007.お夕飯


 一人暮らしを始めるにあたって、父さんに言われて入居したアパートは決して広いものではない。けれどあまり物欲の無い俺にとってはそれでも十分と言えるレベルの部屋だった。

 風呂トイレ別の2DK。部屋だって6畳に4.5畳と、一人暮らしにしては大盤振る舞いだ。

 ベッドやソファは最奥の一番広い部屋にやり、服やテーブル等はキッチンと寝室の間にある4.5畳の部屋に設置した。ちなみにテレビは必要無い。


 テーブルと言っても1人で食べる用に買ったものだから決して大きくない。せいぜい1畳の半分も無いくらいだろう。

 そんな中、現在狭い部屋に高校生が3人もいる。それもお皿と鍋を持って。

 鍋はキッチンに置けるからまだいい、問題は狭いテーブルで3人も囲むことだ。お皿はギリギリ並べられたからよかったけど、正面と横に、すぐ近くに女の子が座っているものだからやけに落ち着かない。


 残念ながらお金の節約の為にテーブルと椅子のセットなんて高尚なものは存在しない。フローリングの床に座って食べる形だ。

 そんな残念過ぎる環境に、社長令嬢の彼女らは行儀よく座ってレンジが鳴るのを待っているものだからものすごく居辛い。


「えっと……ごめん。 ロクな環境じゃなくって」

「えっ?」


 静かな空気にポツリと謝ったことで彼女らがキョトンとした顔をする。


「ほら、2人の部屋と比べて狭いしテーブルだって小さいでしょ。椅子なんかもなかったしさ」

「あぁ……」


 その言葉に得心がいったのか納得したように息を吐く。

 ちょっとは責めてくれると楽なのだが、俺の予想と反して2人はゆっくりと笑みを崩すことなくその首を横に振った。


「それくらい、前に来た時に予測してたわよ」

「でも、私たちも配慮不足でしたっ!……その、せめて泉……さんが身体傷めないよう……に、折りたたみテーブルやクッション持ってくればよかったです」

「いや! 2人が大丈夫ならいいんだけど……!」


 俺は学校が始まるまでの数日このテーブルで食べてたからいいけど、彼女らにとってはあまり気持ちのいいものでは無いと思っていた。

 それでも大丈夫と言ってくれるどころか、こちらの心配をしてくれるなんて更に申し訳なってくる。


「……ねぇ、そこの収納、まだ空きある?」

「収納? 3分の1くらいは余ってるけど……」


 ふと怜衣さんに指をさされたのは背後にあるクローゼット。

 服は実家から持ってきたタンスに収まり、クローゼットには数枚の冬服と制服しか入れてないから空きはある。


「じゃあ、ちょっと隙間使わせて貰っていい? 今度私たち用のクッション持ってくるから」

「え!?また来るの!?」

「なに言ってるの、当たり前じゃない。 お隣さんで彼女なんだから」


 お隣さん……正確には正面に位置しているが。

 ともかく、何で今日来たのかもわからないのに再度来るというのか。


「……わかった。 ところで、何で今日ここに来たの?」

「あら? 夕飯を一緒に食べようと思っただけよ」

「……俺が既に食べ終わってるかもしれなかったのに?」

「それは運…………いえ、愛の力よ!!」


 正面の怜衣さんはそう言って胸を張る。


 愛と申すか。しかし正直助かった部分も多い。ご飯だけ用意してどうしようか悩んでたから。

 学校が始まるまではカップ麺や外食、はたまた実家でどうにかしていた。まともな夕食を持ってこられて助けられたのは僥倖だろう。


 運が見事合致したたことに呆れつつ、持ってきてくれたことに感謝すると、チーンとレンジの動きが止まる音がする。やっとできたか。


「じゃあ2人とも待ってて。今持ってくる――――」

「いえ、私が行くから待ってなさい。 家主なんだからゆっくりしてて」


 正面の怜衣さんは俺が立ち上がるよりも早く立ってキッチンへと向かっていった。

 あまりに手早い動きに取り残された俺は手が伸びたままその姿を見送っていく。


「えっと……」

「あっ、おねぇちゃんは一度言い出したら譲らないんで任せたほうがいい……です……はい……」


 俺の斜め左隣、溜奈さんは呆気に取られる俺に補足するかのように告げてくれた。


