第34話 気付かない



 ――――朝が来る。



 どんなに悲しくても、どんなに嬉しくても、時を止めたくても。それは喜ばしい事でも有り。それは悲しい事でも有るのだが、深く考えずとも当たり前の事で、僕達はその中で当たり前に生きているのではあるが。時折それが嫌になり僕達は新しい感情や、新しい言葉を作っているのかも知れない。


 カーテンの隙間から覗く光りに僕は薄目を開けてそんな事を考えた。


 今日はエリが帰ってくる。今は何時なんだ?でも瞼が重い。鳥の鳴き声がする。この明るさならまだ6時ぐらいだろう。じゃあ、まだいいや。と僕はまた目を閉じた。


 次に目を覚ました時に時計の針は7:12を指していた。外から車の走る音が聞こえる。僕はゆっくりと上体を起こして欠伸をすると、そのまま立ち上り風呂場の洗面台へと向かった。歯を磨き顔を洗い鏡を見ながら僕は昨日の事を思い出そうとするがぼんやりとしか思い出せずに虚しい気持ちが有った事だけを思い出し。エリの事を前でそんな情けない表情を見せられないと思い、もう一度顔を洗った。


 なんだか心がザラついた様に、落ち着かない僕が居た。


 僕はそのまま流し台の方へ行くと電気ケトルへ水を入れ湯を沸かし、インスタントコーヒーをマグカップへ入れるとお湯を注いだ。僕はそのマグカップをソッと差し出した。


「誰にだよ?」


僕は自分に話しかけ戸惑ったが。エリに出そうとしたのだろうと納得してコーヒーをひと口啜った。苦味と温かい流れが口から体の奥へと下がっていく。僕はもうひと口、コーヒーを飲むとフーッと息を吐いた。


 窓辺へと歩いてカーテンを右手で開けて左手にはマグカップ。僕は窓を開けると外のまだ少し夜の冷たさを残した空気が部屋の中へと入り込んできた。僕はその空気を肺の奥深くへと吸い込み僕の身体は徐々に目を覚ましていった。そしてもうひと口コーヒーを口にした。


 僕はエリが帰って来るので、その前に一度掃除をしようと雑巾を流し台の下から取り出して水で濡らし。絞り。座卓の上やテレビ箪笥や本棚の上を拭いて、その後にサッシ周りを拭いて行った。一通り家具類を拭いて回ると次ぎは掃除機を取り出して床に掃除機掛けを始めた。


 僕が掃除を終える頃には、時計の針は9:07を指していた。僕は飲みかけのコーヒーを飲み干すと、もう一度電気ケトルで湯を沸かしコーヒーを淹れた。そして、それを座卓の上へ置くとテレビの電源を入れた。ワイドショーばかりが流れて居るので、僕は適当な所でチャンネルを止めて。見ると言うよりもBGM代りテレビを流した。


 そして、思い出せるものも特に無く僕はコーヒーを飲みながらボーッとテレビの輪郭を眺めていた。中央の画面には誰かが出て、何かを話していた。時折笑ったり、かと思えば怒ったり、忙しく目まぐるしく表情と話題を変えながら話を続ける人達がその週に起こった事を話していた。


「僕には真似できないや。」


そう呟いては僕はコーヒーを口にした。芸能人が結婚した話し。政治家が悪さをした話し。そう言ったものを真剣に話しているが、僕には関係無くて。関係が無いから無責任に見ていられるのだろうと一人で納得していた。


 すると、テレビ画面の上部分に『緊急ニュース速報』との文字が出て。僕の住む街へと続く高速道路で高速バスが事故を起し炎上して、高速道路は通行止めとなりダイヤの乱れが生じるとの事であった。


「花火大会で混み出すのに大変だよな。」


もし、そのバスに僕が乗っていたとするのなら。それは重大な出来事で様々な感情も沸き起こるのであろうが液晶の画面を通した物は実にリアリティーが欠如して、その様な言葉が出たのである。


 僕は立ち上がると、窓の外では街のお祭りの始まりを告げる花火がポンポンポンと3発上り。白くポップコーンの様な煙が青空の中心に3つ並んで浮いていた。僕は窓から外を眺めて青空に薄く漂う雲に目を向けたが特に目新しい感情も無く座卓へと戻りテレビを眺めた。


 いつの間にかテレビの映像は先程の緊急ニュース速報の事故現場へと切り替わっていた。僕も何度か通った事の有る道で、少し近い所で起こっている事に少し事故の悲惨さの実感を得たが。それでもやはり画面を通した他人事であった。


 事故現場ではリポーターが慌てる気持ちを抑えるような素振りで状況を説明していると。高速バスの運転席部分がグニャリと曲がり後部まで炎上している場面へと切り替わりリポーターの慌てた声のみが聴こえていた。


 この事故で現在確認できる死亡者は四人に上り。重傷者が三人に、軽傷者が六人との事だった。高速バスにしては乗客が少なかった事だけが僕の心に残った。何だか僕はその映像で心が重くザラついた物になってきたので、チャンネルを変えるが何処の局も同じ様な映像で。僕はそのままテレビの電源を切って横になった。


 僕は少し経って上体を起こすとコーヒーを飲んだ。退屈なのだ。


 大してお腹も空いてはいないのだが、やることも無く僕は冷蔵庫を開けて見るが特に珍しい物も無くまた閉じた。


 仕方がないので、またテレビの電源を入れるとやはりまだ事故現場の映像で死者は五人になり。重傷者は二人となっていた。僕は重傷者の一人が息を引き取ったのだと一人で納得しながら横になった。テレビの右上には10:40と表示されていた。


 僕はコーヒーばかりで口の中が、ねばついた気がしたのでマグカップを洗い。拭いて棚へと置くとグラスを取り冷蔵庫から氷を3つ取るとグラスへ入れて、それから冷蔵庫から麦茶を取り出すとグラスへ注いだ。


 僕はまだ事故現場の映像だったが、チャンネルを変えると別の局ではドラマの再放送をやっていて。それを観ていると、そのドラマが僕とエリが大学時代によく一緒に観ていたドラマで有ることを思い出した。主人公とヒロインが雨の中で樹の下でキスをするシーンを僕が雨の日に真似をしようとしたらエリに


「恥ずかしいからヤメてよ。」


と怒られたが、僕が強引にキスをするとエリは頬を赤らめて小さく


「バカ...」


と言って来たのが可愛らしかった事を思い出し。何だか恥ずかしい気持ちを僕は思い出しながら苦笑いをした。


 エリはよく僕に『勇気』や『自信』を貰ったと言っていたが。本当にいつも『勇気』や『自信』を貰っていたのは僕の方なんだよ。と今になってその事を染々と思った。


テレビの右上に表示されている時間は11:05だった。


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