第20話 今更気付くのも悪いことばかりではない(第3部 完)
俺の魔術により、麻衣子に取り憑いていた黒影は完全に霧散した。
「麻衣子!」
解放され、気を失った麻衣子の体を慌てて支える。記憶の中よりも、少し重量があった。
運動不足で俺の筋力が落ちているのか、それとも……。いや、これ以上はやめておこう。
汗で顔に貼り付いた髪をかき分ける。穏やかな寝顔だった。こんな風に麻衣子を見るのは何年ぶりだろうか。
「健司おじさん、大丈夫ですか?」
山崎が駆け寄ってきた。防御の魔法は解いたが、認識阻害は継続してある。さしあたって、俺達に何らかの繋がりがあることは露見しないだろう。
「山崎」
他人の心配ばかりする助手に、意図的に低い声で応えた。元々ドスの効いた声など出せないが、最大限の力を込めて。
仕事で相対する若い研修生は、なんとかこれに圧を感じてくれていた。果たして、山崎に効果があるかどうか。
「は、はい……」
思いのほか、効果は抜群だった。彼女に尻尾が生えていたら、力なく垂れ下がっていただろう。それはそれで可愛い気がしてしまうのは、きっと気のせいだ。うん、気を取り直そう。
こういう場合は、怒りを向けてはいけない。やるべき事は反省を促すことだけ。本職が生きて良かったと思う。
「俺は大変怒っていると同時に、酷く安心している。怪我がなくて本当によかった」
「健司おじさん……」
「だからといって、それとこれとは別だ。俺の仕事終わったらお説教だから、それまでちゃんと学業してろよ」
「あ……はい!」
「じゃあ、こいつを送っていくから、後でな」
「はい、またあとで」
なぜか微笑んでいる山崎を尻目に、麻衣子を背負った。これはまずい。さりげなく筋力強化の魔術を使用する。筋肉痛にならない程度に、山崎にバレない程度に。
さっさとタクシーでも拾って、家まで送り届けよう。大学の出口なら、簡単に捕まるはずだ。
歩きながら、今後の行動を考えていた。そうでもしないと、懐かしい思い出が頭を駆け巡ってしまう。
あの日、魔法使いの仕事を断り、麻衣子のところに駆けつけていたらどうなっていただろうか。告白してきたという男を振り切って、俺の元に残ってくれていただろうか。
仮にあの場は切り抜けたとしても、それからずっと続いていけただろうか。俺は俺を誇れていただろうか。
「健くん?」
耳元で囁くような声。俺は小さく緊張した。
記憶を消すにあたって、前後には会話をしないことが推奨されている。辻褄が合わなくなるのを避けるためだ。申し訳ないが、最低限の相槌で対応することにした。
「あのね、さっきの、本当だよ」
「そうか」
「ずっと言えなかった。今でも好きだなんて」
「そうか」
「だって、あの時、健くんから逃げたのは私だから」
「もういいよ」
「うん、昔の話だよね」
首に回された麻衣子の腕に力が入る。少し変わってしまったが、よく覚えている匂いがした。
「ようやく気付いたんだけどね」
「うん」
「私、健くんに見てほしいばかりで、私が健くんを見てなかったなって」
「そっか」
「それも、あの子を見て、やっとわかったんだよ。笑っちゃう」
なんて言えばいいかわからなかった。相槌すらもできない。俺はきっと、あの頃から何も変わっていないと思う。
「だからね、やっと諦められるよ。健くんには、私じゃなかったんだって理解できた」
俺が黙っていても、麻衣子の言葉は止まらない。会話というよりも、独白だった。
「きっとね、私にも健くんじゃなかったんだよ」
麻衣子の力が強くなる。少し震えていた。
記憶を消すのだから、このまま黙っていることが正しいと思う。でも……。
「そう、かもな」
俺は耐えられず返事をしてしまった。山崎の時といい、あまりにも未熟だ。師匠が聞いたらきっと怒り散らすだろう。
「私は支えてほしいばっかりだからね。健くんは、お互いに支え合える相手がいいよ」
「うん、支えられるほどの男じゃないものな」
「そうだね。私の見込み違いだったよ。バカだね」
後頭部から首筋に水滴が落ちるのには、気付かないふりをした。
「あの子、気になってるんでしょ?」
「え?」
「でも歳が気になって応えられない」
「あー」
「ほら図星。あの子は健くんをしっかり見てるよ。だから、嫌じゃないなら健くんも見てあげて」
「考えとく」
大学前の大通りに出ると、すぐにタクシーは捕まった。立てるようになった麻衣子は、自ら車内に乗り込んだ。
「会社には体調不良で寝込んでたって伝えるからな」
「うん、ありがとう。今週は休んじゃおうかな」
「たまにはいいよ」
「それじゃあね」
別れの言葉の代わりに、俺は麻衣子の頭に手をかざす。頭の中を読み取り、黒影と魔法使いに関する記憶を消した。
しかし、最後の会話だけは、心に深く結びついていて消せなかった。わかってはいたものの、やっぱり情けない。
その後、俺は会社に戻り課長にそれっぽく報告をした。結果、部長は今週いっぱいの休みをとることとなった。
あいつは頑張りすぎだ。少しは休んでもいいと思う。仕事も、恋愛も。
俺はそこまで頑張っていないから、まだまだやれるはずだ。忘れていた恋も、思い出していい頃かもしれない。
ただし、それとこれとは話が別だ。
「はい、ごめんなさい。もうしません。本当です」
俺の帰宅を待ち構えていた山崎に、勇気と無謀は違うという話を延々とした。反省してくれたならそれでいい。
お詫びのつもりか、今夜の食事は気持ち豪華だった。まさかこのレベルのトンテキが家庭で食べられるとは思わなかった。
バイト代には材料費より上乗せしておこう。
「ここまで言ったけどな、助かったのも事実なんだよ。あのままだったら、無理に祓うしかなかったかもしれない。でも」
「それとこれとは別、ですね?」
「そう、わかってるな。いい子だ」
「えへへー」
あー。
危なかった。今のは非常に危なかった。照れ笑いを浮かべる山崎の黒髪を、俺は無意識に撫でそうになっていた。
恋を思い出してもいいかもとは思ったが、相手が山崎だとは自分に明言していない。そもそもが、こんな若い子の未来を奪う覚悟など、易々とできるわけがない。
「あのぉ、確認したいのですが」
「なんだよ改まって」
「助手、クビになったりしませんよね?」
さっきまで楽しげにしていた山崎が、不安に不安を重ねたような顔になる。なんてわかりやすい子なんだろうか。
「大丈夫だよ」
「あ……」
少しの意地悪も込めて、口癖をまねてみた。山崎はいつも誰かを安心させるため、この言葉を使う。鈍感な俺でもこれだけ一緒にいれば気付くというものだ。
それと、勇気を振り絞って無理をしたのも知っている。だから、少しはいい事があっても悪くないと思う。
「これからも頼りにしているよ、明莉」
「え? えぇー!」
だめだ、やっぱり照れくさい。
「今、明莉って言いました? 言いましたよね?」
「言ってないぞ山崎。それと、山のように報告書を書かないといけないからな山崎」
「明莉です」
「いや、君は山崎だ。優秀な助手の山崎だよ」
「もー」
あか……いや、山崎がどう思っているか、正確にはわからない。でも、俺はもうしばらく、この距離感を続けたいと思っている。
第3部『本業を忘れて副業は成らず』 完
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