 溜奈さん――――。

 怜衣さんがよく話す分、彼女が話すことは極端に少ない。

 その内気な性格からか前回、今日とこの部屋に来たものの、目を合わせてくれたことが今まで一度たりとも無い。

 今だって視線をテーブルに落としながら合わした手で指を忙しなく動かしている。


「…………溜奈さん」

「ぴゃいっ!?」

「……いや、そんな驚かなくても」

「す、すみません……」


 ……なんだろう、すっごく話し辛い。俺ってたしか彼女とも付き合ってるん……だよね?

 全く実感なんて無いが、好かれてるというより逆に怯えられているような……。


「すみません……」

「ううん、俺こそ驚かせちゃってごめん」

「そ、そうじゃなくって……! そのぅ……泉……さんが近くに居ると……どうしても緊張しちゃいまして……」

「緊張……」

「決して怖いわけじゃないんです!! むしろその……好き……ですから……どう話したらいいか……」


 『好き』

 そのたった二文字の言葉にドキンと心臓が高鳴る。

 けれど一方で、何故彼女たちはそこまで俺を好いてくれているのか、そんな疑問ばかりが浮かんでくる。


「そっか……。 ありがとう」

「いえ……私こそ、家に入れてくれてありがとうございます」


 何故好きになったのか聞こうと思ったが、以前聞いてもはぐらかされたしきっと無駄だろう。


 なんだかギクシャクしながらも、怖がられているのではないとわかりホッとする。

 そんな折、キッチンから準備ができたのか怜衣さんがお皿を手にしてやってきた。


「できたわよ~! さ、みんな食べましょ!」


 テーブルに並べられるのはカレーと唐揚げという、男の子の定番アイテムだ。

 俺が炊いたのはもちろんご飯だけ。明日の朝用に多めに炊いていたのが功を奏した。まさかこんな豪勢な夕飯になるとは。




「2人ともいいわね? それじゃあ……いただきます!」

「「いただきます」」


 怜衣さんの号令で俺たちも手を合わせてカレーに手を付ける。

 これは……中辛か。程よい辛さにその奥にあるスパイスの香り。そして甘いものを隠し味に入れているのか決して後に引く辛さではなく、何度もスプーンが動いてしまう。


「美味しい……!」

「そう……よかったわ」


 俺がひたすら夢中に食べているのを彼女はホッとしたような笑みで眺めている。

 もしかして怜衣さんが作ったのだろうか。それは……随分と凄い。確かにカレーは簡単な部類だが、ここまで食が進むとは思わなかった。




「あらあら、もうなくなっちゃったわね。 おかわりはいるかしら?ご飯にはまだ余裕があったわよ」

「いいの!?」

「えぇ。 お皿持っていくわね」


 気づけばお皿に乗ってあったものが全てなくなり、怜衣さんが再度立ち上がってキッチンへと向かっていく。

 またこの美味しいカレーを食べられるというのか……!明日の朝はどうにかすればいいだろう。パンだってあるし途中で何か買っていっても良い。


「はひっ!はひっ!」

「……ん?」


 俺が怜衣さんの後ろ姿を見送っていくと、そんな息を吐く音が聞こえてくる。

 溜奈さんだ。彼女は目をキュッと瞑りながら何度も小さな口を動かして何かに耐えていた。


「…………溜奈さん」

「ひゃいっ!」

「もしかして、溜奈さんって……辛いのダメだったりする……?」

「ピュイッ!!」


 恐る恐る問いかけると、彼女は小さな鳴き声を発して固まってしまう。

 そしてプルプルと肩を震わせながら口の中のものを何とか飲み込み――――


「べ、別に苦手なんかじゃ…………ないもん…………!! っ―――~~~~~!!」

「あっ!ごめん変なこと聞いて!!  怜衣さん!冷蔵庫から牛乳とヨーグルト取ってーー!!」


 二口目。

 彼女は小さな口を大きく開いてカレーを思い切り口にする。

 一気に辛さが来たのか、彼女が倒れ込んだところで俺はキッチンへとダッシュするのであった。

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