物語の余白より愛を込めて

物部がたり

第1話です 恋する季節の若人よ、です

 桜舞い散る別れと出会いの季節は春。

 甘酸っぱいイチゴ模様のカーテンのような前線が、日本中を包み込んでいます。

 

 この前線は春が終わるまで続くでしょう。

 若人わこうどよ、青春を謳歌しなさい、という私もまだまだ若人なのですが。

 

 誰もが華やいでいる春のうららかな昼下り、咲村さきむらすみれ、好きなものはお菓子とスイーツ、読書、嫌いなものは本の虫(シミ)な私は校舎裏の桜の樹の下で愛の告白を受けました。

 

 櫻の樹の下には死体埋まっているのではなく、愛が語られるのですね。

 突然の急展開に驚かれていると思うので、数時間ほど話を戻しましょう。


 今朝学校に登校し上履きに替えようと上履き入れを開けますと恋文が入っていたのです。

 えらく古典的ですが、今の時代でもあるのですね。


 普段は豪快な文字を書いている方なのでしょうけれど、綺麗に丁寧に書こうとするあまり勢いが死んでしまって、返って不自然になってしまっています。


 せっかくの文字が死んでいると言ってもいいです。

 綺麗なだけが文字ではありません。

 手書きの文字は、書かれている文章だけを読むためのものではなく、文字では表せない書いた人物の内面、つまり感情も表してくれるものです。


 綺麗なだけの文字が書きたいなら、印刷してしまえばいいのです。

 綺麗な文字がすべてなら、書道など必要ないのです。

 そう思いませんか? 


 ですが私に対する気持ちはヒシヒシと伝わってきました。

 要約しますと、放課後、校舎裏の桜の樹の下で伝えたいことがあるということだそうです。 

 

 最後まで読んで差出人を確認すると、私は一瞬己が目を疑いました。

 目を閉じて心を落ち着けて、もう一度。

 やはり間違いありませんね。

 

 書かれていた名前が中学時代から付き合いのある男の子だったのです。

 彼の名前は名鳥なとりくん。

 身長は高い方で、面倒見がよく、クラスのムードメーカー的な立ち位置で、爽やか、運動神経が良く、陸上部に入っています。

 

 そして何よりかっこいい。

 物語の登場人物にするなら間違いなく主人公になっているでしょう。

 面倒くさいことになりました……。


 今はまだ誰とも付き合う気がないからです。

 本当に面倒くさいことになりました。

 自慢じゃありませんが、中学のときも殿方から度々告白をされたことがあります。


 自分でいうのもおかし過ぎる話なのですが、整った顔をしていて、まあ美人の部類に入ると思われる顔だからでしょう。

 嫌味に取らないでください。

 

 嫌味のつもりはミジンコほどもありません。

 これだけは受動的なものなので、親に感謝しなければいけませんが、今のところ美人で得をしたという実感はありません。

 

 恋文をもらったからには返事を返さなければならないので、放課後こうして風が強いにも関わらず校舎裏にやって来たというわけです。

 校庭に植えられている桜が強風に吹かれて散っています。


 散りゆく桜が魚の群れのように空を泳いでいるように見えます。

 昔、小学校の国語の教科書で読んだ『スイミー』の魚たちみたいではありませんか。


「咲村! 突然呼び出して悪い……」


 空手や柔道の挨拶「押忍!」と言うように気合が入っていました。

 名鳥くんは複雑な表情でフェンスの前に立っていて、一帯を覆っている空気は決闘前のピリピリしたそれです。


「いえ」


「呼び出したのは……その……」


 名鳥くんは恥ずかしさと緊張と、あと一つまみの引け目からなのかなかなか第一声を出せずに苦労していました。


「呼び出したのは……つ、伝えたいことがあって……」


「はい」


 伝えたいことが何なのかわかり過ぎるほどわかってしまいます……。

 下駄箱に手紙を入れられて呼び出される展開など、恋愛物の王道だからです。


 それに何より、名鳥くんは嘘がつけない正確なようで隠すのが下手。

 すぐ感情が表に出るタイプなのですよ。

 本当に非の打ち所がない良い人。

 

 くどいですが、運動神経抜群で勉強もそこそこできて、可愛いところのある彼は当然中学時代から女子によくモテていました。

 女子たちが名鳥くんの話をしている場面を度々目撃しています。

 私は強風で流れる長い髪を押さえて声がよく聞こえるように一房耳にかけました。


「俺と付き合わないか……!」


 名鳥くん、よく言えました。

 女子たちは胸がキュンキュンしていると思いますよ。

 殿方に好いてもらえるのは、普通に嬉しいです。

 ですが――。


「ごめんなさい」


 私は謝罪の教科書(そんなものはたぶんないと思いますが)通りの綺麗なフォームで頭を下げました。

 髪の毛がだらりと幕を下ろして、黒子みたいに見えることでしょう。


「お気持ちは嬉しいのですが、今は誰とも付き合う気はありません。お気持ちだけありがたくいただきます」


 やんわりと断れました。

 何度も同じ経験をしているので、事務的な謝罪にならないように心を込めて謝るのがポイントです。


「ああ……そ、そうか……。うん……そうだよな……」


 断った後は気まずい空気になってしまうから嫌なのです……。

 

