第8話 走り梅雨

 六月に入り走り梅雨なのか、雨が続いている。その日も、朝から小雨が降っていた。

 SNSでイギリスからの商品の入荷を知らせると、雨の中お客さんがぽつぽつ来店した。土曜日にしては少ない来客数だが、雨の日は大抵ゆったりした時間がながれる。


 新入荷目当てのお客さんは朝にこられたので、昼になるとパタリと客足がとだえた。

 平日のお昼は手早く食事をすわせるが、土曜日はしろくんがいるのでゆっくりできる。私から先にお昼の休憩をとった。しろくんからどうぞといっても、私の後しかとらないとわかっているので、最近は何も言わず休憩にはいる。


 朝に三人分のサンドイッチをつくっておいた。それを食べ、しろくんと交代する。いまは、しろくんがリビングでサンドイッチを食べていた。

 私はお腹も満たされ、店内の安穏としたひとりの空気が眠気をさそう。


 ライティングビューローに頬杖をつき、あくびをかみ殺していると格子戸のあく音がする。

 あわてて椅子にすわりなおし『いらっしゃいませ』とお客さんへ声をかけた。


 タイトなチョコレート色のロングスカートにふんわりした生成り色のブラウスを着て立っていたのは、土田商店の事務員佳乃さんだった。


 いつも会社の制服姿しか見たことがなかったので、私服姿に一瞬誰がわからなかった。勤務中にはひとつにまとめている長い髪を、今日は耳をおおうようにおろしている。

 そうすると、佳乃さんの小顔がより小さく見えた。


 たしか年齢は私とあまり変わらないはず。それなのにストンとしたリネンのワンピースを着ている私とちがって、すごく大人っぽい雰囲気がただよっていた。


 祖父は、こういう女性が趣味なのか。なるほどと、妙に納得した。亡くなった祖母も、落ちついたしっとりとした美人さんだった。


「祖父がいつもお世話になってます。今日は待ち合わせですか」


 私が椅子から立ちあがり挨拶すると、佳乃さんはあわてて顔の前で右手をふる。


「あっ、違います。今日はお店見にきたんです。前から来たかったんやけど、なかなかこれへんかって」


 私はどうぞと、アンティークの部屋へまねきいれた。彼女が部屋に入って来ると、外の雨の匂いがかおってくる。


「雨、まだ降ってますか」


「はい。でも西の空が明るくなってきたから、もうすぐやみそうです」


 佳乃さんは、キョロキョロと室内を見まわし目をかがやかせた。そして、ため息とともに、言葉をもらす。


「すごい、かわいい」


 おべっかではない、本心から発された言葉に私はうれしくなる。


「イギリスから仕入れた商品が入ったばかりなので、ゆっくり見てくださいね」


「そうみたいですね、仕事帰りによればいいんやけど、ゆっくりみたくて。私、アンティークとか好きで。あんまり高いのは買えへんけど」


 新入荷を知ってたみたいな佳乃さんの口ぶり。SNSをチェックしてくれてたのだろうか。私の怪訝な顔に気づいたのか、言葉をそえた。


「あっ、SNSでみたんです」


 話をそらすように、棚へ視線をむける。


「このキャニスター。イギリスのですか? マカロニって珍しいですよね」


 佳乃さんが手にとったのは、ホーローのキャニスターだった。キャニスターは蓋つきの円筒形の保存容器。一般的にCOFEEやFLOURの文字が入っている。佳乃さんがもっているキャニスターは白地にブルーの文字で『MACARONI』と書かれていた。


「そうなんですよ。珍しくていれたんですけど、お値段はそれなりにします」


 私は苦笑いしつついうと、佳乃さんはすぐキャニスターをひっくり返しそこの値札を確認した。そのキャニスターは三万五千円するのだ。


「ほんまや、すごくいいお値段。うわー私には無理やわ。一桁ちごたら、うたのに。残念」


 嫌味に聞こえない、落胆の声に私はこの人に好感をもった。もともと祖父のわがままにつきあってくれるいい人という印象だったのだけれど。

 マカロニのキャニスターを大事そうにそっと棚へもどし、今度は食器を見ている。集中している佳乃さんにあれこれ話しかけたら悪いと思い、私は自分の仕事をすることにした。


 仕入れたアンティークが好調なので、また仕入れようとしろくんにいわれていたのだ。タブレットを出し、今度は何を仕入れるか画像検索して考えていた。


 内玄関が開く音がして、しろくんが休憩から帰ってきた。佳乃さんをみて、驚いた口調で挨拶をする。ふたりは顔見知りのようだった。

 しろくんは、それ以上何もいわず染め糸の部屋でパソコン作業をはじめた。おだやかな、土曜の午後の時間。


 三者三様の時間にそれぞれ没頭していると、沈黙をやぶったのは佳乃さんだった。


「いろいろあって、目移りしたけど。とりあえず今日は、これ買います」


 手の中には、スージークーパーのブラックフルーツシリーズのカップアンドソーサーが二客。


 スージークーパーは、二十世紀を代表するイギリスの女性陶器デザイナー。ブラックフルーツは、白地に黒一色でフルーツがソーサーとカップに書かれている。それとは対照的にカップの中はパステルカラーという、二色しか使われていないのにとても洗練されたデザインだった。


「プレゼント用ですか? ラッピングできますけど」


 独身の女性がそろいのカップを購入する場合、友人へのお祝いが多かった。


「いえ、自分用です」


 顔を赤くして恥じらいながらうつむく佳乃さん。サラサラとストレートの黒髪が、顔を半分かくした。


 佳乃さんは、彼がいるのだろう。その彼とこのカップをつかうのか。ひょっとしたら、結婚間近だったりして。そろいの食器を自分用に買う女性の心理を想像してみた。

 なんだか、ほほえましい。そして、ちょっとうらやましく感じた。


「じゃあ、ご自宅用ですね。このブラックシリーズ、私も大好きなんですよ」


 私が手を動かしながらいうと、佳乃さんは長い髪を耳にかけた。


「すごく斬新なデザインですよね。とても1960年代のものなんて思えないです」


 あらわれた小ぶりの耳に、イヤリングがゆれていた。

 それは純にいちゃんがこの間あやちゃんに買った、ふたつの内のひとつ。大人かわいいといっていた、蘇芳染めのタッセルイヤリングだった。

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