第38話 同じ夜空の下に


 丸くなった。僕の横でエリは泣きながら、自分の心を守ろうと必死に僕の死を罵倒する。僕はもう自分の心が解らないで、ただこの苦しみと痛みから逃げ出したかった。エリは僕のボディバッグを抱き締めたまま座卓へ頭を付け、泣き続けた。


「嗚呼亜婀會閼堊...」


と、もう何か判らぬ声を上げながら泣いている。鳴く、哭く、啼く。


 もう優しさも温かさも失ってしまった僕達は。すぐ近くに居ると言うのに触れあえず。言葉を交わすことも出来ずに、ただ凍てつく身と心を守る為だけに丸くなり。恐怖を威嚇する様に叫び声を上げる。



「マサトぉ...会いたいよ。頭を撫でて欲しいよ。今、この気持ちを慰められるのはマサトしか居ないのに...。私、また誰とも話せない私に戻ってしまいそうだよ。」




「もう声を出さないでくれ。」



僕はエリの言葉に堪えきれずに、立ち上りこの部屋から出て行こうとした時に左手に違和感を感じた。左手は中指の先からパラパラと砂となり少しずつ崩れて行く。中指が崩れ落ち。次に薬指が崩れ落ち。僕は右手で砂を受け止めて、左手に戻そうとするが。そんな事は無駄な事で、パラパラと崩れ落ち続けて小指と人差し指も崩れ落ち親指が残った所で崩壊は止まった。


 もう、人としての心を失いそうな程に狼狽えている僕の後ろで。エリは泣きながら


「マサトーー!」


そう僕の名前を呼んだ。


「もう駄目だ。もう堪えきれない。」


僕はそう呟くと我武者羅に裸足のまま、ドアをすり抜けて外へと飛び出した。気付かない内に外は暗闇へと変り、花火大会を目前に浮き足立ち様々な色合いの服を着た行き交う人々が川沿いへと下って行く。僕はそんな事も気に止める余裕も無く下り坂を走った。


 下り坂を飛び跳ねる様に無我夢中で脚をバタつかせながら駆け下りた。行き交う人々をすり抜けながら走った。エリが居ない所へ。エリの声が聴こえない所へ。エリから見えない所へ。走り抜け。僕は川に架かる橋を渡り屋台通りへと走り着いた。


僕は花火大会前に屋台で買い物を楽しむ人々が赤や青や黄のライトに斑の様に照らされ、笑顔と幸福に満たされている群れの真ん中に立ち止まり。


「あああああああああーー!!!」


と、力の限りの大声で叫んだ。しかし、誰も振り返る事もなく。チラリとさえ反応も無く。より僕に、僕はもう人間と言う枠の中に存在しない事を叩き付けてきた。僕はその人混みのど真ん中に膝を付き泣いた。


「ごめんよ。エリ。」


「もう僕を忘れてくれ。」


「僕はもう消えてしまうからさ。」


「綺麗さっぱりと君の記憶から消えてくれ。」


そう泣きながら僕は呟いた。そんな事を言っている間に僕の残った左手の親指も砂の粒になり崩れ落ちていき。更に崩壊は進み遂には肘の辺りまでが砂となり崩れ落ちた。


 地面へと落ちた砂を僕は残った右手で掬おうとするが砂は風に舞いサラサラと消えて行った。その光景は透明な粒子の集合が周囲に配置されたライトの光りを乱反射させて、それはまるで空気全体が虹色に輝いて僕を包み込んだ。


 僕のこの惨めで情けない気持ちの中で、それを包み込む虹彩の空気の柔らかさに触れて。何だか笑えて来るのだが、虚しさも消えずに涙を落としながら笑った。秋の落ち葉が風に舞い擦れる様な笑い声で。


 そんな枯れた笑い声が徐々に消え入りそうになると、人々が行き交う屋台通りのど真ん中で踞り泣いた。その間に僕の左腕はもう肩の所まで崩れ落ちた。僕は右手で左肩を触ると立ち上りフラフラと川沿いへと脚を引き摺るように力無く歩いて行った。


 いつの間にか人混みは居なくなり、川の旅館街の方からアナウンスが聴こえて来るが。何処から吹いているのか判らない轟々と吹く風の音で何も聴こえずに、一歩一歩ゆっくりと川沿いへと向い歩き続けた。ふらつく体を支えようと屋台裏の民家の塀に右手を突くと、右手の親指が砂状に崩れて。一歩一歩歩く度に徐々に指は崩れ落ちて行き。


 僕が右手を見ると僕の右手は、手首の所まで崩れ落ちていた。後ろを振り返ると歩いてきた道に沿って、落ちた砂は光りを屈折させてキラキラと輝いていた。僕はそれを見ると鼻で笑って歩き続けた。



 この家屋の列の裏に川沿いの歩道が在り。僕はその屋根の上を見ると青く燃え輝く大輪の花が夜空に広がり涙で濡れた僕の顔を照らし輝いた。


「ハハッ。花火だ。綺麗だねエリ。ハハッ。」


「ハッ...」



僕は気付けば右腕が肘の辺りまでが崩れ落ちて無くなり。もう塀を伝う事も出来なくなり。右腕は更にパラパラと砂になり崩れ落ちて、もう右腕は肩の所まで無くなっていた。


 それでも川沿いへと向い歩いた。もう少しで花火が見える。近くで。あの綺麗で儚く咲く花火を見に行くのだ。花火を。



「エリ...。」



「もう少しで僕は...」



「一緒に観ようよ...」





 ――――その頃、泣き疲れたエリはアパートの中で明かりも点けずに呆然と座り込んでいた。



 窓から、破裂音が入り込み。それを追いかけるように青い光りが仄かに覗き。火薬の臭いが鼻を掠めた。エリはその匂いに反応し。


 よつん這いで窓へと近付いて行った。窓のサッシへ手を掛けると身を起こしながら、立ち上り川沿いの景色の中に青く輝き開く大輪の花火が見えた。



「マーくん。花火だよ。」




そう呟くとエリは表情を崩すことなく涙を流しながら。




「ねえ。マーくんも見えているの?」




「綺麗だね。私は人混みが苦手だからこのぐらいの距離の方が良いわ。」



そう涙を流しながら微笑むと、暗闇の真ん中に激しいドーン!と言う音と共に青く燃え輝く大輪の花が夜空に広がり涙で濡れたエリの顔を照らし輝いた。




 ――――そして一方のマサトは川沿いの歩道の手前の階段を一歩一歩フラフラと降りていた。




 バランスを崩した僕は壁に手を突こうと思ったが。もう、両腕が無いので支えることが出来ずに。そのまま階段を転がり落ちて、川沿いの歩道へとうつ伏せに倒れた。


 僕は腕が無いので、モゾモゾと地面で体をずらして這いながら壁に体を寄せて上体を起こすと。目の前で赤く輝く大輪の花火が上り。僕は口を開けて見とれていた。



「綺麗だな。」



そう呟くと僕は自然と、また涙が込み上げて。ただ打ち上り続ける花火に、流されるままに照され続け。見とれ続け。その美しさにされるがままに佇んで。ただ受け入れる事しか出来なかった。



「エリ...観ているかいこの美しい花火を...」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る