第36話 焦燥



 高速道路で起きた高速バスの事故での死者は五人で発表が有ったのは三人であり。残り二人の発表はまだ無い。きっと損傷が激しいからであろう。そんな事を想像すると僕は背中に冷たいものを感じた。


 未だに帰って来ないエリの事を考えると、初夏の暑い日であっても僕は身が凍る様な不安な気持ちの中で落ち着かないでいた。


 ニュースは特に新しい情報も無く、お笑い番組の再放送に切り替わった。僕はとても笑える気分では無く。嫌気が差してチャンネルを変えると地元のケーブル放送のチャンネルに変り。そこでは去年の花火大会の様子が放送されていた。


 放送では去年の花火がダイジェストで流れ、地元の女性リポーターが何か話しているが花火の音で掻き消され何も聴こえてこなかった。僕は少し考える事を止めて眺め。


「エリが帰って来たら一緒に見に行こう。」


そう呟いた。去年もエリと花火を観ていたんだ。いつの間にか僕達は会話が減ってきたが、花火を観に行った時に久しぶりに手を繋いだんだった。二人で花火を観に行って。いつも人混みが苦手なエリとは離れた公園や。少し離れた丘の上の喫茶店のテラスでアイスコーヒーを飲みながら観ていたのだが。去年は二人で近くで観てみようと僕達は川沿いへと行ったんだ。


 近くに行くと僕達の想像以上の人だかりで、人の流れにエリは流されてしまいそうになり。僕は人混みに飲み込まれ、離れて行くエリへと必死に手を伸ばし。エリも僕に手を伸ばして掴むと二度と離れないようにしっかりと握り引き寄せて二人で歩いてからは、エリも怖かったのか僕の手をしっかりと握り離れる事は無かった。


 花火の火薬の匂いが充満し、煙でうっすらと周りが霞みその先に手を握るエリが居た。二人で並んで刹那に開き儚く散る色とりどりの火の花に、うっとりと眼を奪われながらも時折激しい爆発音の振動に身を縮め。エリは僕の手をギュッと握った。


 そんなエリの日頃の愛想の無い感じとは別物の人混みで弱気になり、花火の音で驚く浴衣姿のエリの姿に対して僕は再度、心を惹かれた事を思い出しながら。エリの事を思い出していた。


「また、大学で出会った時の二人みたいに初々しい気持ちに戻れるかな。」


そう呟いて。落ち着かない自分を落ち着けようと、流し台へと向い。もう一杯コーヒーを淹れた。僕はもう一杯のコーヒーを飲みながら、今更ながら自分の体の異変に気付いた。


『香りがしていない。』


コーヒーは香りが強い筈なのに。そう言えば、花火の会場は火薬や屋台の食べ物の匂いが強くその匂いの中で花火大会に来た実感を得る筈なのに。昨日はその全ての香りの記憶が無い。一昨日までは有ったのに。


「何でだろう?」


僕はそう呟きながらティッシュで鼻をかむと、ティッシュを丸めてゴミ箱へと捨てた。そう言えば以前に、嗅覚は人間の感覚器官の中でも一番弱く30分もしたらどんな臭いの中でも馴れてしまえるらしい。と聞いた事がある。


(今日は日曜日だし、明日にでも病院へ行こう。)


そう思いながらも、またコーヒーをひと口啜りながら僕はテレビのチャンネルを変えて。高速バス事故のニュースを調べようと思ったが。あれだけ流れていたのに今は何処でもそのニュースをやっていない。僕はこんな時にスマホが有ればと部屋中を探して回るが何処にも見当たらずに。途方に暮れていた。


 テレビ画面の右上には16:55と出ていた。まだエリは帰って来ない。今日の花火大会の開始時刻は19:00となっていたので、あと二時間程で始まってしまう。


 待つしか無い。僕は諦めに似た気持ちながらも、もうすぐ夕方のニュースが始まるので何らかの情報が入るかもしれないとテレビ画面を見ていた。その間にやたらと陽気なCMばかり流れるもので僕は少しだけ苛立ちを覚えて。早く終わらないかと待っていた。


 僕は落ち着き無く立ち上り、開けていた窓から外を眺めたりしていた。朝から窓を開けっ放し何て、その様に僕は動揺しながら一日を過ごしていたのだと我に返り。もう一度、風呂場の洗面台で顔を洗った。そう言えば、そんな心持ちの中で過ごしたからであろうか。


 もう夕方だと言うのに、僕は一日何も食べていない。そして今も特に腹も空かずにこうして居る。


 何か腹に入れれば少しは落ち着くかも知れないと、僕は冷蔵庫へと向い開けてはみるが。特に腹も空いていない事と、エリが帰って来たら一緒に外で食べるのも良いだろうと。僕は冷蔵庫の扉を閉めて、またテレビの前の座卓へと座った。


 ニュースが始まり、淡々とその日の出来事をニュースキャスターは読み上げる。地域のニュースから始まり、川開きに伴い川魚の稚魚を放流する子供たちの映像が流れ。ほのぼのとした光景にキャスターは柔らかい口調で読み上げていた。次には昨日の花火大会の光景に変り、迫力の無い音と遠くからの花火の上がる姿と、川に浮かぶ屋形船を近景で映してキャスターは例年と同じことを口にして全国ニュースへと切り替わった。


 やはり、高速バスの事故は全国でも大きい扱いになり一番最初に流れたので有るが。事故の犠牲者は二時間前と変わらずに報道されて。五人の内の二名は性別も不明で有り身元調査に急いで居るとの事であった。


 僕の中でその事は、まだエリでは無かった事の安心感と。エリかも知れない不安感を共存させて焦りに似た気持ちへと変わって行き。答えの無いもどかしさに黙る事しか出来ないでいた。


 進展が有ったとすれば一時間半前に、高速バスの消火は終わり事故車両は撤去されて。高速道路は開通しているとの事であったが、僕の街の花火大会と重なり混雑しているとの事であった。そう言った事をキャスターは淡々と読み上げて僕は受け入れる物事は何も無く終わり。


 立ち上がって居るものの何もすることも無く。僕はテレビ画面を消して窓から外を眺めて、外のお祭りで浮き足立った空気が鼻について窓を閉めて僕は横になって目を閉じた。


 それから、数分間は僕は何も考えずに瞼の裏の暗闇の中で昔の事を思い出しながら待つしか無かった。何一つ僕の中で答えに辿り着く事無く刻々と時間は流れている。周りの状況も。他人の気持ちも。人は動かなくても、考えなくても、思わなくても、人生とはどうにかなってしまう。



 僕はこの不安や焦りをやり過ごしたかった。






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