」


「京都って、空襲なかったんじゃないの? だから、古い建物が残ってるんでしょ」


 私の疑問にしろくんは答える。


「大阪や、東京のような大規模な空襲はなかったけれど、小さな空襲はあったんですよ。この西陣にも爆弾が落とされた。その赤い丸が爆弾の投下された地点です」


 赤い丸は智恵光院通りに集中していた。


「昭和二十年六月二十六日、午後九時四十分ごろ。B29から複数発の爆弾が投下された。その被害にあって、糸子さんは亡くなった」


 しろくんは私をみようとせず、石碑と視線をつなぎ淡々と話を続けた。


 空襲警報が鳴り響く中、糸子さん家族はそろって近くの防空壕に非難しようとした。母親は、一番下のこうちゃんの手をひいていた。三人の姉たちもそろって防空頭巾をかぶりかばんを斜め掛けにしていた。糸子さんのかばんには、しろが入れられていた。大事な家族。いっしょに避難しようとしたのだが、ただならぬ気配におびえたしろはかばんから飛び出し逃げ出した。


 しろは、智恵光院通りの方角へ逃げていき、そこに爆弾が被弾。すさまじい爆音と爆風。目をあけると土煙で何もみえない。しろもふきとばされたが、無事だった。土煙がもうもうと立ち込める中、いつもかぐ匂いをかすかにかぎとった。匂いをたどっていくと糸子さんの匂いと血のにおいがする。糸子さんは逃げたしろを追いかけてきて、爆弾に巻き込まれたのだった。追いかけさえしなかったら。こんなことに、ならなかったのに。

しろは糸子さんの顔をどんなになめても、もう二度と名前をよんで抱きしめてはくれなかった。


「あの時、しろは逃げ出さなければ。大人しくかばんの中におさまっていたら。糸子さんは死ななくてすんだ」


 しろくんの抑揚のない感情をおさえた声に、私は口をひらく。


「それは、しかたがないことで……。しろが悪いんじゃないよ」


 しろくんが、しぼりだすような声でいった『ごめんなさい』の正体はこのことだったのか。でも、糸子さんもしろを責めないと思うよ。憎むべきなのはしろではなく、戦争というもの自体なのだから。


 西陣に住んでいるのに、この土地の悲劇を知らなかった。すぐそばにあったのに、気づけなかった。

 ううん、かなしいことに目をそらせていただけなのかもしれない。


「それでも、僕はせっかく生まれ変わって来たのだから、生まれ変わった糸子さんに会いたかった。会って、ただ糸子さんに恩を返したかっただけなのに。あなたが、あんな顔するから――」


 しろくんの無表情だった顔が、あっという間に真っ赤に染まる。


「あんな顔って、どういうこと? 私そんな、へんな顔してた?」


 たしかに、いつも半泣きの情けない顔をみられてきたけれど。私が一方的に悪いみたいないい方されると。なんだか、ふにおちない。


「純弥さんをみつめる、あなたの顔がすごくきれいでせつなくて。その感情を向けられているのは、僕じゃないってわかってるんです。わかってるんですけど、それでも一途に恋しているあなたが愛しくて。僕は糸子さんじゃなくて、広瀬 麻琴さんに恋をしました」


 ストレートな言葉。それでも、失恋したばっかりの今の私に受け止められるわけもなく。何も言葉が出てこない。


「なんで純弥さんは、気づかないのかイライラして。自分のこと、子どもだなって思います。今だって、あなたを困らせてるってわかってます。けっきょく僕は、ちっともあなたに恩をかえせてない。どうしようもない猫です。だから、恨んでください。しろも僕も」

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