「ごめんな……突然おかしなこと言い出して……」


 決闘前の彼は何処へ。

 もう昔のような覇気は感じられず、討ち死に直前の落ち武者の影が付きまとっているように思ってしまいます。


「名鳥くんだから断ったのではなく、今は誰とも付き合う気はないからです。ごめんなさい。これからも仲のいい友達として付き合ってくれますか?」


「ああ。今回のことは何もなかった。これからも仲のいい友達だ」


「はい。私たちは仲のいい友達です」


 少しの間は気まずいでしょうけれど、時間と共に昔のような関係を続けて行くことができるのでしょう。

 ふう、これでまたいつも通りの平穏な日常を送ることができます。

 つくづく思うのですが、恋とはどのような感情なのでしょうか。


 巷にある恋や愛を扱った作品を沢山、観たり読んだりしてきましたが、いまだに恋や愛という体験をしたことがありません。

 人を好きになるとはどのような脳の働きなのでしょう。

 

 私は魂や心など存在しないと思っている人間なので、我に生じる感情というものはすべて脳が生み出している幻想だと思っています。

 心や魂は脳と体の働きのことを言うのです。


 欲望や行動を制御しているのは心ではなく脳の偏桃体という場所だと聞きますし、五感が感じる情報の伝達処理をしているのは脳細胞、シナプスの結びつきです。

 

 感情というものは前頭葉が大きく関わっています。

 フィニアス・ケージという真面目で勤勉な方が昔アメリカにいたそうです。

 彼は仕事中、大きな鉄の棒が左前頭葉を突き刺さるという事故に遭いました。

 

 何とか一命はとりとめましたが、事故後ケージさんの性格は別人のように変わってしまったといいます。

 真面目で勤勉だった彼は、不真面目な乱暴者になったのだとか。

 誠に不謹慎ですが、彼の事故のおかげで脳科学は飛躍的に進歩しました。


 つまり感情などは前頭葉の働きが、そして心は脳の働きが生み出しているものではないか、ということです。

 魂という謎の物質などありません。

 

 私の性格も私の感情もすべて、プログラミングされたものなのです。

 生物が持つ欲望もすべてはDNAによって生み出されていますし。

 ある書にこんな言葉が書かれていました。


『われわれはDNAによって作られた機械であり、その目的はDNAの複製にある』


 私たちの行動はすべて自分で判断しているように思われますが、実は色々な内的要因や、外的要因でコントロールされているのかもしれません。


 だから、人が人を好きになるという脳の働きも、DNAや脳の働きが原因のはずなのです。

 私たちは自由を束縛されることを嫌がりますが、この世界に本当の自由などないのですよ。


 女として生まれれば女のさがが、男として生まれれば男の性の奴隷となって生きるのです。

 他の生物として生まれれば、また他の性の奴隷となるのです。

 そして常に外的要因、内的要因に流され従いながら行動するしかありません。


 自由とはわずかな選択肢の中から、自分が一番納得がいく選択ができることをいうのです。

 だから私はこの生物としての性、恋と言う脳の働きを知りたい。

 どうしたら知ることができるのでしょう?

 

 恋とはどうやってするものなのでしょうか?

 本で得た知識だけではわかりません。

 脳科学者だって恋する脳の働きを解明していないのではないでしょうか。


 科学的に考えれば子孫を残すためのプログラムでしょうか、それとも哲学の領域なのでしょうか。

 そんな欲求不満を感じながら、私は学校の図書室でまだ読んだことのない本を借りて、家路につきました。


 私は本の虫と呼ばれるくらい本が好きです、あ、でも三度の飯より好きな訳ではありません。 

 お茶やケーキ、お菓子のような甘いものもをちらつけられれば、本をすぐ閉じて食べます。

 

 だから本が好きというのは語弊かもしれません。

 本というツールが好きなのではなく、書かれている内容、つまりは英知、思考、思想、記憶などの唯心ゆいしん的なものを愛しているのです。

 

 一生のうちに知り得る知識はごくわずかでしょうけれど、知識や思考ほど素晴らしいものはないと思うのです。

 つまり記憶です。

 楽しい記憶、美味しいものを食べた、楽しい物語を知った、友達と遊んだ、そういう些細な記憶が人生を豊かなものにしてくれるからです。


 長くなってしまいましたね。

 今はそんなことを考えるより、図書室で借りた物語を読みましょうではありませんか。

 はじまりはじまり、です――。

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