第6話 神無月(一)

(1)


 約一月ひとつきが過ぎ去った。


 裏庭の樹々が赤に燃え、また、黄色く色づき始めていた。

 緑に染まる池に一枚、二枚、はらりと赤や黄の葉が落ち……、かけて、猫や鳥除けに張った網に引っかかる。その網を外した途端、涼次郎の息が止まった。


 池にはぷかり、複数の金魚の死骸がぷかり。鉢も同様に死骸がいくつもいくつも、ぷかり。


「なんでや……」


 残暑から秋、晩秋にかけては天候や気温の変動で弱り、金魚が死ぬことはままある。ままあるが──、一気に死に過ぎている。鉢の一つはほぼ全滅だ。こんなことは今まで一度だってなかった。そう一度だって。


 歯を食いしばり、残りの鉢二つをじっと観察してみる。(池は水深があるし、水が緑に染まっているので観察しづらいので)

 生き残りの金魚たちは特段弱ってもなければ、病気をしているようにも見えない。体表に傷ひとつついてもいない。


 水が悪いのだろうか。適度な水替えも水温管理もしているのに。(両親に我儘を言って高価な水温計を買ってもらったので、温度は正確に測れている筈)

 家族に、特に兄に見つからないよう、新しい睡蓮鉢を買って一から立ち上げ、鉢の中で生き残った金魚を移し入れる、か。骨は折れるが金魚のためなら致し方ない。

 この際なので、池の金魚の生き残りも一緒にしてしまおう。もったいないが、池は水を抜き、しばらく使わないでおこう。兄に池を潰されないようにだけは気をつけなければ。

 水面に儚く浮かぶ赤白黒黄茶の華やかな躯たちに手を合わせる。冷静に、現実的なことを考えてないと悲しみで胸が潰れそうだった。


 肩を落とし、立ち上がる。手についた土埃をぱんぱんと軽く払う。

 部屋に戻ろう。幸い、更紗と流瑠から譲られた雄は元気だし、生まれた稚魚たちもすくすく育っている。


「いつ見ても親にいっこも似てへんなぁ」


 部屋に戻るなり、金魚鉢と並んで床の間に置いたいくつもの桶に虫眼鏡をかざし、涼次郎はひとりごちた。分厚いレンズに映るのは、更紗と流瑠が置いていった雄との稚魚だ。が、紅白斑模様の更紗と黒ぶち斑模様の雄から生まれたというのに、稚魚たちは揃いも揃って黒の比率が圧倒的に高く、赤はまったく混じっていない黒白模様。更紗と似たような赤を体表に持つものは一尾もいない。

 背鰭、胸鰭、胴体、口は黒く、胸鰭と尾鰭、顔の中心は白い。おまけに本来ある目の間に、更に二つ目玉を描いたような顔の模様。目玉に似た模様の上には二つの黒い線が走る。

 つまり眉があり、目玉が四つあるように見える。可愛いというよりどことなく不気味だ。しかし、育てていると愛着がそれなりに湧いてくる。


「でも、全部成魚に育てるのは……」


 春ならまだしも秋は気温が下がる一方。特に京都の晩秋以降はぐっと冷え込みが厳しくなってくる。

 生まれた稚魚全て生かそうとするのはいささか難しいし、あまり増やしてはいい加減兄の雷が落ちるかもしれない。かと言って、人為的に間引くのも抵抗がある。


「ほんまに、どないしようなぁ??」


 忙しなく泳ぐ大量の稚魚を前に、困惑も露に問いかける。当然、答えなど返ってこない。

 そう言えば、どこから話を訊きつけたのか、この稚魚を店のおんなたちがこぞって欲しがっている、らしい。

 人の顔みたいに不気味だが珍しい模様の金魚で、客の関心を引きたいのかもしれない。


『ちゃんと成魚になるまで育てる気ぃあるならええけど。途中で世話に飽きるくらいならもっと大きゅう育つまで待っとってや』


 他の娼妓との仲介で話を持ち掛けてきた流瑠伝手に、やんわりと拒否の意を示してはいる。

 折角、卵から孵った稚魚を女の気まぐれなんかでみすみす殺されたくない。流瑠みたいに大事に育ててくれるだろう人ならともかく。


「ん??あぁ、そうか……。その手ぇあったか」


 思い立ったらいても立っても居られず、涼次郎は桶を抱えて再び部屋から出て行った。








(2)


 育ってきた稚魚の一部を小鉢へ移し、流瑠の下へ持っていく。


「これを、うちに……??」


 滅多なことでは二階娼妓たちの部屋に上がらない涼次郎が訪ねてきた上に、突然頼み事してきたのだ。さすがの流瑠も戸惑い、涼次郎と金魚鉢とを見比べる。仕事前の身支度中だったらしく、白粉を額から鼻までしか塗っていない顔で。

 迷惑そうな態度を見せない分、手短に事情を説明しつつ、少しだけ罪悪感が浮かぶ。廊下に立つ二人の沈黙の間を、部屋で身支度する妓たちのかしましい声が通り抜けていく。


「まぁ、そういうことやったら……。うちも涼次郎はんには金魚貰ってもろうたし。ええどすえ。にしても珍しい模様どすなぁ。人のお顔みたい。みんな、目ぇ二対あるみたい」

「たまたまそう見える模様なだけちゃう??成長してきたらまた変わってくるかもしれへんし」

「そやけど、おもろいものはおもろいわ。そうや!うちのお馴染みさんにね、趣味が高じていろんな金魚の合いの子作って育ててるお人がおるんどす。その人に見したらおもろがるかもしれまへん。良かったら、涼次郎はんもうてみしまへん??きっと話合うんちゃうかしら」

「ええ、遠慮しとくわ」

「あらぁ、残念」


 本当に残念そうな顔をする流瑠のほっそりした手に、涼次郎は鉢を受け渡す。


「ね、涼次郎はん。もしも、もしもの話」

「ん??」

「お客はんがこの子ら欲しいって言うたら」

「ちゃんと可愛がってくれるならかまへんで」

「ほんま??」

「うん、ほんま……」

「涼次郎はん??」

「……いや、なんでもあらへん」


 鉢を手渡した直後、誰かの強い視線を感じ取った。

 まさか隆一郎じゃないないよな、と不安になったが、まったくの懸念だった。振り向き、周囲をよくよく見まわしたが、兄の姿はどこにも見当たらなかった。


 ただ、目の端で長い尾鰭の影が横切った、ような気がした。

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