002.塀の家と相対する家


「たしかこの道を真っすぐ行って…………」


 俺は1人、母さんによってもたらされた服入りのバッグを手に道を歩いていた。

 最寄りの駅を降り、商店街を抜け、スーパーやコンビニの横を通り、住宅街を進んだ先。


 今の俺の家はそこにあった。

 前まで住んでいた実家なら駅から10分から15分だが、今の家は20分を過ぎる。

 だいぶ距離はあるが、そこが一般家庭の俺に許された一人暮らしの住まいだ。


 2階建てで1階につき1部屋の、計2部屋となる格安アパートだが、現在は上の階に人は居ないため実質俺のみのアパートとなっている。

 それは1年後の今も変わっていないようで、俺は記憶上曖昧な帰り道を試行錯誤しながら歩いていた。



 さっきコンビニを抜けたから、あとは目印に覚えている黄色い壁面の一軒家を曲がればすぐなのだが…………いくら歩いても黄色の欠片すら見えてこない。

 もうコンビニを過ぎて10分は歩いたのに……。さすがに記憶ではこんなに歩いた覚えはない。さすがに5分程度で見えたはず。

 もはやこんなところにもあったのかと、2つ目のコンビニに着いてしまったところだ。


「これはさすがに…………」


 さすがにこれは記憶が間違っているか、この1年で目印の家がなくなったとしか考えられない。

 俺は最終手段としてスマホを取り出し、母さんへとメッセージを送り出した。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ねぇ、ホントに今日一緒にいなくて大丈夫? 休んだって全然いいのよ?」


 入院二日目。

 俺は早朝からの検査の前に、仕事の行きがけと来てくれた母さんを宥めていた。


「大丈夫大丈夫。さすがに家の道も覚えてるし今日は帰って寝るだけだし」

「そうだけど……あのあたりって1年で結構変わったのよ? アンタはわからないだろうけど……」

「どうにかなるって! 最悪連絡すればいいだけだし、ね?」


 笑みを浮かべる俺に渋々と荷物をまとめてくれる母さん。

 心配してくれるのは嬉しいが俺だってもう高校生だ。一人暮らしもしてるんだし仕事の邪魔をしてまで世話になるわけにはいくまい。


「そう……。ところでアンタ、目の隈酷いわよ? ちゃんと眠れた?」

「あ~……これ? まぁまぁかな……。昨日は昼寝し過ぎちゃって」


 嘘は言っていない。

 昨日現れた彼女と名乗る姉妹は、俺の顔を見るだけ見てすぐに帰ってしまった。

 『元気な顔が見られて安心した。またすぐに会いに行く』と告げて――――。

 まるで言い逃げするように出ていったものだから俺が今日退院だと言うことすら告げることができていない。


 それからは本当に付き合っているのか、イタズラなんじゃないかという疑心暗鬼が巡り巡って余計眠れなくなった。

 思い切って連絡をしようにも連絡先にそれっぽいのはないし、結局なんだったのかよくわからないまま今日を迎えている。


「今日は無理しないで寝なさいよ? これで倒られたら星野さんにも申し訳が立たないんだから」

「星野さん?」


 誰だそれ?

 俺の記憶の中にそんな名前の人はいないぞ?


