花火と幽霊、初夏の追慕

橘 六六六

第1話 幽霊の様な人間と人間の様な幽霊と

 これは僕の記憶のお話しです。決してあなたの記憶では有りません。僕の頭の中に在るもので、あなたの頭の中に在るべきものではありません。



「これからお話しする事は何いずれ忘れてください。」



 それは陽炎の様なもので、そこに何か在るように見えて近付けば何も無く、触れず。熱による光の屈折で起こる幻視的な物ではなくて。


 確かにそこには有るし、在るのだが、見えないし触れない。そんなもの。


 ここで『もの』と言うのは、人を表す『者』かも判らないし、物体を表す『物』かも判らないので。ここは平たく平仮名で『もの』と言う事にして。その『もの』は僕達で言う処の『幽霊ゆうれい』と言うものであった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「こんばんは。」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



その幽霊は僕にそんな普通の時の挨拶をしてきた。可もなく不可も無い挨拶ではあるが不可である。何故なら声はすれども姿は見えぬし、僕はこの六畳一間のアパートへは誰も入れてはいない。


 僕は声のする方を辿ろうと質問を投げ掛けてみた。こんな状況を恐がらずに把握しようとしたのは声の主が可愛らしい感じの女性の声だったからだ。


「えっ?誰?何処に居るの?」


その質問に、四方の壁から反射するような声で僕の耳では無くて、僕の身体の中心の部分に響くように


「ここです。ここに居ます。あなたの目の前です。」


その声が聴こえると、彼女はうっすらと徐々に色味を着けながら僕の前に現れた。そして


「驚かないでくださいね。あたし、幽霊なんです。」


僕はそう言われて驚こうと思ったのではあるが、別の事で驚いていた。この女幽霊は凄く可愛い感じの女性であったからである。明るい色味のショートボブに揃った前髪その下には大きくパッチリとした目の目尻が下がって柔らかみのある感じでツンとした鼻の下にはやわらかそうな唇が有った。そんな見とれている僕を置いて女幽霊は話の続きを話し始めた。


「あたし、この部屋で死んだんです。それと名前が『美空みく』て事だけを。ミクは美しい空って書いて美空です。」


「幽霊だし死んだのは判ったけどさ。美空さんは何で出てきたの?僕を呪うため?」


「いえ!決してそんな事では有りません!呪うだなんて!あたしはこの部屋で死んだのですけど。どうやって死んだかも覚えていないし。他に覚えているのは凄くカッコいい男の人が、あたしの顔を優しく見詰めて『美空。美空。』って何度も名前を呼んでくれていた事だけなんです。」


「その2つしか記憶が無いんだね。」


「はい。あんなにあたしの事を優しく何度も名前を呼んでくれていた人だから。あたしが死んで居なくなって哀しんでいたり、寂しかったりしていると思うんです。だから、せめて最後にあの人に『あたしは大丈夫だから、あたしの事なんか忘れてあなたはあなたの幸せを見つけて幸せになってください。それが一番の供養になります。』そう伝えたくて。それをあなたに手伝ってもらいたくて。出てきたんです。」


僕は美空の話しを聞きながら、自分が死んだ後も相手の事を心配する優しさと愛情の深さに感心し。少し涙が溢れたがそれを落とさないように少し上を見た。


 すると、アパートのドアがガチャリと開いて


「ただいまー。」


僕の同棲中の恋人、エリが帰ってきた。僕は美空を見られるとマズイと思い美空の方を見たが、そこら辺の勘は良いらしく美空は姿を消していた。


 エリはヒールを脱いで、玄関横の冷蔵庫から豚バラ肉と玉ねぎとピーマンと、作り置きのきんぴらごぼうとホウレン草のお浸しを取り出し流し台へと列べた。


 エリはいつも無口で感情を表に出さず、言葉よりも行動に移すタイプで。付き合いだして僕がこのアパートを借りるとすぐに、何も言わずに荷物を持って転がり込んで来たほどだ。


 ここ最近はろくに会話も無く、話したとしても一言二言で表情も変えない為に、居るのだが居ないかの様な存在に。まるで僕は幽霊と暮らして居るような気になっていたが。今日からは本物の幽霊である美空も居る。その点で言えばエリよりも美空の方がよっぽど人間らしいとさえ思えてきた。


 そんな事を考えて居るとエリは調理を終えて座卓へと料理を並べ出した。豚バラを玉ねぎとピーマンとで甘辛く炒めた物と、きんぴらごぼうとホウレン草のお浸しと小皿に取り分けられて並んでいる。いつもの光景。


 そしていつもの様に僕はエリの向い側に胡座あぐらをかいて座り。手を合わせて


「いただきます!」


と言い食べ始めると。エリはいつもの様に手を合わせて無言のまま食べ始めた。エリは半分程ご飯を食べたところで箸を止め。


「ねぇ、今週の土日に花火大会があるんだって。」


急にボソッとそう言われて、僕はエリの方を見て固まった。エリは長い黒髪をかき上げながら涼しげな目でテーブルを見ながらそんな事を口にした。


 僕はよく聞き取れなかったのもあるが。先程の美空とのやり取りの事や久しぶりにエリから話し掛けられた事もあり僕は喉の奥に金米糖のようなトゲトゲとしたような物がつっかえた感じがして返事ができなかった。


 返事を出来ずに居るとエリはご飯を食べ終わり、とっくに食べ終えた僕の分も片付けて。お風呂へと行った。僕はその間にテーブルを拭いて片付けてスマホを取り出し美空について調べる事にした。


 最初は『美空』と入力したり、僕のアパートの住所を入れてみたりしたのだか。結局、地図が出てきたり、歌手の写真が出てきたりとで手掛かりになる情報は特に何も得られなかった。


 そもそも死んでいる事と名前が美空である事しか情報が無いのだから、検索するワードも少な過ぎる。


 僕は取り合えず僕の住んでいる地域の匿名掲示板や、その類似したサイトを調べる事にした。



―――――――――




 そして割りと早くに僕は美空の事に辿り着いた。美空は本名『高山たかやま 美空みく』と言い26歳で亡くなっていた。



死因は、自殺だった。



 誰かが名前を呼んでいたらしい事を言っていたが。一人で死んだのだ。この部屋で。



―――――――――


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