「そういや言ってなかったっけ? 怪我したアンタを介抱して救急車呼んでくれた人よ。 乗りかかった船とか言ってこんな個室まで用意してくれたんだから」

「なにその大恩人…………」


 そんな人が助けてくれたなんて聞いてない。

 だから個室なんていい部屋を用意してくれたのか。節約志向の母さんなら絶対相部屋にすると思ってたんだよね。


「連絡先は伺ってるから今度菓子折り持って挨拶してきなさい。 でも今はまず帰って寝ることね」

「了解」


 そう言って母さんは扉を開けて出ていってしまう。

 取り残された俺に呼びかけられるは、検査開始を告げる看護婦さんの声だった。



 ―――――――――――――――――

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 ―――――――



「…………おっ、早いな母さん」


 メッセージを送った返事は思いの外早くきた。

 仕事が忙しいからかその中身は要望していた文字列のみ。

 平日の日中だし忙しいのは仕方ない。むしろこんな早く返してくれたことに感謝だ。


 俺はメッセージに記されていた文字列…………住所を基に地図アプリを開き再度歩き出す。

 これならば迷うことは無いだろう。





 ――――歩き始めて5分ほど。迷子になった原因が発覚した。

 結論から言えば目印が無くなっていたのだ。曲がるために必要としていた黄色の外壁の一軒家がなくなり、今は黒いタイルでできた高い塀が建っていた。

 そりゃ目印のものが無いから迷うはずだと、俺は地図に従って塀を曲がって進んでいく。


 塀…………塀…………塀…………。

 いつまでたっても塀が横に鎮座していた。

 右側は普通の一軒家やアパートが見えているが、左はいつまで歩いても塀が途切れることなく続いていたのだ。


 これは一つの建物を守っているのだろうか。こんなの俺の記憶には一切無い。

 悠長なことを考えつつ、塀とは逆方向にあるはずのアパートへと足を進める。どんなお金持ちが住んでいるのだろう、いつか顔くらいは拝めないだろうか。そんなどうでもいい考えを巡らせていると、ようやく塀の終わりが見えてきた。


 見えてきたのは茶色のシャッターで閉められたカーポートの入り口と、その横にある木に挟まれた立派な門だった。

 門の向こうはここからは見えない。むしろ見えなくてよかったというべきか、黒い家に全く中が見えないことが逆に神秘性を増しているようだった。

 もう少し奥に視線をやると同様に伸びている塀が。もしここが半分だと仮定するならば1エーカー…………およそサッカーグラウンドの横幅くらいになるのではないだろうか。


 よくよく見るとあまりに達筆過ぎて読めない表札にインターホンが見える。どうやらこれはお宅で間違い無いようだ。

 いいな。一体どんなことをすればこんな家に住めるんだろう。


 そんな遠い世界の住民に夢描きつつ門の反対側へと視線をやると、辛うじて記憶に残っている俺のアパートが目に入った。


 後ろには記憶と寸分たがわぬ俺のアパート。しかし目の前の巨大な家は記憶や地図にも乗っていなかった。

 きっとここ1年の間で新設されたのだろう。もしかしたら表札があっても、家でなくて何かの会社や施設なのかもしれない。

 俺は関わりの無いことだろうと頭を振って自らの家へと足を踏み入れる。



「ははっ……変わらないなぁ…………」


 1年も記憶がポッカリと空いた部屋は、記憶にある限りとほとんど変わりはなかった。

 洗剤や冷蔵庫の中など当然細かい部分に差異はあるが、家具や貴重品置き場などはほとんど今の自分でも把握が容易だ。


「ふぅっ…………」


 俺は荷物を適当に放って隅のベッドへとダイブする。

 何気なくスマホを見てもなんの通知もない。悲しいかな、友達の少ない俺。こんな状態になっても連絡する人なんてほぼいない。

 唯一連絡取りそうな友人は母さんから言ってくれるということで放置でいいだろう。


 なら今考えるべきことは夕飯だ。お昼は帰りにサンドイッチを買ったからいい。夕飯と言っても主食以外は冷蔵庫に見受けられなかった。

 さぁどうしよう……でも、その前に一眠りしていいかな?昨日から生活リズム狂ったせいで今になって眠くなってきた。

 俺は着の身着のまま大の字になって目を瞑る。もう……夕飯は……コンビニ弁当でいっか……。俺は闇の深い世界に1人旅立って――――



 ピンポーン――――。


 夢の世界に8割沈み込んだところでチャイムの音が聞こえてきた。

 一瞬、別の部屋の人かとも思ったがここに隣人など居ない。ならばここか。


 ピンポーン――――。


 もう一度チャイムが鳴らされる。

 どうやら俺がここに居ることは知っているようだ。ならば父さんか?それとも腐れ縁の友人か?


「はいはい、どちら様ですかー?」


 誰かが心配して来てくれたのだろう。

 ならば無下に返すわけにもいくまい。俺はボサボサになってしまった頭を梳くことすらせずその扉を開けていく。


「やほっ! 来ちゃったっ!!」

「っ――――!!!」


 開けた瞬間、目に入ったその姿に眠気なんて飛び去ってしまった。


 そこに立つのは二人の女の子。

 銀色の髪を持ち、明るく笑顔を見せる少女と、その影で内気そうにこちらの様子を伺っている少女。

 昨夜見た怜衣と溜奈、その二人だった――――。

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